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作業と仕事。

今回は「作業」と「仕事」の違いについて書かせていただきたいと思います。作業と仕事って単純にどう違うのでしょう?

こんにちは。
船橋を拠点にタウン誌やローカルニュースの編集部を運営したりカフェ経営をしているやまけんです。

皆さんは、「作業」と「仕事」って使い分けできていますか?また、自分の中でちゃんとそれを意識して関われていますか?

作業って

作業ってどんな言葉が思い浮かびますか?
単純作業、軽作業、流れ作業に作業服…

Wikipediaとかコトバンクでは、作業も仕事も同じような意味みたいです。

英語でも作業と仕事は両方とも「work」になるみたいで、やはり同じ言葉のようです。

僕にとって「作業」って、誰でもできる事であって、どんどん効率化していくべきもの。効率化していく事でそれまでより利益を生みやすくしていったり、生産性があがったりするものだと思います。

これまでの昭和日本経済ってここが強かったのだと思います。

自動車をはじめとした製造業とか製鉄とかみたいな業界…単純作業を正確に少しでも手順を減らして効率よくする。「トヨタのかんばん方式」とかってまさにそんな感じの手法ですよね。

誰がやっても同じことを経営者がやるのはもってのほかだと思っています。なので、従業員を雇ってその人たちに大量にやってもらって効率化していく事で想定した利益を生み出していきます。それを約束通りに遂行するからこれまでの勝ち組は「上場会社」になっているんでしょうね。

もしくは、誰がやっても良いものであればなるべく時給単価の安い従業員やそれを得意にしている専門家に任せるべきだと思うのです。

専門家と呼ばれる人たちの多くが知識量とか作業スピードの速さを武器にした仕事をしている気がします。そうしたシゴトって今はまだ仕事であっても段々と作業に変わていくのだと感じます。

単純に電話を取り次ぐサービス(昔あった電話交換手)は、固定電話の普及とか携帯電話、通信アプリなんかに取って代わられました。

今後、ただ診断するだけの医者、起票するだけの税理士、会計チェックするだけの会計事務所、社会保険労務士、行政書士…なくなっていく専門職多いと思います。

僕の業界回りでも、中途半端な知識とか経験のカメラマンはコンデジ、スマホに取って代わられ、Instagramによってカメラマンの撮った写真そのものの存在意義も変わっていきました。

記者やライターも…ブログの普及で誰でも記者やライターになれる時代です。

編集者もデザイナーは、Adobeのillustrator普及で今では誰でも簡単なデザインをこなせます。さらに、アスクルなどの一般普及で簡単なチラシやパンフレット、のぼりなどの印刷物はだれでもつくる事のできる時代になりました。

こうした手作業の仕事は、主婦や副業、在宅の生業になってきていて、「社員がやるには効率が悪いから外注(クラウドワークス)に出そうか」という感じで効率化を優先するようになっています。

映像の方の編集者も、音の編集者もいまはアプリが普及しているので素人に毛の生えた人でもできるようになっています。

今後数年以内には、そうした仕事もAIが取って代わるようになっていくのだと思います。

じゃ、専門職は無くなるのか!?そんなことはないと思います。カメラマンだって、ただ写真撮るだけだったらいくらでも安い人がいるけど、「この人じゃなきゃ」って人は今でもその業界にいます。医者だって、診断するだけじゃなくって、「どうしてもその人に診てもらいたい」って人はいます。看護師でも税理士でも同じことですよね。

仕事って

じゃ、仕事ってなに!?

仕事って、作業に「魂」とか「意味」を込めることで「仕事」になるのかなと思います。

書道とか華道とかって、単純な「書く」とか「花を飾る」作業として考えてみたらいやおうなしに効率化を迫られるもので外注に依頼するか、コンピューターに取って代わられるかしてしまうジャンルですよね。

多分、日本人の多くが納得できると思うのですが…職人が人生込めて作っている「作品」とか「成果物」に対しては「いい仕事しているなぁ」って言葉がしっくりきますよね。僕だけではないと思いますが…

僕たちは、仕事ってものの中にどこか魂とか意気込みとか何か精神的なこだわりを込めている気がするんです。もしくは、そうした仕事を求めているんじゃないかなと。

同じようなシゴトを求めていたとしてもその過程に美学があって、それに共感するところがあるのかなと。

だからこそ、どんな作業であっても「自分が何のためにこの作業をしているのか」「この作業をする事でどんな人たちがどんな事になるのか」を考えながら作業する事で仕事に昇華していくのかなと思うのです。

昔、OLの「お茶くみ」というのが女子社員が新入社後の初仕事という時代がありました。このお茶くみだって、湯呑をあらかじめ温めておく事とか、茶葉の分量を考えて濃さを変えること、温度を変えることで仕事に昇華すると思います。

コピー取りだって、ただコピーをとるのではなく「何の会議で使うのか」「誰が見るのか」で文字の大きさや写真の白黒、カラーの選択、時には用紙の大きさなども考える余地のある仕事になります。

ただコピーをとるとかお茶を出すだけの作業だったらコピー機やドリンクサーバーは年々優秀になっているので必要なくなると思います。でも、上司の気分や体調を慮(おもんばか)って提供する資料やお茶には魂がこもるので立派な仕事になると思います。

昭和の時代を生きた人たちが平成に伝えた価値観にはそういうところがあると考えています。

じゃ、令和時代の仕事って!?

