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子育ての結果を見る思いでクックック……な日々【息子夫婦と暮らす#4】

息子夫婦との同居暮らしが始まり、もうすぐ2ヶ月になります。毎日が新鮮でクスクスしながらウォッチング堪能中。

🌈同居に至る経緯はこちらで⬇

あたりまえですけど、息子タローはわたしと夫が育てた子どもです。つまりわたしは彼が生まれたときから、大学院進学のため家を出ていった2011年までの一部始終を誰よりも知っているわけです。タローのワイフ、ムーちゃんよりもずっとずっと長い期間です。

約10年ぶりに再びいっしょに暮らし始めたものの、「母と子」という密接な関係に戻ったわけではなく、「大人の息子夫婦と母」と新たな関係での暮らしがスタートしました。

2011年ごろのタローに対しては、成人はしていたものの、学生だったので親の責任も感じていましたが、今度はその力関係すら逆転しています。昨年、想定外で夫が亡くなったことから、タローは妻のムーちゃんだけでなく、独りとなった母も護るんだという思いと重責を感じていることが日々の発言からひしひしと感じられます。

実際、夫が他界してから建築途中だった家を完成させるためにも、たくさんの責任を伴う決断が必要でした。名義上はわたしが全ての責任を負わなければなりませんでしたが、とても独りで判断できるレベルではなかったので全てタローと相談して決めました。

タローの子ども時代を知るわたしからすると、それこそが想定外に頼もしく見えます。4人の子どもの中でもタローはいちばん変わり者でした。特に幼いころは、母親のわたしが困るレベルで個性的でした。なので父親にはよくカミナリを落とされていました。

亡くなった夫は子育てには自分なりの強い理想を持っていました。「子どもたちを型枠にはめるな」とよく言いました。日本脱出を企てたのだって、当時の地元中学での管理教育や強制部活で限られたオプションに子どもたちを縛ることに疑問を感じたことが引き金となりました。

子どもが大きくなるにしたがって家族はすれ違い、そろって夕飯を食べることもできなくなる日本の日常をなんとかしたいからと、南国暮らし移住を決めたほどです。

タローにとっては、夫は「怖いかみなりおやじ」でした。昭和オトコですから、現代のデフォルトとはちがっていました。いつもやさしい甘々系、友だち系パパとはほど遠く、どちらかというと威厳ある父親だったと思います。

今のタローは夫とちがっていつもへらへら笑っていて、人にやさしいタイプです。へらへらはしていますが、政治を含め世の中の動きにはかなり敏感で自分なりの意見はしっかり持っています。グローバル企業のデータアナリストをしているので、あたりまえといえばあたりまえです。

夫はいつもニコニコしている人ではなく、自分にも他人にも厳しい人でした。夫とタローは学者気質なところは似ているのですが、真逆なところに関しては、わたしには夫から学んだ反面教師に思えて笑えてきます。

たとえば、フェミニストなところ。
たとえば、穏やかなところ。
たとえば、自分にも人にもゆるめなところ。
たとえば、がんばらないところ。
たとえば、モノを溜め込まないところ。
たとえば、気前のいいところ。

夫の実践した子育てが功を奏したと思えるところはたくさんありますが、逆に真逆なところをみつけては、おもしろくてひとりニンマリしているわけです。

実をいうと夫は、米国にわたってからは人間環境学・家族学という分野の博士でした。家族については専門分野でしたから、「反面教師ばかりがあるのはどうよ?」ってことになります。

今、息子夫婦と同居する機会を得て、わたしたち夫婦がこれまでに実践してきた「子育ての結果」が見えるのは痛快です。

何が残念と言って、ムーちゃんをとことんたいせつにしている姿を是非とも、亡き夫に見せたかったとわたしは心から悔しがっています。

⬇今から8年前のタローをネタにしたエッセイです😊



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