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小2男子の学校に呼び出された我々は仰天した。 <ゆたかな社会とは>


我が息子、慶太朗が小学校2年生の時に、我々夫婦は学校に呼び出された。
目鼻立ちが整った、担任の優しそうな30代の女性の先生は「ニコニコ」しながら言うのだ。

「慶太朗さんは、可愛いんですよ。教室にある丸い小さな椅子がありますでしょ、授業中その椅子を押しながら教室中を廻って、「コーヒーいかがですか~、カフェオレいかがですか~」とするんですよね」

僕は目を見開いた。あまり物事に動じない妻も、返す言葉がない様だ。そりゃそうだ、自分たちの息子がまさか授業中にカフェを開店し営んでいるとは。
担任の先生のお話は続く。彼は授業中カフェを営む以外に休み時間も含め、色々規格外の行動をしているらしい。僕は尋常ではない汗をかきはじめた。

黒柳徹子さんのトットちゃんを思いだす。
・授業中、上に開く机のフタを百回くらい開けたり閉めたり繰り返した。
・授業中、教室の窓のところに立ってチンドン屋さんを呼ぶ。
・授業中、つばめの巣に向かって、大声で「ねえ、何してるの?」と聞く。

トットちゃんはこれで小学校1年生にして退学となるのだ。そして私立トモエ学園に行く。

我が息子は、授業中、カフェを開店し、営んだ。

トットちゃんと我が息子に通じるのは、「学校は嫌いではないが、集団で授業を受けるのができない。また集団での振る舞い方が良くわからない」。集団の中できちんと授業を受けている子どもにとっては、慶太朗は迷惑極まりない存在だろう。僕ら夫婦は今でも運動会や授業参観では肩身が狭い。

しかし、我が息子の担任の先生は
「どうなっているんですか!この子は授業の邪魔をして大変迷惑です!」
などは一切言わず、
「なんとか彼が学校で居心地が良く過ごせる様に、一緒に考えましょう」
というスタンスだった。

2年生の担任先生のこのようなスタンスは、その後、代々の担任に受け継がれた。その小学校全体のスタイルがそのようなものだったと思われる。

別の機会に校長先生とも話をした。僕らを責める事は何も無く、「慶太朗さんは凄く素直です、泣きたいときに泣いて、怒りたいときに怒って。いいじゃないですか」と。
また先生同士の連携をして頂くというお話を頂き、さらにさらに、毎日宿題を校長室で見てもらえることとなった。「ニコニコ」しながらお話された。

これは今の地方の公立小学校のお話なのである。
特別な私立の小学校ではない。

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彼の話はまだ続く。

3年生。漢字テスト17点。個別懇親会で妻は先生に質問した。「これは何点満点ですか?」100点満点である。漢字を練習するという行為が極端に苦手なのだ。ただ、他の教科も似たり寄ったり。小学生が10点台のテストを連発。心配だ。

忘れ物。忘れ物だらけである。ただ、彼はそれを悪いことだとあまり思わないらしい。しかし、教科書がランドセルに時折ちゃんと入っている。よく見ると、それは先生の教科書だ。先生に教科書を借りてそれを返すのを忘れたらしい。忘れて、忘れた。

学期末に通知表を学校に忘れる。別に通知表を親に見られるのが嫌といかそういうわけではないようだ。忘れただけだ。「最近、物忘れが多いなぁ」と彼は言った。問題ない。

名札はしない。しかし本人に名札をしないというポリシーはないようだ。毎年新しい名札が来ると嬉しそうだ。忘れているだけだ。問題ない。

提出物は基本出さない。ある時、ランドセルの中からプリント40枚ほど発見される。その内保護者向けが10枚以上。彼はいい。問題は我々が学校からの通知が何一つわからないのだ。問題だ。

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クラスメイトとのいざこざは日所茶飯事。相手のお子様には本当に申し訳ない。何度菓子折を持ってご自宅にお伺いしたかわからない。僕自身一番しんどかったのは、僕の勤務先にお父さんがいるお子様と喧嘩し、挙句の果てに相手にパンチを入れてしまったことだ。大汗をかきながらそのお父さんに勤務時間中、謝罪する。

