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【誇り#4】良い妻だったと胸をはれる

もちろん、長く暮らしていれば晴れる日あれば曇る日もあり、ときには土砂降りって日もあるわけで、良い妻だった日ばかりではない。人間だもの。機嫌のいい日も悪い日もあった。それでも夫婦で暮らした長ーい時間を振り返れば、全体として良い妻だったと胸をはれる。「まだいっしょにいたい」が夫の最期の言葉だったことは自分に自信と誇りをくれた気がしている。言葉の力だ!

好きとか愛しているという言葉は、その瞬間に対しての感情だけど、「いっしょにいたい」ってのは、好きなときも嫌いなときも、楽しいときもつらいときも含めて時間を共有したいという“想い”がこもっているように思える。

「愛してる。でもいっしょにいたくはない」と言われたら絶望でしょ。「いっしょにいたい」のひとことのほうが、ずっと愛を感じるじゃん。どうかな?

どんな人生も山あり 谷ありだ。長く生きていればいるほど、いつも機嫌のいいハッピーカップルでいることは難しい。それでも、助け合いながら山も谷も越えてきた。土台はどんどん頑丈になって、どこよりも安らげる場になっていたのだ。

結婚以来ずっと夫が「行ってくるね」で、わたしが「おかえりー」と迎えるほうだった。いつなんどきも夫が帰りたいと思う家を築いてきたつもりだ。実際、大げんかをしようとも帰らない日はただの一度もなかった。帰ってこれば必ず温かい食事が出て一息つける場が「わたしがいる家」だった。

「まだいっしょにいたい」という言葉を遺してくれたおかげで、安らげる家だったとお墨付きをもらったような気がしている。

っとまあ、良妻だったといくら誇ってみても、夫を失ってしまった今となっては、良い妻をしようにもできなくなった。これからは、妻の看板は捨てて、自分らしく生きていくぞ。

わたしたちのような昭和世代夫婦にとっての夫婦の理想のカタチは、今の価値観からは大ズレの「良妻賢母」だった。それをあたりまえのように受け入れてきてしまったが、不幸だったとは思わない。ただ、“妻終了!”を迎えたときに困らないようにはしておくべきだったな。






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