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#43 京都大学を中退した医学部生が世界一周してみた

旅の第二交差点ーネパール②

確固たる理由はないが、やらなければいけないような、未知の使命感に襲われていたのだ。


そうなってしまえば、もう逃げることは出来なかった。

やるしかないのだ

そう心に誓ったのは、クアラルンプール郊外の公園で、独り物思いに耽っている時だった。


そして、その決断の翌日、早朝になるとぼくはネパールへ向かうべく空港へ向かった。


このように何か大きな決断をした後にやって来る、自分の体を内外から覆うような、凛としたベールと共に、ネパールへと旅立っていったのだった。





前置きが長くなってしまったが、そんないきさつを経て、3月18日の昼過ぎ、ぼくはカトマンズの安宿街、タメル地区に立っていた。


舗装されていない剥き出しの路地を、今にも故障しそうな軽自動車やバイクが土煙をあげながら走り、それらを縫うように行く歩行者たちへ、姦しいほどのクラクションを浴びせ続けていた。


「喧騒」と言ってしまえばそうなるが、それはバンコクのカオサン通りで見られた、「お祭り騒ぎ」のようなものとはまるで異なり、ただ生活のためだけに、人々が彼らなりの効率を求めながら、移動している結果に過ぎなかった。


 そんなタメル地区の様子に対して、初めの2日間程は物珍しさからか、あまり不快さを覚えず、ただ「活気」のようなものと捉えていたが、それ以降、狭く汚い未舗装路を埋め尽くすような、四輪二輪の大群とその騒音は、とにかく歩くのに妨げとなる、鬱陶しいだけのものとなってしまった。


思えば、1月31日に日本を発ってからというもの、それなりに長い時間が経過していた。


ネパールに着くまでの約二ヶ月というのは、とにかく新鮮味に溢れ、脳が忙しく演算処理をしているような時間だったと言えるが、なぜかここカトマンズでは、そういった感覚が薄れ、真新しさに目を見開くような気持ちにはならなかった。


当然、ネパール滞在中には、カトマンズに留まるだけではなく、田舎の小さな村を訪れてみたり、湖が人気の景勝地である、「ポカラ」という街に行ってみたりもした。


しかし、結果はどこも同じだった。


以前までは、鋭角にぼくの神経を刺激していた旅の風景や異国での体験というものは、その鋭さを失い、全く鈍麻としてしまったようだった。


二ヶ月を過ごした後、海外にいることが当然の事となり、「外国にいる」という事実だけには、満足出来なくなっていたのだろうか。


いわゆる、悪い意味での「旅慣れ」というものに原因があったのかもしれなかった。


或いは、どれくらい先になるかはわからなかったが、将来に控えた、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ 聖地巡礼の旅」を早く実行したいあまり、気が急いていただけなのかもしれない。


ともかく、そのようにネパールでの滞在が、ひどく味気ないものになってしまった原因は判然としないものであったし、その対処法ということについては、なおさら、頭を悩ませるばかりであった。


しかし、だからと言って、ネパールでは何もせずに、引き篭っていたわけでもなかった。この国に来た理由は、確かに存在していた。

続く

第1話はこちら
https://note.mu/yamaikun/n/n8157184c5dc1


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