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卒業式なんかいらない。…はずだった

4年前の春。
この上ないほど嬉しくって、
この上ないほど悲しい出来事が起きました。

2020年3月。
私は大学を卒業しました。
そう、コロナで卒業式が中止となってしまったのです。
・・・いや、それ自体は別に良いんです。

だけど私は、5年越しの卒業式を開催したい。


冷酷な吉報。ーー4年の冬

LiSA さんが「紅蓮華」を歌った2019年末の大晦日。

あと3か月で卒業だ!
もっと学生生活を謳歌したい気持ちもあるけれど、社会人生活も楽しみ過ぎる。
きっと「入社いつ?」と言われたら「あ~東京オリンピックの年か!」と東京オリンピックが代名詞として語られる入社組になれるはず…!
そんな輝かしい社会人生活を夢見て、心躍らせていました。

こうして迎えた2020年の1月。
武漢が閉鎖。

私はその日、北京経由でヨーロッパ旅行中でした。
卒業前の最後の大旅行を実行していたのです。
帰りの飛行機でCAさんが全員防護マスク姿。
・・・怖い、何かが起きている。

でも日本は関係ないし、1ヶ月もすれば何事もなかったかのように落ち着いているはず。

そんな中、3月に入って緊急事態宣言が発令。
あ、これはもう卒業式がなくなるな。

でも別に卒業式なんて、なくたって良くない?笑

by友達と同級生と知らない人と、私

友達も口を揃えてそう言いますし、私自身そう思っていました。
卒業式なんて、別になくたって良い。

そう思っていた、はずなのに。

ピコンッ
一通の着信が私の元へ舞い込みました。
もう使うこともないと思っていた大学のメールアドレスです。

この通知により、私を取り巻く状況が、540度一変してしまったのです。

お願い、卒業式やってぇえ…!

2020年3月。
ドキドキの卒業判定。
無事合格。大学を卒業できることが確定しました。
大学の4年間の成績も発表されました。

そこまでは良かったんです、
そこまでは。

そこに追加で届いた一通のメール。

「あなたは、首席卒業です」

大学から来たメール

・・・!!!

私の大学では、学部で成績が1番の人が総代です。
よって、卒業式では唯一名前を呼ばれ、卒業証書を学長から授与されるという名誉ある経験をすることができるのです!

前言撤回!
こうなったら、何としてでも卒業式をやってもらうしかない…!

だって考えてみてください。
首席であることを自ら友人に言うことなどできますか?
卒業式で総代となって初めて、知り合いにアピールできるんです。
しかも学校中の全員に…!

首席? だからなに

知り合いには言えたことがないので、
人生初、noteで自慢させていただきました(笑)

私自身、思うことは山ほどあります。
「首席って言ったって、毎年首席はいるわけでしょ、価値ないじゃん」
「頭良いアピール? でもハーバードじゃないんだから結局バカだよね」
「勉強より大事なことをやれるのが大学生活でしょ?」
「肩書しか自慢できないなんて中身薄っぺらい」

そうなんです。
首席って、一見自慢になりそうですが実は全然価値がないんです。

このように思えば思うからこそ、
"絶対卒業式をやってほしい!"という想いが強く膨れ上がるのです。

なぜなら首席の唯一のメリット。
それこそが、卒業式で総代になれること。
ただ一つだけなのです。

その特権を奪われると言うことは、私の4年間を見捨てられるのと同義。
そんな私を嘲笑うかのように、大学がお知らせを出しました。

「2020年3月の卒業式は中止となりました」

大学WEB掲示板

…ですよねッ!!泣泣泣


呪縛の応報。ーー2年の夏

例えば、今満員電車に乗っているとして。
「このまま降りなければ、広瀬すずさんに会ってツーショット撮れますよ」
こう言われたら、降りる勇気はありますか?

降りれば、もっと空いていて快適な新幹線に乗り換え可能です。
駅弁でも買って、ふらっと田園風景にたそがれることもできます。
そもそも、広瀬すずさんに会いたいなんて思ったことがなかったかもしれません。

でも広瀬すずさんには一生会えないし、写真も残りません。
じゃあ、このまま満員電車に乗り続ける覚悟はできますか?
景色も見えづらいし、ずっと立っていなければいけません。
ただ、絶対耐えられないか? と問われればそんなこともありません。

満喫しよう! "人生の夏休み"

大学に入学するときに、決めたのです。

学業よりも自由時間を謳歌してやるぞっ!!

