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『パパラギ』の言葉が刺さり、舞台の国に引っ越した/サモア移住に拍車!かけた本


🌴⬆⬆⬆(1995年夏の旅。できれば⬆こちらからお読み下さい)

南太平洋の小国サモアに3才から10才の4人の子連れで旅をした。

旅から戻ったあと、それまであたりまえだと思っていた日々の暮らしの見え方が変わってしまい、違和感が爆あがりしたところで『パパラギ』という本にであった。

であってしまった!!

旅を終えてすぐのタイミングでこの本と遭遇したことは、今思えば運命だったのだろう。

本のタイトルにもなっている「パパラギ」というのは、サモア語で西洋人とか白人という意味だ。サモアに旅をしていなければ、「パパラギ」という文字を気に留めることもなかっただろう……。

その本は、サモアのティアベア村の酋長ツイアビの演説集ということに“なっている”。サモアを訪れていたドイツ人のショイルマンが、ツイアビと共に二十世紀初頭にヨーロッパを訪ねた。再びサモアに戻って、ツイアビが見て感じたヨーロッパの文明社会のおかしさを村の人々に説いた。演説をきいたショイルマンが、ツイアビの鋭い洞察力に感銘を受け、1920年にドイツ 語で『DER PAPALAGI』として著したとされる。

その後、世界各国語に訳された『パパラギ』は世界じゅうで読み継がれているらしい。日本では1981年に立風書房から初版が刊行され、以後ロングセラーとなった。わたしが手にした時点ですでに、初版から十数年が過ぎていて、2002年には絵本版刊行、2009年には文庫本となり、今ではキンドル版でも読むことができる。

旅から戻り本を手にしてから、むさぼるように何度も読んだ。読み返すうちに、目の前にある暮らしをこんなふうにとらえることもできるのかと気づかされ、日々の暮らしに疑問を抱くようになった。そこには今でいう“パワーワード”が散りばめられていた。

サモアの旅で体験した不思議だったあれこれも、氷解するように合点がいった。旅の間にいく度となく耳にした「パランギ」(サモアではこう発音する)という言 葉の使われどころが、あとになって「なるほどそういうことだったのか」と目からウロコがポロポロ落ちた。

“Papalagi”(パパラギ)という言葉は、ときとして「利己主義な」「文明に毒された」「ひ弱な」とい ったネガティブな皮肉を込めたあだ名のように使われることもある。たとえば、モノを独り占めしようものなら、「パランギみたいなことはやめて」っと言ってみたり、高いヤシの木に登ることを躊躇するような弱虫に対しても「パランギじゃあるまいし」といった具合に使う。

 『パパラギ』の中でツイアビは言う。

「パパラギはいつもお金を欲しがっている。そのために残酷になり、偽り、 人を信じなくなったりする」

個人主義の西洋社会とちがい、サモアでは「あるモノはみんなのモノ、自分のモノもみんなのモノ」が基本だ。分かち合い精神を理解しない西洋人は、サモア人には奇異に見えても不思議はない。

そして、文明に毒されて本来備わっていたはずのあるべき能力が低下している人々の姿も、文明の矛盾と映ったのだろう。

『パパラギ』を読み、旅の間に謎だったことがツイアビの口を借りて語られるセリフから、だんだん腑に落ちていった。

🌴「パパラギはたくさんモノがなければ暮らして いけない。少ししか物を持たない者は自分のことを貧しいと言って悲しがる」

🌴「パパラギには暇がない」

🌴「パパラギには職業というものがあるので毎日同 じことをしなければならない。そのためにひとつのことしかできなくなつて しまう」

🌴「パパラギは考えるという重い病気にかかっている。サバイまで船 で行くのに、岸を離れるとすぐサバイへ着くのに時間はどのくらいかかるか と考えるので、まわりに広がる美しい景色を見ようとしない」

独特の口調で語るツイアビの言葉を聞いているうちに、だんだん自分のことを言われている気になった。

毎月の請求書のためにあくせくして、買っても買っても欲 望はおさまらない。持っている者をうらやみ、忙しいわりには日々同じことの繰り返し。

もともと人間にはいろんな能力が備わっていたはずなのに、お金を払い、人にやってもらっているうちに、何もできなくなっている……。

そういえば目の前の景色より明日や、未来の予定のことばかり考えて 不安になっている……。

ツイアビの言葉はぐいぐいと心に刺さっていった。

サモア人は日本人のことはサパニと呼び、パランギとは区別し親日家が多い。確かに、戦後のモノがなかった時代や昔の日本では、人々は助け合ったし、モノも共有しあっていたと思う。貧しいながらも安心できた。ところが、西洋化が進むにつれて、現代社会の日本人はもはやツイアビの説く“Papalagi”(パランギ)と同じだと思えてならなかった。

