写真_2018-10-17_20_53_50

【hint.204】そんなことを色々と話してみたいなぁと思っている

毎朝note書いてます

・ ・ ・ ・ ・ 

 僕は、何か一つの発信に偏ってくると、だんだんと居心地が悪くなってくるという少々厄介なライフスタイル(性格・特徴)を持っている。

 あるいは、自分の中にあるいろんな興味関心のタネのようなものを、忙しいからといって、気づかないふりをして踏み潰して通り過ぎることをしたくないという感覚がある、と言い換えてもいいかもしれない。

 つい6年ぐらい前までは、そうは言っても、タネを踏み潰して通り過ぎることに慣れてしまっていて、そして怖いことに、それに慣れてしまうと、「タネ」というものがまるでこの世に最初から無いかのように振舞うことが普通となってしまっていたから、今とはまた全然違うスタイルだったんだよね。


 いや、今朝は昔の自分の話をしたいわけではないのだった。

 冒頭に書いたように、「何か一つの発信に偏る」ことは、僕としてはムズムズとしてしまうから、「朝noteに書くことはなんでもいいよ」って自由度が高すぎると、おそらく「で、この人はnoteを使って何がしたいんだろう?」ってぐらいに色々とテーマを変化させてしまうから、ある程度心地の良い縛りを設けてみるというのもいいんだよなぁと。

「今日の晩御飯は何がいい?」

「なんでもいいよ」

は、けっこう大変なのですよ。


 もうここでいつもなら終わっているような気がするが、もうひと頑張りしてみることにする。

 来週の木曜日、「らいキチカフェ|読書会」を開催する。

 らいキチカフェ関連のnoteを集めたマガジン↓


 今回、全5回の予定で読み進めていく本の中から、今日も、僕が特におもしろいなと感じた部分、ぜひ参加者の皆さんといろんな意見交換がしてみたいなと思っている部分をご紹介。

 人には色々な顔がある。── それは、ネットが登場する以前から、多くの人が知っていた。しかし、それが可視化されたインパクトは、決して小さくなかった。私と接していない場所で、その人がどんな様子なのかは、かつてはまったく知る機会がなかったからである。その場に私が立ち会ってしまえば、また私向けの顔が覗くだろう。

 一人の人間を「対人関係ごとに違う顔を持った『分人』の集合体」であると捉えるということは、「ネットに対する『分人』」という視点をもたらすことができ、上記のように解釈することもできるようになる。

 僕自身、約6年前にはSNSやブログなどはほとんど活用していなかったが、そこからFacebook、Instagram、ブログ、twitter、そしてnoteと、徐々にいろいろなサービスを活用し始めた経緯がある。

 そして、元々は、というか今も現実世界で人と接する時には多くの場合、饒舌に話をする、というよりは、その場の話を聞いて過ごしていることが多いし、どこでも誰にでも、こうやって文章にしているようなことを積極的に話すわけではないから、「ネットの中の僕」と「現実世界で会った時の僕」とに違和感を感じる人も少なくないんだろうなぁと、思っている。

 こうやって発信をするようになってから、日々人と会っていると、僕以外にも、「ネットの中」と「現実世界」ではかなり違う印象の方はとてもたくさんいることに気づいたし、「ネットの中」も「現実世界」もほぼ同じ印象の方もたくさんいることに気づいたから、上の引用で言われていることはよくわかる気がするのだけれども、皆さんはどうだろうか?

 そんなことを色々と話してみたいなぁと思っている。

・ ・ ・ ・ ・ 

昨日の「朝note」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?