見出し画像

#34 京都大学を中退した医学部生が世界一周してみた

登山と亡き人ーマレーシア⑨

自然と涙がこぼれていた。


ぼくは目を閉じて、故人へと思いを偲ばせ、それから意図せず家族に対しても、思考の枝葉を広げていった。


自分の流した涙が前向きなものだったのか、それとも後向きなものだったのか、判断がつかなかった。


その涙は決して喜怒哀楽の四元論だけでは表現が出来ないだろう。


強いて言うならば、その四つをなにがしかの按配で上手く調合し、後味の良いものに仕上げたのが、その時の涙だった。


亡き人を憂うだけの、悲しい涙ではなかった。


空に近い場所にいることが、気持ちを少し晴れ晴れとしたものにしてくれていたのかもしれない。

一年振りにきちんとした挨拶が出来たような気がし、故人に思いを馳せている割には、妙に清々しい気分だった。





目を開けると、まるで何か催事のクライマックスであるかのように、辺りを光が包んでいた。

頬を撫でて涙を乾かす風は、残酷なまでに冷たく、体温を奪い去ってしまうのではないかと思う程だったが、それは差し込む朝日によって、幸運にも阻止されているようだった。

「トモ君、ありがとう」

「え、なにが?」

「トモ君と居たから、登山出来たよ」

「あぁ、お互いさまだろ。おれもお前がいなかったら登れなかったと思うよ」

「そうかなぁ、そうは思わないけど」

「まあそんなことはどうだって良いよ。寒いのがもう限界だし、そろそろ下山しようぜ」






こうしてぼくの初登山は終わった。

下山にかかった時間は約4時間で、登るときの苦労が嘘のようだった。



しかし、こうして登山を終えてみても、やはりぼくは登山がどういうものなのか、上手く捉えることが出来なかった。

登頂したこと自体の喜びや達成感というものは、あまり感じられず、

「ものすごく苦労して、ものすごく綺麗な景色を見に行った」

というような感覚の方が、どうも的を射ているようだった。



これは、感動が薄かった、ということを言っているのではない。

山の中腹にあったホテルでの景色や、山頂での日の出、あるいはそれに伴って故人や家族に思いを馳せたことなどは、朋也にくっついて思い付きで登山をしたにしては、余りある対価をぼくに与えてくれた。

ただし、それら一連の思い出達は、普段の生活からと比べると、余りにも異次元の場所で生まれたものであり、何回思い返してみても、地上4095mの高さに自分が立っていたという事実が、現実味を帯びることは無かったのだ。

続く

第1話はこちら
https://note.mu/yamaikun/n/n8157184c5dc1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?