僕たちが感じているモヤモヤ感は、コロナで浮き彫りになったのではないかなと個人的には思っています。

今まで丁寧な仕事をしていたらそれで満足だったクライアントや社内の業務、これまで「仕事だったもの」がそれでは社会全体が満足できなくなっているのだと思うのです。

具体的には…

例えば、テレワークを推奨する会社。

これまで、平成20年代くらいから無駄な残業を減らそうみたいな話とか、ワークシェアとか、時差通勤とか、サマータイムとか…そんな概念って出てきては消え新しい概念に取って代わられて…でもまた似たようなことを言語化して試行錯誤してきたと思うのです。

多分、コロナの直前までは…残業禁止デーなので残った仕事を家に持って帰れないので…深夜のカフェで仕事していますみたいなサラリーマンをTVで特集していた気がするんです。

そうした人たちは、だれのための仕事をしていたんでしょう!?たぶん、大して仕事ができない上司の為に資料作りとか、その上司を説得するための資料作りとかしていたと思います。もしくは、なかなか会えない人にせっかく時間とってもらったので出張の前に資料を作っておこうとか…

移動の時間が大幅に制限され、無理やり削減され、オンラインのミーティングで紙の印刷をする必要がなくなり、メールや通信アプリに添付するだけでよくなり、プレゼンには会議室の準備もお茶の準備も必要なくなって…

コロナでテレワークの推進は一気に進みました。たぶん、ついていけないのは、40代以上で変化を好まない人たち。若い人たちはとっくの昔に気が付いていたんですよね。「この非効率な仕組みどうにかならないかな…」って。

例えば、深夜営業のコンビニとか居酒屋

夜遅い時間にわざわざ出歩かなくっても家で食事済ますことができる人もいます。そのおかげで体重が減ったって仲間もいます。

深夜に外に出る理由がなくなってしまうと仕事自体の効率が良くなったり、無駄なダラダラ残業がなくなります。仕事後に打ち合わせする飲み会とかNPOの会議なんかも減ってきました。

そういえば、若い人が飲みニケーションしなくなった…なんて話もありましたよね。嫌な上司の自慢話に付き合うために自分の時間使って深夜までキャバクラなんて行きたくないですもんね。

飲食店の座席も意味が変わりました。

これまで大きな客席数を誇る「箱(お店)」ってめちゃめちゃ重宝していたんです。でも、宴会が禁止になって、そういう箱って軒並み撤退していっていますよね。代わりに厨房を活かしたテイクアウトとかシェアキッチンやゴーストレストランなんてサービスも都内中心に普及しています。

家賃相場の高い場所は生き残りをかけて新陳代謝が活発です。都内や都心部からどんどん新しい波に生き残りをかけて乗っていく経営者が増えていきます。たぶん新人類…

令和になって、人とのコミュニケーションが制限され、移動も制限され「今までと同じことがやれない」「勝ちパターンが変わってしまった」という話をいろんな場所で見聞きします。

逆に、何も持っていない、もしくは、これから積み上げていく若い人これから経営者になっていく人にとってはめちゃくちゃチャンスだとも言えると思うのです。

大きな企業はその屋台骨を支えるための仕組みを資金力で購入していくでしょうし、整えていくと思います。

でもそれは、ある程度の成功事例になっていないと手を出さないでしょう。失敗を避けるために子会社で試したり、小さなチームに任せてみてから本体に導入するなどの方法を採るでしょう。

もしくは、既に仕組みが出来上がっている会社をビジネスごと買収するかもしれません。一からブログを書き始めるのは個人がやること。ある程度のブランド力がつけば、それを購入する企業がいてもおかしくない時代です。

それは、YouTubeチャンネルでもSNSのアカウントでも同じことでしょう。プラットフォームを作っても、オンラインサロンでも、会員制のクラブでも…

令和の時代に求められている仕事って、「徹底的に作業を効率化して、起業の時間を圧倒的に短縮してあげるもの」なのか、「企業がやらないニッチな分野をブランディングしていくチャレンジ」とか、一周回って「ものすごくきめの細かいサービス」とか「めちゃくちゃ高価格帯のとがった層向けのサービス」とかそんな感じなのかなと思います。

ここには、職人的なこだわりやものすごい量の試行錯誤が必要でしょう。

でも…大手の企業に就職活動で選んでもらうために、幼稚園から私立に行ってお受験して…一流大学を出て一流企業に入社して司法試験とか、医師、公認会計士、MBA、中小企業診断士…ってこれまでの成功パターンを時間かけて積み上げていくだけの戦い方よりは、絶対に庶民にとって勝負し甲斐がある話です。

やる気があるか、やるかやらないか。

たったそれだけで、この先は「自分の生き方を選べる世の中になったんだなぁ」とつくづく感じるのです。

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