※※※※※

「ツイアビの言葉をもう一度確かめてみたい」

旅から戻った2年後には、そんな気持ちで『パパラギ』 の舞台サモアに渡ったのだった。

本にすっかり魅せられていたので、ツイアビの見た風景が見たかった。サモアに引っ越してしばらくしたある日、家族でツイアビの村とされる、ウポル島の東側に位置する小さな村Tiavea(ティアベア)を訪ねた。

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海岸の小さな村までは、メイン道路から車がなんとか通ることのできる険しい道を下って行かなければならなかった。数えられるほどの人しか住んでいない小さな村と聞いていた。こんな道を下りて行って、ほんとうに人が住んでいるのだろうか?と思ったが、海岸線まで電信柱がとおっているのを見て、「意外や意外、電気が通っている」と思ったことを鮮明に覚えている。

めったによそ者が現れるわけない村に、とつぜん日本人家族が車で現れたのだから、村の人々は驚いた。サモアは、ほぼクリスチャンなので、どんな村にも教会はある。怪訝そうな顔して出迎えてくれたのは、村の教会の牧師夫婦だった。

本のことを話し、外でいいからキャンプをさせてほしいとお願いしたら快く受け入れてくれた。何でも、少し前にもドイツ(だったと思う)のテレビ局クルーが本を持って撮影に来たと話してくれた。

こんなに小さくて何もない村を舞台にした話が世界中で読まれているなんて驚きだと苦笑していた。ツイアビが実在したかどうかも正直わからないと言われたが、村いちばんの長老を教えてくれたので、話をきいてみた。

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すると、あの墓に眠っているよっと、お墓を指差した。

とはいえ、長老は英語は通じない。牧師の奥さんがたどたどしい英語で通訳してくれたが、どこまでほんとうなのかはさっぱりわからなかった。

それでも、美しい海岸を牧師夫婦といっしょに散歩した。ほんとうに自然以外は何もない村だ。だけど、その自然こそが夢の中にいるような美しいものだった。海の波は荒々しいが、ビーチは静かで穏やかだった。カラフルなラバラバ(腰布)を巻いた人々がひっそりと暮らしていた。

これも人の暮らし方のひとつなんだなぁとしみじみ思った。

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湧き水で水浴びをしている村人たちに出合うと、奥さんはサモア語でわたしたちのことを説明した。すると人々は笑顔になってTalofa (タロファ)と言った。あのときの彼らは今、どんな未来を生きているのだろう?

その後『パパラギ』という書物についてのちょっとした論争があったようだ。ツイアビが語ったとされる演説は実は嘘で、ショイルマンによって創作されたものではないかというのだ。ツイアビが実在の人物かどうかは今となっては藪の中だ。当初の著者はツイアビとなっていたのが、後に著者がショイルマンとなっているのはたぶんそのためなのだろう。

ただ、サモアに住んでいたころ、ショイルマンの孫と名乗る人からメールをもらったことがあった。亡くなった夫はサモアの暮らしについて、日本語と英語で某ネット媒体に寄稿していたことがあった。英語版エッセイを読んで、連絡をくれたのだった。わたしたち夫婦は、人生を変えた本の著者の孫からのメールと聞いて、半信半疑ながらもうれしかった。ドイツ人のショイルマンはサモアを後にしてから、米国にいたそうなのであながちフェイクでもなさそうだ。

今住んでいる町で知り合ったドイツ人の友人は、ドイツ語の『DER PAPALAGI』を読んでいた。わたしが以前サモアに住んでいて、ティアベァを訪れたことがあると聞き彼女はかなり興奮した。大好きな本だからと、本の話で盛り上がったことがあるが、さすがミヒャエル・エンデ(『モモ」『果てしない物語』の作者)の国出身だなぁと思った。

いっぽう、米国ではまったく有名ではないようで講談社が英語版の文庫を出しているものの、米国の版元から商業出版されているものはなさそうだ。合理主義一辺倒の米国人には内容的にウケないことは想像できる。それこそサモア人の揶揄する“パランギ”だからだ。

……と、数々のエピソードや謎は尽きないが、今となっては本やツイアビが実在したかどうかなど、わたしにとってはどうでもいいことだ。

言葉の力に共鳴し、家族でティアベア村を訪れ、キャンプしたことはまぎれもない事実なのだから。

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寄せては返す波音を聞きながら、砂浜にファラ(サモアのゴザ)を敷き、満天の空を眺めて、南十字星をみつけた日があったことは確かなことだ。村の子どもたちの笑顔と目がキラキラ輝いていたことも忘れられない。

その全ての体験は、かけがえのないわたしの人生の一部なのだからそれでいい。

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✑「ぶんげぇむ」参加作品
◆お題:「電信柱」「あだ名」「運命」「未来」「カラフル」



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