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文学賞に挑戦してみた。

「私、短い小説を書いているのよ」と亡くなった父に伝えたら

「お前が小説なんか書けるか、作文ならわかるけど、かくんは恥じゃないんか」そんなギャグみたいな答えが返ってくると思います。

私自身だって趣味とは言え、自分が小説を書いていることに驚きです。人生は何が起きるか分かりません。
「アッと驚く為五郎」です。
ごめんなさい昭和のギャグ
ですよ。


私はnoteに月に2~3作品ショートショートを書いています。投稿20ヶ月で80作ちかく書きました。自分としては大変な数書いていると思います。

私は文学少女ではありませんでした。本だってさして読んでいません。


同じ姉妹でも妹は幼稚園の頃から読書が大好きで、文学全集を一人読み漁っていました。友達と話すより、読書が好きな女の子でした。

そんな妹がショートショートを書き始めたのなら、父はきっと「ほーか、やっぱりなー、小さい頃から本が好きじゃったけんなー」と言うと思います。
しかし、私だから「アッと驚く為五郎」なのです。

「父はへー、突然何が起こるか分からんな―」と思っていることでしょう。

作品の出来はさて置き、私はショートショートを書き始めた自分を褒めてあげたいと思います

「よくやったね、何でもチャレンジして、一歩踏み出すことが素晴らしい」と。

思い立ったら何でもがむしゃらに突き進む私は、ショートショートを書くようになってすぐに、なんと地元の文学賞にも応募しました

ショートショートを書き始めてわずか1か月足らずの出来事です。
その頃、私は燃えていました。鉄は熱いうちに打てと言いますが、とにかく熱が冷めないうちにと7作品も応募したのです


どんなテーマが審査員の心を動かすのか全く見当もつかず、小説の書き方すら分かっていなかった私の心の内は「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」なんて失礼な考え方だったと思います。とにかく思いつくままいろいろ出してみよう、そんな思いで夢中で応募しました。

恐ろしい事に、その時は入賞する気満々だったのです。
今から思えば恥ずかしい限りですが、その大胆な行動が無ければ、今の私は無いと思います。

結果は言うまでもなく撃沈でした。
思いっきり落ち込んで、暫く書くことに自信が無くなって、ブルーな毎日を過ごし、目標を失っていました。

でも常にポジティブシンキングの私はムクッと起き上がりました。とにかく自分を信じてチャレンジするのみだと思ったのです。

地元の文学賞の結果が出てから3ヵ月、私は今年も懲りずに、応募しようと、テーマを探しを始めて、今日までに早くも2作品、応募しちゃいました。

自分の可能性を自分が信じないで誰が信じてくれるのかと考えている私は、常に前向きに取り組んでいます。

恥ずかしいなんて言う思いを捨てて、取りあえず一歩踏み出す、この精神が、私を作っていると言っても過言ではありません

私がショートショートを書くきっかけになったのは、一人の女性作家が背中を押してくれたことから始まります

92歳にしてイラストに命を燃やす母が描くユニークな人物に命を吹き込もうと、一人一人にキャプションをつけて、それぞれのキャラクターの関係性を短い文章で投稿していた私の作品を見た彼女が
「きっと、小説が書けますよ」と言ってくれたからです


「私なんかダメですよ、何の勉強もしていないし、とんでもない」

「いやいや、書けますよ、書いてください」

こんなやりとりから、私はショートショートを書き始めたのです。
勧めて頂いたその日から、気負うことなく、私の中で一番書きたかった、父が亡くなった日に本当にあった3歳の甥っ子との不思議な出来事を書きました。


そのショートショートが書けたことが私はとても嬉しかったのです。父の思い出を物語に出来たことが幸せでした。

これをきっかけにして、私は小説を書く楽しさに目覚めました。文章の中に、自分の思いを織り込みながら物語を紡ぐ。そのクリエイティブな作業が楽しいのです。

小学校の時に学芸会で魔女の役を演じたことがありました。普段の私ではないけれど、私の中で眠っている感覚の一部を引き出して魔女を演じたのです。

ショートショートを書く時、そんな気分でいる時があります。私であって私でない、心の中のどこかに密かにしまい込んでいる感情を引っ張り出しているのです。

私が小説を書くなんて、文学賞に応募するなんて、青天の霹靂です。
でもそのことが私の人生に幅を持たせてくれました。

人生を振り返り、経験の中からテーマを拾い上げたり、絞り出したり、人の様々な感情をじっくり考えてみたり、その作業が人間らしくてとても好きです。

私は、ショートショートを書いて、文学賞にチャレンジしている自分がとても誇らしいです。それが人からみて無謀なことであっても、チャレンジしている私自身が好きなのです。それが本当に私らしいと思っています。


【毎日がバトル:山田家の女たち】

92歳の母と60代の私の伊予弁トークです。

《挑戦は幾つになっても大事よ》


「挑戦することはホントに大切よ、頑張りよるうちに賞に入らんかっても少しずつ上達するんじゃけんね、目標は高い方が成長するんよ、私はそう思うね

「お母さんもいっつも挑戦しよらいねー」

私は92歳になっても諦めんのよ、挑戦は幾つになっても大切よ

私の挑戦は母に見習っているような気がします。何事も諦めず前に前に、ポジティブシンキングは母から貰った宝物です

挑戦を忘れぬ我や虹渡る

母が常に挑戦を忘れない私の姿を詠んでくれました。何かにチャレンジすることが生きがいに繋がって、毎日を生き生きと楽しく過ごすことが出来るのです。
その挑戦の中で自分の夢を実現しようとしている私の姿はほとんど母に重なっています。よく似た親子だなと思います。


最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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また明日お会いしましょう。💗

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