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【世界】サスティナブルと乖離と公と feat.ヤク

 ヤク学長です. 今回は少し未来のサスティナブルな世界を考える.

日本は世界との乖離がかなり進んでいる. 例えば, SDGsなどもそうだ. SDGsが掲げている目標こそが「己の宿命だ!」として捉えられる人は少数である.

例を挙げれば, ジェンダー平等をなんとか是正しよう!といった課題解決に関しては, 女性の役員比率の低さをSNSやテレビで目にする機会が多い日本では身近な問題と捉える人が多い. しかし, 「飢餓」に関しては真逆だ. 日本人は食品を大量廃棄し, モノに溢れた社会で生きている. 飢餓ってある?という感覚だろう. 

なかなか日本以外の諸外国で課題になる事象を自分事として捉えるのは難しい. 

こういったことは, グローバリズムと私たちの身近なローカリズムを考えようとしたときに発生する乖離の表れである. 

乖離〜deviation〜

「乖離」といえば, 私自身がコンサルをしている時に, イメージと実際の乖離を甚だ感じる. コンサルといえば, 一般的なイメージは頭脳明晰な者が切れ味の良いプレゼンを行い, 拍手喝采, 尊敬などを向けられる華々しい世界だと思われるだろう…しかし、現実はそんなことはない. 

医療業界といえども, 大手になれば経営のプロが存在し非常に優秀とされる者ばかりだ. そんなプロにクリティカルに提案を行う必要がある.
基本的には, 膨大なデータ収集とデータサイエンス的な分析を行い, 死に物狂いでサイクルを回すことになる. サスティナブルなんてものは欠片もない世界だ

さて, グローバルとローカルのギャップについて物思いに耽ったところで, サスティナブルについて考えてみよう. 

あなたにとってサスティナビリティとはなんだろうか?

かつて, サーキュラーエコシステムを構築していた姿は今の日本に感じられない. 皆さんも日本人はサスティナブルな考え方が希薄になっているとは感じないだろうか?

サスティナブルと公

もともと長い歴史の中で自然とサスティナブルな様式を獲得していた日本であるが, 明治維新の最中で半ば強引に流される形で自由主義へと移っていった. ふらふらと行き着いた先の日本は, 「目先の利益」や「自分だけの得」などに必要以上に敏感に, ,重視,,する傾向があると感じている. 

また, 「公」の感覚も地の底に落ちている. 元々, コモンズの感覚が公の守備範囲であったが, 今では自分の芝生の世界=箱庭を「公」と認識している.  本来の意味である公的な社会を守ろうとする感覚が極めて薄くなっている気がしている. 

SNS上にも公の認識の劣化が見られる. SNSも1つの社会と捉えて, できるだけ皆んなが快適になるように努力しようと奮闘している人がどれだけいるのだろうか?

自分の芝生であるところの学校や会社などのオフラインのつながりは, コミュニティーを崩壊させないように必死に守る. 必死に守るがあまり生じた歪みに関しては, 陰口をSNS上で発信してしまう. つまり, オンラインをコミュニティーと捉えることはできていないと感じるのは私だけだろうか. 

かつて, どの時代を切り取っても反映した社会は寛容な社会だった.

こういったコミュニティーの歪みが浮き彫りになった社会では, 持続可能性は取りにくく、いつの間にかリアル社会にも歪みが生じてしまっている. 詰まるところ,  「サスティナブル」や「公」など若干捉えどころのない認識もリアルに落とすと理解しやすくなる.

サスティナブルを考える上での「価値」感覚

モノの価値について考えてみることにする. 
人は物の価値をどうやって考えるのかということについて触れる. 

価値があることとサスティナブルの関係性はなんだろうか?
時間、場所や移動の自由、お金、愛情といったことが該当するだろうか?

古典的な「お金」を例にとって考えてみよう.

お金に価値があると感じるのは多くの者の「信頼」が確立しているからである. 例えば, 1番高く売れるものに価値があるとした場合何が該当するだろうか?宝石や例を挙げると, , , 時計, PC, 絵画などが例にあがるかもしれない.

これらは, 基本的にはマテリアル的な物質が職人達の創意工夫が加わることよって出来上がっている. 宝石は希少金属だったり, PCも中身には半導体などの資源的に枯渇しそうなものが含まれる. 資源が枯渇すると価値が維持できないものが多分に含まれる. 

この維持は, 本当にサスティナブルなのだろうか?

感覚的に価値と持続可能性の間には距離があるように感じられるかもしれないが, その関係性を考え始めることが持続性への第一歩である.

つまり, 「価値がある」と思われるものに対して「価値をどうやって維持するのか」を考えること. 反対に「価値がないもの」を「価値があるもの」に展開していくかということに着目すること. そこを切り口にサスティナブルとは?を考えることはとても重要である. 

生きている間の世界の変化を得たときに身の回りのものはどのように変化するのだろうか? 世の中はどう変わっていくのだろうか? 変わらないものはなんだろうか? といったことを考えてみることがサスティナブルの1歩である. 

なぜサスティナブルを考える必要があるのか?

もし, あなたが環境問題を議題にしていた場合, あなたの行動の範囲内ではなかなか解決することは難しい. 国家が連携し,国境を越えて発生している環境問題は一刻の努力で解決できない問題がほとんどだからだ. 

数年前では考えもつかなかった情報技術が発展し, 国家の垣根を越えたビジネスを行う企業も数え切れないほど増えてきている. そのような中で私たちはどのように向き合うべきか.

全世界の人が既に取り組んでいる問題に自分事で問題認識を共有し, 自分なりの意見を持つ事は同じ地球人として非常に大切なことだと思う. 

未来は将来を担う子ども達のものではないだろうか. かつては子供だったあなたも今では大人だ. いつまで自分中心の世界で生きていくのだろうか. 

グローバル化した世界は一見ギャップや障害のないフラットな世界のようにも見えるが, 自分の芝生がコモンズの感覚である人達もいまだに多い.

サスティナブルなんてものは現実には程遠い状況である. 

かつてトーマス・フリードマンはフラット化する世界でインターネットによって接続された境界なきグローバル経済の要素を書き出した. しかし, 時代は流れどうなっただろうか?
現在はむしろ国境線の存在を色濃く浮き彫りにし国家を定義された国々で対立の構造をより強めている.

そんな状況の中、我々はどういった方向に進んでいくべきだろうか。

医療のテクノロジーの進化と持続性

AIの活用や再生領域が進む医療は技術革新が目覚ましい. これまで治療が困難だった治療に関して革新的な技術がいくつも登場してくる.

近年, 実際に導入され始めているのは遠隔治療やロボット手術が存在する. 将来的には, ロボティクス医療の融合によって人の手には不可能だった高速, 高精細な方法が確立されている可能性がある. その先にはナノマシンの登場により生体内の正のフィードバックやネガティブフィードバック機構の自動化を使った治療も想定されている. 

このように生命体の寿命は100年, 130年, 150年と延々と伸びることが予想されている.

果して人間の寿命が果てしなく伸びてた先に待つのは, サスティナブルなき世界なのかエコシステムのある世界なのかは分からないが, それは社会がどのような世界にしたいのか, あなたがどんな世界にしたいのかデザイン力に掛かっているに違いない. 




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