高校では、より良い成績を取ろうと学業に励んできました。
しかし、勉強ばかりの人生はつまらない。
サークルや学外での活動などに力を入れて楽しみたい…ッ!

実際に大学に入学し、勉学に励むのは難しいと感じました。
高校までとは違い、試験が半年に一度だけ。
半年前の授業で聞いたことなんて覚えていられるはずもありません。
また、より良い成績を目指そうと思ったところで、滑り止めとして不本意ながら入学してきた人たちが多くいる中で敵うはずもありません。

単位さえ取り続けられればそれで良いと考えたのです。

1回限りの片道切符

気楽にほどほどに🍀
そうやって過ごした最初の1年間は非常に優雅で充実していました。

テストのため、というよりも知的好奇心のため。
肩の力をぶら~んと抜いて、図鑑をめくるように講義を受ける。
うん、大学生活はこのくらいで十分だ。

ところが2年生になった時。
不幸で幸運な通知音に襲われました。

ピコンッ

あなたは、現在「次席」です。

大学から来たメール

えーーーーーッ

どうやら成績優秀者を集めた表彰式があるらしく、その連絡が来たのです。
1年生時点で首席は、私の中学時代からの同級生「山田」でした。
山田は中高共に常に学年1位だったので、私には到底及ばない学力差がありました。

ーー山田には敵わない。

されど、大学で次席。
この序列を掴み続けるか、手放すか。
この2択に迫られることになりました。

私の学部では、大学2年生が一番の山場だと言われています。
授業が多く、内容もハードなものばかりです。
同時に、所属するサークルでも夏から幹部になるタイミング。
さらには、学外での活動では代表を務めることが決まっていました。

私の掲げた大学生活は、こんなにも縛られるものではなかったはずでした。

No.2の価値

私にとって息苦しくて溜まらない1年間が始まりました。
そもそも、序列を維持するために勉強するなんて本末転倒です。
全く逆のことを考えて、昨年の1年間を送ってきたのですから。

しかし「次席」という響きには特別なものがあります。
首席、次席には数字がつきませんが、その後は「第3席」「第4席」と数字で呼ばれるのです。

そして、周りの学生を見ていて私は後ろめたさを抱えていました。
何といっても、キラキラ輝いて見えたから。

THE・学生 といったイメージで。
恋愛したり部活で活躍したり。
頭の回転が速いなと圧倒されたり、海外にいるかのような流ちょうな英語で国際交流していたり。
起業してセブンイレブンと提携したり、ミスコンで優勝してアナウンサー活動始めていたり。
そんな眩しくて目を背けたくなるような人たちが何百何千といるのです。

一方で、何者でもない自分。
言葉にはしていなかった劣等感が、積もっていました。
そして「次席」だと聞いたとき、少しだけホッとできたんです。

教室を見渡しながら救われました。
あぁ、山田だけには勝てないけれど。
この人達より唯一勝っていることが、自分にもあったんだ。。。

人と競うものでもなければ、勝敗にすがるものでもないはずなのに。
孤独な承認欲求なんて、破滅への入り口のはずなのに。。
心が弱っていた自分には、次席という鎧をまとうことができたことが、心底嬉しかったんです。

