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顔も名前も知らない〇〇さんへ

家族にも、親友にもヒミツ

ヒミツは、20歳の誕生日を迎えた日のことです。
誰にも言ったことがありません。

だってきっと変人だと笑われるから。
それに、恥ずかしがらずに言える自信もないですから。

20歳の誕生日を迎えた日、ふと思い立ったのです。

そうだ、将来の我が子へ手紙を書こう。


小学6年生で自覚していた夢

ーー子育てをしたい。

いつから思っていたのかはわかりません。
ただ、6年生の時にはそう考えていた自覚があります。

私の小学校6年生の時の昼休みは、毎日鬼ごっこをしていました。
メンバーは10人くらい。
そのうち同学年は3人で、過半数が1年生でした。

きっかけは集団登校。
登校班が同じだった1年生、ふみかちゃんと仲良くなり、ふみかちゃんのクラスメイト達と一緒に鬼ごっこをするようになったのです。
もちろん、圧倒的に6年生の私たちが勝つに決まっています。
でも重要なのは、勝つことではなく一緒に遊ぶこと。

毎日楽しんでいたということは、私達6年生も、ふみかちゃん達も楽しんでいたということでしょう。

そんな幸せな日々は、たったの1年で終わりを迎えます。
私達が卒業してしまうからです。
また、ふみかちゃんもお引越しをしてしまいました。
学区内のため学校は転校していないようでしたが、登下校のルートは異なってしまいました。
卒業後、一度だけ道で会いました。私が中学3年生の時でした。
あの時はまだ私のことを覚えてくれていてとても嬉しかったんです。

でもさらに10年が経った今、
きっともう、私のことなんて覚えていないのだろうなと思います。

でもその1年間が、私に自覚させてくれました。
自分は小さい子と遊ぶのが大好きなんだ。

だったらいつか、子育てをしてみたい……!

いつかもし子どもが生まれたなら…

Hilcrhymeの「春夏秋冬」という曲の歌詞が心に響きました。

いつかもし子供が生まれたなら教えようこの場所だけは伝えなきゃな

Hilcrhyme「春夏秋冬」

私が6年生の時からぼんやりと思っていたことを、言語化してくれた。
そんな気持ちになったのです。

この曲を聴いてから、時折頭の中で再生させています。
「いつかもし子どもが生まれたなら」というフレーズ。

いつかもし子どもが生まれたなら、一緒に鬼ごっこをして遊びたい。
そのためには、ちゃんと体力をつけておかないと。
その日のために、童心を忘れないように生きていきたい。

海外旅行をするときも、ふと考えてしまいます。
あぁ、ここ。将来の家族と一緒に来たいな。。。
ちなみに特に強く思ったのは2ヶ国です。
シンガポールとバハマ。
どちらもリゾート地で最ッ高でした…!

我が子に語れる人生を歩もう

人生の分岐点では、「我が子に語れるか?」という問いかけを自分にしていました。
受験をするか内部進学をするか。このお金の使い方は適切か。留学をする理由、などなど。
その最たる例は、就職活動の企業選びです。

食品、エンタメ、出版、教育、IT、鉄道、宇宙開発、公的機関。。。
多種多様な職種の中で、私が最終的に選んだのは大学職員でした。
もちろん内定をいただけたから、というのが最大の理由です。

大学職員は、夏休みが半月くらいあったり冬休みも2週間あります。
我が子と一緒に長期で過ごすことができるという利点があります。

また、職場(=大学)に足を踏み入れることが容易です。
「ここで働いているんだよ」とお散歩ができるのです。

さらに重要なのは、仕事を誇ることができることです。
実は、ずっと食品メーカーに行こうと考えていました。
しかし私には自信がなくなりました。
我が子がお菓子を食べすぎる時、私は胸を張って注意できるでしょうか?

…とはいえ、今後転職する可能性はありますが(笑)

時々怠けたり、ダラけたり。
信号無視をしようと思ったり、お年寄りに席を譲るのを躊躇ったり。
そういう時は問いかけるようにしています。

できてる?? 将来、ちゃんと語れる生き方。


30年後の我が子へ

こんな私が、20歳の誕生日を迎えました。
ふと思ったのです。

そうだ、将来の我が子へ手紙を書こう。

しかし書いた事実すら誰にも話したことがありません。

「親バカ、恥ずかしすぎるでしょ」
「そもそも結婚の予定あんの?」
「子どもが親のそんな手紙欲しいかね?」

きっと色々な反応が来るからです。
私の理想は、この手紙をちゃんと渡す自分であり続けること。
そして、渡せるような親子関係を築くことです。

30年前の親の姿

20歳の私が書いたお手紙。
30歳でできた子どもが20歳になることには合計30年が経ちます。
子どもが生まれるかもわかりませんし、性別も名前もわかりません。

それでも書こうと思った理由は2つです。

1つ目は、私は同い年だった親の姿をとても想像できないから。
頭ではわかっていても、親が20歳だったなんて信じられません。
どんなに頭をフル回転させたところで、20代の親の顔も趣味も価値観も全く予想がつきません。

のび太くんが羨ましいです。
だってタイムマシンで過去の両親を見に行ったことがあるんですもん。

偉そうに言っている親が、実は大したことなかったり。
うざいと思っていた親が、信じられないほど苦労をしていたり。
そういった事実を知ることができれば、今以上に人間味のある親という存在を受け入れられるような気がするのです。
だから私は、できるだけ素直に手紙をしたためました。

