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絶望の淵から希望の瀬に

駆け出し没イチです。

スマホ&ブルートゥースイヤフォンで音楽を聴きながら草刈りをしていたら『デスパシート』がかかった。手は草刈りに動いているけれど、ルイス・フォンシの声とともにいろんな思い出がよみがえってきて、涙がぼろぼろ出て止まらない。

誰もまわりにいないので、泣きながらそのまま草刈りに専念。

“Despacito”が日本でも流行ったのかどうかはしらないけど、米国では2017年、スペイン語の曲なのに何週もトップの座にいた。Youtube では再生回数が、歴代最多記録を更新と話題になったほど。

テレビやラジオもほとんど視聴しないわたしにとっては、そんなことはどうでもいいけど、個人的にたくさんの思い出がつまっている曲のひとつだ。

夫と旅先でよく踊った曲。

「こんなふうに踊れたら素敵だよねー」

「なによりこのお尻がセクシーだよねー」

なんて言いながらふたりでずっと動画を眺めていた時間。

ギラギラの太陽の下、この曲聴きながらモヒートを飲んでいたカリビアンリゾートでの時間。

つい、この前まであたりまえにあった時空とセットの曲だったからこそ、懐かしさと、これから先はないさびしさと、愛しい思い出となったありがたさと、今、平和な気持ちで草刈りをしていられることへの感謝……と何がなんだかよくわからない感情がわさわさとわいてきて、ただただ涙となって溢れ出てしまうのだった。

昨年の今ごろ、弱って歩くこともたいへんになっていた夫を息子たちと、今草刈りをしているここに連れて来ては、建築工事の進み具合を眺めていた。

弱っていく自分と向き合いながらも、あと少しでこの家に住めると疑うことなく楽しみにしていた夫の、人生最終章の時間だった。

「早く完成するといいねぇ」

そういいながら、目を細めて工事半ばの家を見ていた夫の姿までも、なぜか、『デスパシート』が連れてきてしまうのだった。

夫はいなくなり、わたしは今、ひとりで黙々と草を刈っている。

一度は絶望の淵に沈みきったわたしが、最近やっと希望の瀬に到達できたことはほんとうに幸運なことだと思う。それこそ、子どもたちや気にかけてくれる友人たちのおかげだけど、よくよく考えてみればそれを遺してくれたのも結局は夫だったのかもしれない。

闘病中の夫との会話をふと思い出した。

「あなたね、わたしがひとりになってしまう人生を想定してこなかったのだから、こんなに早くわたしを放り出さないでね。お願いだから」

夫が末期癌を宣告され、失う恐怖に恐れおののく毎日の中で、そんなことばかりを言ってしまった。

夫は答えた。

「だいじょうぶ。オレとちがってオマエは慕われるタイプだから。困ることがあれば必ず誰かが助けてくれるはずだから。それはオマエが自分で気付いていないだけで、ある種の能力だから。オレは気付いていた。もっとも困ることなんてないと思うけどね」

あのとき、その無責任なもの言いには怒りさえ込み上げた。

失う恐怖とその後の未来が不安でしかたがなかった。絶望の淵にいたというのに、あまりに他力本願でなんの根拠もない“だいじょうぶ”には呆れてしまった。

だけど、今こうして夫が他界してからの9ヶ月を振り返ってみると、あながち夫の言葉はまちがっていなかったと思える。

たったひとりの守り神を失ってから、よりたくさんの守り神に護られていることが次から次へと起こっているからだ。この調子だと、夫が生きていたころよりも「心配のない人生」になりそうな予感すらしてきた。

絶望から這い上がる力が自分にもあったことにちょっぴり驚いている。

全国の没イチのみなさん。

それぞれに複雑な感情があることでしょうけど、生きている時間は限られているので、シアワセな瞬間を積み上げて生きましょうね。



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