2年生の1年間で、本当に辛かった理由。
それは、次席を維持するか手離すかを決めきれなかったからです。

序列に縛られることがいかに愚かなことか、常に考えていました。
なにより課外活動に力を入れたい。
しかし今の順位を手離す勇気もない。

勉強する意味を悶々と考える日々。
しかし結論が出ないので、とりあえず勉学に励む日々。
サークルにも力を入れつつ、どこか不安の拭えない日々。

スパっと諦めて、
どっちかに決めてしまえた方がラクなのに。
こうして、暗黒の2年生を過ごしました。

そして2度目の成績上位者の表彰式。
私の序列は、第4席にまで転落していました。


曖昧な位置情報。ーー3年の秋

ちなみに山田は第5席。
人生で初めて、私が山田を上回ったのです。

この時の表彰は、あくまで2年間の累計ではなく2年生の1年間のみの序列でした。おそらく、1年次の上位5名がシャッフルされたような状況だったのでしょう。

そうです。
この時点では、誰が首席になるかわからないという拮抗状態だったのです。
私は決意しました。

狙うは首席。

3年生にもなると、卒業要件単位もゴールが見えてきていました。
サークルの代表も小慣れてきた頃だったのです。

そして首席になり、卒業式で学長から卒業証書をもらう。
7歳から22歳までの15年間の学生時代を締めくくる有終の美。
大学生活最後に叶える夢ができました。

90点を目指す世界

私の大学の成績評価はこのようになっています。

秀:90点~
優:80点~
良:70点~
可:60点~
不:60点未満

パレートの法則ってご存じですか?
2割の時間で8割の成果を得られる、というものです。
上記のような成績評価システムの場合、100点を取っても90点を取っても結果は同じです。

少ない労力好成績を収めるには90点を取ればよいのです。
最近の大学は、出席点という授業に出るだけで10点程度入ることも増えています。
そして授業内のプチレポートも約10点入ります。
このように考えると、テストは85点を取れば良い計算です。

人生の相対性理論

アインシュタインの相対性理論の話ではありません。
私は大学入学時に決めた理想も追い求めることに決めました。

「学業よりも自由時間を謳歌してやるぞっ!!」

人生の優先順位は、あくまで学業よりも自由時間。
学業で90点を目指すなら、相対的にそれ以上自由時間を謳歌すれば良い。
サークル、バイト、学外のコミュニティ、読書、旅行。。。

学業に一つ明確な指針ができたことで、それ以外の時間の使い方も輪郭が定まってきました。

初めて届いた首席の座

4年生になり、3度目の成績優秀者の表彰式。
3年生の1年間のみの成績で序列を知ることができました。
念願叶って、首席。

山田は相変わらず第5席だったので、4年生さえ乗り切れば私の夢に王手がかかります。
こうして、最終学年の火ぶたが切られたのです。

大学では、GPAという成績評価基準があります。
4年間の累計の成績が、0~4の数字で示されるのです。
4.00が最高で、0.00が最低となります。

私のGPAは3.89。
ヒアリングした結果、おそらく首席にはなれそうです。
小数第2位までが成績表に印字されるので、見た目的には3.90を狙いたいところです。

が、計算したところ、、、
GPAを0.01上げるために32単位「秀」をとる必要がありました。
反対に一つでも「優」を取ると転落です。

特に4年生は就職活動もあり授業に出席できません。
仕方がないので追加で授業を取ることは諦めました。

また、土曜日に受けていた授業を履修中止にしたこともあります。
理由は、ゼミで出場した全国コンペの決勝戦の日が土曜日で重なったからです。
それまでの4ヶ月、レポート等すべて提出していたので、終盤での履修中止は辛かったです。
首席死守のための合理的な判断をしました。

ここだけの話ですが履修登録をせずに受けた授業はいくつもあります。
いわゆる、モグリです。
成績を気にせず開講科目を調べると、意外と面白そうな授業がわんさかあるんです笑

そして絶対に忘れてはいけないことがあります。
卒業式で総代になるための絶対条件。
それが、卒論提出です。

私の大学は卒論を提出しなくても卒業できるのですが、総代にはなれません。
年末年始は死に物狂いで卒論を完成させます。
紅白で紅蓮華が歌われ年を越した2020年1月。
卒論受付初日の朝一に出向き、満を持して提出を完了させました。

遂に、準備万端。
卒業式で総代となる万全の態勢が整いました。


憧れの快報。ーー5年後の春

その矢先、冷酷な吉報により出鼻をくじかれます。
コロナで卒業式が中止。

私が授業を履修中止してまで叶えようとした夢は、なんだったの?
自らアピールできない首席の唯一の特典が、総代じゃなかったの??
こんなことなら、授業サボって飲み会に行きたかったのに…!
授業休んでバイトして、もっと旅行代貯めたかった…!!