サークルで委員長をやっているけれど、最近すごく辛い。
「言ってることは正しいけど、正しいことを言うことが正しいわけじゃない」って言われてグサッときてます。。。
・・・(中略)
世の中は消費税は8%で、総理大臣は安倍さんで。
…歴史の授業で習ったかな?
日本は東京オリンピック以降の未来が見えていなくて不安です^^;
・・・(中略)
親として、ちゃんとやれていますか?(笑)
もしかしたら何度も偉そうなこと言ったかもしれない。大したことないくせに、と失望されているかもしれない。
だけどこれだけは本当です。
あなたに会えるのを、ずっと心待ちにしていました。
成人、おめでとう。

30年後の我が子へ

そして2つ目の理由。
それは自分への戒めです。

お前の過去は美化されすぎている

親になった時、きっと子どもだった時の気持ちは忘れてしまうでしょう。
20代の若者が何を考えているのか、理解できなくなっているでしょう。

もちろん時代が変われば悩みは変わると思いますが、
少なくとも自分が我が子と同じ歳の時、何を思い何を考えていたのか。
思い出すきっかけにはしたいと思いました。

もし「この手紙を我が子に渡したくない」と思ったら。
それはどういう理由なのか自分を見つめ返すことができるでしょう。
渡す前に読んでみたら、自分の記憶との相違がわかるかもしれません。

何も着飾っていないありのままの姿をとどめておきたい。
そう思い、手紙を書くことにしました。

この親子、素敵だな

もし我が子が生まれたら。
常々頭の片隅に置きながら生活します。

ある日。
私はパン屋でバイトをしていました。
そこに一組の親子が来店したんです。

私はいつも通り商品名をボソボソ呟きながらレジを打ちます。
「粒あんパン1点、タンドリーチキンのフォッカッチャ1点…」

すると、男の子がお母さんに言ったのです。
「どうしてパンに名前書いてないのにわかるの?」

なるほど…!
確かに、バーコードをピッとしているわけでもなければ、お菓子みたいに商品名も書いていない。
その子には不思議に見えたのでしょう。

お母さんが言いました。
「あ、よく気づいたね」

…! 私もこう言えるようになりたい!
私はこの時、男の子の質問に対する回答を即座に考えてしまいました。
頑張って覚えたから。魔法が使えるから。実はどっかに名前が書いてあるから、等々。

まずは気づいたことを褒める。
そういう親でありたいなと思います。

そもそも、きっとこの子は普段から色々な質問を投げかけているのではないでしょうか。
そうなると、親としては「またか」と思いテキトーに回答してしまうこともあるのではないかと思います。
そのようなバックグラウンドに想いを巡らせると余計に、気付いたことを褒める凄さに感銘を受けます。

その上で、「どうしてだと思う?」と一緒に考えていけたらすごく素敵だなと思います。

どうしても言えないこと

30年後の我が子へのお手紙。
でももし子どもが二人できたら?
最初の子にだけに手紙を届けるのでしょうか。

実は私は、もう1度我が子へのメッセージを残したことがあります。
3月31日。入社の前日です。

この時は手紙ではなくビデオレターにしました。
理由は前回が手書きだったこと。
そして、22歳の自分の喋り方の癖や声色、目線や髪型、体型や肌艶など残しておくと面白いかもと思ったからです。

何を話したかと言えば、社会に出る前日に抱えてきた不安です。
とにかく働きたくないということ。
大学時代は、SNSを通じて会ってみたいアニメーターや絵本作家、映画監督や経営者にお願いして話を聞きに行くという活動をしていました。
時間に融通が効かなくなるのが怖かったのです。

言えるわけない、子育てしたいなんて。

私の場合、結婚したい欲よりも子育てしたい欲の方が圧倒的です。
しかしあまり周囲の人にはいえません。

もし将来のパートナーができて、
自分や相手が原因で子どもを産むことができなかったら。
パートナーも追い詰めてしまうことになりかねないからです。

隠すことではないけれど、心に秘めることにしました。


お礼を言いたい。

ふみかちゃんと遊んだ経験があったから。
明確に「親になりたい」と自覚できたんです。

いつも一緒に遊んでくれて、ありがとう!
すっごく楽しかったよ。

きっと小学1年生の時に、毎日一緒に遊んでいた6年生のことなんて覚えていないでしょう。
そもそも再会できることもないでしょう。
5歳も離れていると、知り合いの妹や弟をあたってもらったところで行き着きません。


親のことを知らないから

我が子への手紙を書いた根底には、親のことを知りたいという欲求があるのだと思います。
どんな幼少期を過ごして、何を思って就職先を選び働いてきたのか。
どこでデートを重ねて、どれほどの勇気を出してプロポーズをしたのか。
親になる時に感じた重圧や子育てをする中で大切にしていたこと、卒業式で心揺さぶられたその気持ちはどんなものだったのか。

私が今できることは、私の親を知ること。
そして今の私を残しておくことです。


実はちょっと心に留めているフレーズがあります。

「30代は、親と対等に話せるようになる10年」
そして
「30代は、親と対等に話せる最後の10年」

私は30代はまだまだ先の話です。
30代は結婚や子育てをして、親のことがわかってくる時期だと本で読みました。
しかし40代になった時。
親は「老人」になっていて介護が必要になるかもしれない。

かと言って、今何か行動を起こせるかと問われればなかなかできません。
それでも心に留めておこうと思います。





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