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近くにいる人に厳しい私

人には様々な顔があります。穏やかな顔もあれば、時には修羅のような顔をする時もあります。私も意地悪なおばさんになる時があるのです。

そんな顔を見せるのは何故か身内になってしまいます。他人なら作り笑いでごまかすところを、厳しい言葉を発したり、とことん追究して、相手が逃げ場を失うくらい、論破する時もあります。

言った後に考えると「怖ろしや私」です

最近、母と話していて、そんな私を感じる時があります。もっと大らかに何でも受け入れて、しなやかな葦のように対応すればいいものを、ついつい真理を追究してしまうのです。

何故こんなことを書くのか、それは私がもっと大らかで優しい人になりたいからです。自分自身への戒めのつもりでこうして書き記しておこうと思います。

お母さん、強い言葉で間違いを正す私を許してください
91歳のおばあちゃんにそこまで言って、私の正当な意見を言わなくても
流しておけばいいものを、ついつい言ってしまう私がいるのです。

お母さんはよく言っているよね「昨日のカラスがまた鳴きよらいと思て、いちいち気にせずに流したらええんよ」と、そうです流せばいいのです
ところが実際は、いちいち私が正しいと思うことを言ってしまうのです。
でも私の言葉の根っこには母への思いがあるのです。
だから言い過ぎてしまうのです。

一番身近な人にやさしくできなくて、他人に鷹揚になれるわけがない
そう思ってこれからは少し変わりたいと思います

今日はnoteを私の愚痴のツボにしてしまいました。今日から母に少し優しくなれそうです。

【毎日がバトル:山田家の女たち】

《私はこのままじゃけん、相手が変わらんとね》


「ありがとう、これからは喧嘩せずにやさしくしてや、嬉しいわい」

「お母さんは変わらんのかなー」

「私はもう91年このままじゃけん、変わらんのよ、あんたが変わらんかったら自分を変えることは無いと思います」

母は躊躇することなく、そう言いにっこり笑いました。



 春雨の上がるを待てり夕まぐれ

母が個性的なイラストと俳句をコラボさせました。
季語の春雨は春に降る雨の中でも細やかに降り続く雨のことを言います。
夕暮れ時になっても降りやまない雨が上がるのをじっと待つ人の姿を詠みました。
いつか降りやんでその後はきっといいことが待っているだろう。
母はこの混沌の時代を憂いながら、この句を詠みました。

最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。

また明日お会いしましょう。💗

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