「首席になる過程で得られたものもあったなら良かったんじゃない?」
もう一人の私が正論を振りかざします。
しかしいずれも、首席でなければ得られなかったものではないんです。

1年後。
コロナで延期となっていた入学式が行われていました。
コロナで中止となった成人式も、至る所で開催されました。

「卒業式なんてなくても良い」
私でさえそう思っていたので、自分の大学が開催してくれるとは思えません。
だったら、自分で卒業式を企画しよう。

夢が破れたあの日から4年後。
ふと、そう思い立ちました。

グサグサ刺されるものなのか

世の中、コロナで被害を被った人達と比べると、卒業式の中止くらい大したことではありません。
内定を取り消された友人もいますし、留学がオジャンになった友人もいます。
就活で語れるような経験ができなくなりましたし、経営が破綻した人も命を落とした方もいらっしゃいます。

取り返しのつかない人達が大勢いる中で、卒業式程度簡単にやり直せるはず。
現に卒業式を延期開催した大学もあるようです。
ただ、一人では現実的ではないので仲間集めから開始します。
5年目の節目となる2025年3月を目標に今から動き出せば、開催できるかもしれません。

協力者を募ってみると、驚くほどに賛同してもらえません。
「仕事がバタバタしていて」
「数年経っちゃってもう興味がない」
「やる意義は? 社会的メリットはどこにあるの?」
「まだ5年だから久々に会いたいとも思ってない」
「どうせ誰も来ないよ」

心がえぐられるほど苦しいのは、みんな一言で返事をしてくれるわけではないと言うことです。
要約すれば上に挙げたような内容ですが、その正当性を証明するかのように何十行にも渡って理由を書いてくるのです。

一行で「~だから協力できない」と言われれば納得できますが、
できない理由をこっちの依頼の何倍もの量で返事が来ると、読み進めるのが辛いです。

救われる嬉しさ

「良いんじゃない?」と言ってくれる人もいました。

大学には卒業生の窓口になっている部署があるのでそこに話を持っていくと良いのでは?

他大学ではホームカミングデー(卒業生がやる学園祭)の時に一緒に開催したらしいよ

卒業生本人より親の方が卒業式が中止になったことを悔やんでいるだろうから、親に手紙を出すと効果的かも

などなど。
もし大学全体で開催するのが難しいなら、学部の卒業式として開催しても良いかも、と意見をくれたり。
そう考えると、どんな形であれ場所と時間さえ決められればできるのではないか? と期待できる部分もあります。

しかし予算をどうするか。
大学行事として行えるなら大学から補助をもらえないだろうか。
参加費のかかる卒業式に人は集まらない気がします。。。

また、協力者を募ったところで協力してくれる人にメリットがないというところもネックです。首席でもない限り、多忙な合間を縫って卒業式をやりたいと思う人はいないと思います。

ぜひアイディアございましたらご教示ください(>_<)

夢のまた夢

すごく面白そうだな、と思うのは数大学合同の卒業式です。
成人式のようなイベントのイメージです。

というのも、卒業証書は既に受け取っていますので大学から渡されるものはありません。
例えば、午前中に大ホールなどで合同卒業式を開催します。

コロナでできなかった卒業式を企画する、ということで地域のメディアにもお声がけします。
そして合同開催する学長陣と、出身の著名人にご挨拶いただきます。

その日はどの大学でも「卒業式」の看板を出しておき、
午後からは自由に友達同士でそれぞれの出身大学へ写真を撮りに行けたらどうでしょうか?

5年後なら結婚している人も増えていたり、赤ちゃん連れてくる人もいたり。
小学校の頃の同級生と一緒に自分の大学や友達の大学で卒業の記念撮影を一緒にしたり。

「○○大学の卒業式」という枠を超え、コロナ卒業世代全体の卒業式が開催出来たら。。。
大学4年間の集大成でありつつ、学業に励んだ16年間の盛大な締めくくりとしてイベントが開催出来たらとっても楽しいだろうなと思います。



最後まで読んでくださりありがとうございます!!

2025年の3月。
1年後に向けて開催するには、課題やハードルが山積みです。
でも本当に叶えられたら、きっと楽しいだろうなと心の底から思ってます。


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