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週1エッセイ 理由はシンプル

人に説明するために、よりしっかりしたように見せるために、それっぽい理屈を並べていく。やりがちなことだ。知ったばかりの小難しい言葉を使ったり、横文字ばかり並べたり。冷静になってみれば、難しい概念や言葉でも別の言葉に言い換えながらわかりやすく伝えられるほうが格好いいのだけれど。でもそんなことわかっている。ただ、虚勢を張ってしまうのだ。


僕は今年、地元に古本屋をつくろうとしている。
そのことだけが理由ではないが、同時に休学もしたため、なんでそんなことするの?と聞かれることが多い。
そしてその度に「空き家を使うハードルを下げるために、、、」とか「ヒューマンスケールを取り戻すために、、、」とか「歩けるまちに、、、」とか「まずは小さな動きから、、、」とかそれっぽいことを言ってきた。

まぁそれらが全くもって違うわけではない。
空き家を使うハードルを下げたいし、そうなるようなプロセスで進めていきたいと思っているし、もっと手の届く範囲で商いをしていきたいと思っているし、まちのなかで小さい動きをたくさん生んでいきたいと思っている。

でも古本屋をつくろうと、東京と地元(新潟)を往復したり、雑誌や書籍、インターネットで情報収集を行っていくなかで気付いたというか、忘れちゃいけないなと思ったのは「やっぱりシンプルに古本屋という空間が好きなんだな」ということだった。

静かで落ち着いていて、店によってそれぞれの雰囲気があって、ちょっと紙の古いにおいがして、付箋や文字に引かれたラインなどで前の持ち主のことを感じられて、積まれたたくさんの本のなかから偶然の出会いがあって。

そんな空間がただただ好きなんだ。好きだからそういう空間を自分でもつくりたいし、自分でつくって自分がそこにいたい。ただそれだけだ。

これまでは、誰かのつくってくれた枠組みのなかで動くことが多かった。いくつか経験した仕事もお金にはならないけど続けている活動も。誰かが動きやすい状況をつくってくれて、ある程度整った土俵の上で好き勝手やっていればよかった。ただいつからか、自分で一つ場を持ちたい、つくりたいと思うようになっていた。心から「ここは僕の場所だ」と言える場所が欲しかったのだと思う。

理由はいたってシンプル。
そのことに気付いてからは急に視界が晴れたような気がする。社会的にどんな効果があるか、何を問いかけたいのか、誰のためになるのか。もちろんそれは大事だし、しっかり説明しなきゃいけないタイミングはいずれやってくるだろう。でもそれはそれとして、忘れてはいけない、決してブレないところは確実にあって、それを大切にしていかなければいけない。

そう、僕は古本屋が好きなんだ。

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