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青春にタイムトラベル
心地いい揺れが私を遠い昔の学生時代に誘ってくれます。この電車にはよく乗りました。大学一年から4年間、数多くの思い出が詰まっています。
私は、市内電車に揺られながら大学のOB会の打ち合わせをするためにキャンパスに向かっていました。その日は少し早めに家を出て、青春の記憶の旅に出掛けてみようと思ったのです。
あの頃はどんな思いでこの電車に揺られていたんだろう・・・。ガタゴトと揺れる車内で「チン、チンという」と言う路面電車ならではのレトロな音を聞きながら、ぼんやりと記憶を遡ってみました。
「あの頃の私は、若かった」未熟で、世間知らずで泣き虫でわがままで生真面目で、少しも面白くない女の子だったような気がします。
ものすごく人目を気にしていて、自意識過剰で誰も見ていないのに見られているような気持ちでいたと思います。他人に意識が向かっていたのです。その上、鷹揚さも包容力もなかったと思います。独りよがりの魅力のない女の子でした。
でもその分、とても純粋な気持ちに溢れていたような気がします。
大学近くの電停で友人とよく恋の話をしていた記憶があります。自分のことは話さないで、友人の恋愛相談に乗っていました。恋愛経験が豊富だったわけでもないのに、いい加減なものです。
当時の私は、大人になり切れない少女と女性のちょうど中間のような曖昧な年頃だったと思います。
きちんと授業に出席する真面目な友人たちと一緒に行動していました。女性3人グループでキャンパスでは目立っていたかもしれません。
試験の時は何故か私が仲間たちに回答のポイントなどを教えていましたが、的を得ていたかどうかは疑問です。
私はキャンパスでよく男子学生に間違えられました。身長が高くショートボブだったので、女性っぽい顔をした男子学生に見られたのです。ジーンスをよく履いていたせいもあるかも知れません。
私はよく笑っていました。仲間との笑顔を思い出します。
「さっきから私たちのこと、ずっとみている男子グループがいるんだけど、何か変じゃない」
「ほんとだねー、でもタイプじゃないかも」なんて好き勝手言っていました。
でも大学4年生の時のキャンパスでの記憶はあまりありません。その頃からテレビ局のアシスタントのアルバイトをしていたからです。毎日が刺激的で新しい体験の連続でした。キャンパスの仲間たちの私を見る目も変わっていました。
大学の卒業式の後にそのまま晴れ着姿でデパートの中継に入ったような記憶があります。あれからもう40年以上経ってしまいました。
そんなことを思い出していると、電車が大学近くの駅に到着しました。私は当時の自分に戻った気分で、キャンパスまでの道を歩いていました。とても満たされた気分でした。
大学の門をくぐって、今も当時と変わらないキャンパスにある噴水を眺めながら、暫く感傷に浸っていました。
私の青春へのタイムトラベルは心地がいいものでした。
時折、自分の人生を懐かしい場所に身を置いて、当時を思い返してみると、心の中にしまい込んでいたアルバムがいろんなことを教えてくれるような気がします。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《私はあんまり覚えて無いんよねー》
夕食後クッキーを食べているばあはと。
「私も忙しかったけん、あんまり覚えてないんよ、あんたの妹が中学生じやったけんそっちに忙しかったんよ」
「えー、覚えてないとはショック」
「あんた家庭教師のアルバイトしよったねー、デパートの催事にも行きよった、他は覚えてないんよ」
「テレビ局のアルバイトは覚えとる」
「テレビはよう見よったよ、ほじゃけどあんまり覚えてないんよねー」
私の記憶は私の中にあるので悲しくはありません。母も妹の教育に忙しかったんだと思います。
【ばあばの俳句】
老松と語るひととき秋の園
母は年月が経っても青々と命を燃やす老松の力強さをひととき見とれ、そのパワーをいただいています。ありがたいそのたたずまいを暫し見とれている自分の姿を詠みました。
何故か樹齢の重ねた老木から人間と同じように教えられるものがあり、その姿を見ていると落ち着くものです。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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私のアルバムの中の写真から
また明日お会いしましょう。💗
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