【hint.212】あなたの意見からも学ばせて欲しいのです
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眠たい朝なのです。笑
昨晩は、寝る前に妻といろいろと話をしていたこともあり、そしておそらく、イベント前ということもあって、いつもよりインプットが強烈になっていることも手伝ってなのでしょう、「こんなふうにしたらおもしろいって!」ってアイデアがいくつも浮かんできてしまって、うまく寝付けず。
いやぁ、あの感覚、たまにあるんですよね。
それ自体は楽しいし、気持ちがいい(って感じかな)のだけれど、いかんせん、往々にして睡眠時間が削られてしまうことになるので、その点だけが悩みどころです。
今後、どこかのタイミングで(まだかなり先になると思っています)、noteの中でも昨晩のアイデアについてお伝えしたいなと考えていますが、今のところはまだまだ全然整っていないのでね。
「あぁ、この時だったんだ」と自分でわかるように、と備忘録的な意味合いで、今朝ここに少し書いてみました。
さて、そのアイデアとは別に、昨晩の僕のあたまの中をとても忙しくしたものがあります。
昨日の朝noteでも少し取り上げた、こちらの本。
引き続き読み進めている中で、「よし、明日の朝noteでとりあげよう」と思いついた箇所がありました。
明日開催する「らいキチカフェ|読書会」、これをどのようなものだと僕が考えていて、どんなことを大切にしたいのか、そして、皆さんも気になるかもしれない『専門性』という点について、僕自身がどのように考えているのか、ということの一部を、うまく説明してくれている感覚になった箇所があったのです。
心理学を教える教授でもある私たちは、社会構成主義が授業実践に効果的だと実感しています。
一つ例を挙げると、私たちは今、できる限り講義ではなく学生との対話を試みています。なぜそうするのでしょうか?
従来型の「教える」という概念は個人主義に基づいているため、関係性の中から意味が生まれるということが考慮されておらず、機能不全に陥っています。
このため、私たちは「学生の頭の中に知識を流し込む」ことが教師の務めだという考えとは決別しました。その代わり、学生がこれまでにない対話に参加するのを可能にするリソースだと私たちが認めたものを教室に持ち込んでいます。
しかし一方で、学生たち自身もまた、「リアルなこと」「合理的なこと」「良いこと」について説明する有益な言葉を持ち合わせています。学生は対話の中で自らのスキルを活用できるようになり、意味のある会話を生み出せるようになります。さらに、他者(私たち教師も含む)の発言内容にも気を配らなければなりません。
教室環境が敬意に満ちた受容的なものであれば、学生たちは活気づき積極的に取り組みます。対話を通して学生たちは自分自身の考え方に気づくのですが、それは社会構成主義の知の伝統にのっとって私たちが提供するものです。私たち自身も学生から学びます。教えることと学ぶことは交差するのです。
僕と妻とで開催している「らいキチカフェ」に関しては、話題提供をする僕自身がその本に関しての『専門家』でもない(ことが多い)し、参加していただける方が、上の引用文の中にある「学生」にまったくもって当てはまるとは思っていませんが、
上の文章の「教師」の部分を「僕」に、「学生」の部分を「参加者」に読み替えると、感覚としてはとても似ているなぁと思ったんですね。
「らいキチカフェ」の中で、僕がお伝えすることは、「唯一の正解」だという認識はまったくありません。あくまでも「僕が『良い』と感じていること」と言えばしっくりくるような気がします。
その「僕が『良い』と感じていること」の中には、いわゆる「科学的根拠に基づいた情報」が混ざっていることもありますし、「僕が個人的な体験に基づいて感じ考えたこと」が混ざっていることもあります。
こんなことを言うと、「そんな正確(正解)かどうかもわからない情報を伝えているのか!?」と、感じる方もいらっしゃるでしょう。
と言うか、数年までの僕がそうだったのですがね。笑
僕たちは何も、「らいキチカフェ」に参加してもらうことで、『専門家』を排出したいわけではありません。
参加してくださった方々が、ある情報に触れて(今回は本)それぞれに感じたことを「ひとつの正解・真実」として、その場に提供できる環境を整えることで、
「自分自身の世界観・価値観・意見がどんなふうに偏っているか(僕も含めみんな偏っていると思っています)」に気づいたり、必要であればそこからその「自分自身の世界観・価値観・意見の偏り」を、その瞬間から「より生きやすい・便利だ」と思うものへと変化させていくお手伝い(というか見届け人)をするような感覚でしょうか。
そういう雰囲気の場所・時間の過ごし方を、提供したいなぁと考えているんですね。
だから、僕自身も、けっこうたたき台のような感じで意見を伝えますが、最終的に少し違った主張へと変化させることもよくあるし、なんならだいぶ違う意見を採用することもあるんですね。
なんとなく僕と妻が大切にしたいものが伝えられたでしょうか。
僕たちは『専門家』として、参加してくださる『生徒』に、「こちらの考える物語(絶対的真実)」を「教える」のではないのですね。
そこで語られることが、必ずしも「正しい」のかはわかりませんが、「やさしい」もの・雰囲気になるという感じでしょうか。
興味がある方はぜひ、ご一緒しましょうよ。
あなたの意見からも学ばせて欲しいのです。
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