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私が子どもだった頃◇家の電話

大学時代のお話です。付き合い始めたばかりのボーイフレンドから電話がかかることになっていました。私は両親には悟られないように呼び出し音が聞こえやすい場所で、そわそわしながら待っていました。

タイミングが悪く父が電話に出た時は、胸がバクバクしていたのを覚えています。


「娘ですか、おーいゆきこ、電話じゃ」

私は、「えー、誰じゃろか・・・」と素知らぬ顔で電話口に出ていました。

今から45年以上前のお話です。

そして、その5年前は我が家に電話はありませんでした

急を要する連絡を受ける場合は、電話を引いているお隣さんに呼び出してもらっていました。もちろんお隣には借りる了解をとっていましたが、電話を貸す側にとっては迷惑な話です。当時は電話を借りていた人は結構多かったと思います。

「山田さん、お電話がかかってますよ」とお隣さんが知らせに来ます。

私は慌ててお隣の走ります。


「すみません、お電話お借りします」
「どうぞどうぞ遠慮なく」

急いで会話を済ませます。

「ありがとうございました、いつもすみません」
「いえいえ、いつでもどうぞ」
こんな感じのやり取りでした。


その頃はお隣さんが電話を貸し借りできる人間関係だったのです。今からは想像もつかないお話だと思います。

特別な連絡が月に何度も必要になって、もうどうしようもなくなり、我が家にも電話が引かれることになりました。


我が家に電話が来た時は、呼び出し音にビクッとしていました。電話で話すことに慣れていないので、とても照れていたし、しばらくはダイヤルを回す練習や電話で話す練習をしていたように思います。

それから電話は目覚ましい進歩で、ダイヤルからプッシュホンになり、子機でも話せる親子電話になりました。両方で会話を聞くことができたので、子機を使って話す時は、両親に会話を聞かれていないかと、ハラハラしていました。

今は固定電話はインテリアのような存在で留守番機能は使いますが、それ以外ではあまり機能していません。

私は昭和50年代後半に将来一般化するであろう「未来のテレビ電話」の取材で東京の三鷹にある研究所に行ったことかありました。その時は海外の未来映画のワンシーンを体感したような気分でシミュレーションしたのを覚えています。

お隣の電話を借りていた時代から半世紀を待たずして、一人一人が自分の電話を持ち、移動しながら相手の顔を見て会話する時代が来るなんて、当時を知っている私にとっては、本当に驚きです。

そして今、私にとってスマホは生活に欠かせない存在になっています。


【毎日がバトル:山田家の女がたち】

《口笛の合図でダンスに行きよったんよ》


夕飯を終えて、イラスト制作に夢中のばあばと。


「本当に今は便利になったわい、私は今、孫と携帯で話よるけんねー、話すのが楽しみなんよ」

「お母さんの若い頃の思い出、何かある」

「昔、お父さんと恋愛しとった頃、家にお義父さんが
迎えにきたら、口笛吹きよったんよー」

「何でー」

「私の父親に、分からんようにね、自分が来たことを口笛で合図をするんよ、これからダンスに行こう言うえね」

「お母さん、物凄くロマンティックなお話じゃあねー」

時代時代で、さまざまな伝え方がありますが、母の時代の伝言方法、素敵だなーと思いました。


【ばあばの俳句】


幼子の露天楽しき夏まつり


夏休みの思い出の一つが夏まつりです。夜店の露店で家族で楽しんだ金魚すくいは今も遠い幼い頃の記憶の中に残っています。

母は私たち姉妹の昔を懐かしんでこの句を詠みました。

夏まつりの思い出は様々です。露店のりんご飴やイカ焼き、花火ムンムンとした夏の空気と共に思い出します。



▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」と20時前後には「フリートークでこんばんは」も音声配信しています。お聞きいただければとても嬉しいです。

たくさんの記事の中から、「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただきありがとうございます。
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私のアルバムの中の写真から

また明日お会いしましょう。💗

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