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このようなことが頻繫なのだが、この類のことで彼は学校で先生に怒鳴られ、叱責をうけたことは、たぶんないと思う。クラスメイトと揉め事の際には教室とは別の場所で落ち着くまで先生と一緒にいたり、一人で過ごしたり。保健室にも随分お世話になったようだ。

繰り返すが、学校の先生から叱責等はなかったはず。当然体罰もない。その都度、先生に寄り添われ、丁寧に諭されたと思われる。

ここまで読んだ方の一部は想像着くと思うが彼はADHDと診断されていた。医師はこう言う。「でこぼこなんて、あっていいんだ。発達障害とか名前が付くと驚くだろうけど、本人がなんとか過ごしやすい環境を作ればいいんだよ」

趣旨とは違うが他のエピソードも書かせてほしい。小2の時、算数の宿題。
「こうえんには はとが65わいます。そこへ、16わとんで来ました。こうえんのはとは何わになりましたか。」
彼はこう言った。
「ねぇこれすごくない?数えたよこの人、鳩。鳩さ、地面でうごくよね! くるっくう。飛んできたのも数えたよ、すごくない?答えは89羽ね!」
確かに。鳩を数えるのは至難の業だ。その着眼は良い。そして答えは間違えている模様である。

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僕は昭和50年代後半から昭和60年代に小学校生活を送った。そして僕は慶太朗の父である。故にその気質は彼に大変近い。授業中カフェは開店させなかったが、小学校時代似たような行動を取っていた気がする。

しかし教師から僕への対応は、慶太朗の今の小学校のそれと大きく違った。

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忘れ物、僕の時は厳しかった。
3年生の時に「忘れ物シール競争」というものがあった。5人前後の班に分けられてその日一日、班の全員が忘れ物がなかったら班にシールが授与され、壁にシールが貼られる。

当然忘れ物が多い僕である。なかなか僕の班にシールが授与されない。班のみんなに毎日責められる。寝る前に明日の準備をするのだが、その途中で他に興味が移り本とか読んじゃう。で、忘れ物をする。また責められる。遂には班の全員から無視されるようになる。ほんとにまずい。

死ぬ気で明日の準備をする。朝にもう一度見直す。家を出る前にもう一度見直す。なんとか班にシールがもらえるようになった。

でもクラスにさらに忘れ物が常習の女の子がいた。もちろんその班にはシールが一枚もない。そして当時の担任の女性教師は、その班の子たちにこう言い放った。

「その子、イジメてもいいよ。」
(今、これを書いていても、胃の底がきしむ)

そして僕は今、その忘れ物競争のおかげで忘れ物をしなくなったのだろうか。全くそうではない。忘れ物をしないように大きなバックに様々なものを入れている。根本的解決ではない。

宿泊を伴う旅行などは大変なことになる。忘れ物がないように、大量の荷物を用意するのだ。いざ出発となり「後戻りできない場所」まで行くまで忘れ物していないか緊張しっぱなし。車でインター 新幹線だと乗るまで。そこを超えるともうどうしようもないので落ち着くしかない。

これは小学校時代の忘れ物シール競争の名残だと僕は思う。

あの「忘れ物シール競争」は何のためにやっていたのだろうか。

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当時、僕の日常的な教師に対する、もしくは、いわゆるクラスの和を乱す凸凹した言動が多々あったと思う。それらの行動を良しとしない担任教師のストレス値を僕が一人でグイグイと押し上げていたことであろう。

そして僕は殴られ続ける。

6年生の社会で日本の歴史を学ぶ。男性担任教師は授業でこう言った。
「中大兄皇子は遣唐使で唐に行き、そこで学んだものを基に大化の改新を行った」
違う。そもそも中大兄皇子は唐に行っていない。遣唐使にて唐に行った僧から様々な様子を見聞きしたのだ。

もちろん僕は手を上げ、物申す。「先生、それ違う。中大兄皇子は唐に行っていないです」。
後に早稲田実業に進学する秀才古澤クンも続く。「その通りです。遣唐使として中大兄皇子は派遣されていません」
担任教師は僕と古澤クンを前に呼び出し、古澤クンには眼鏡を取れと言い放ち、二人に平手打ち。静まり返る教室。

いくらでもある。

放送委員、昼休みの放送をしていた際に、くしゃみをした。当時はレコード。くしゃみの勢いでレコードの針がポンポンと飛んでしまったのだ。掛けていた音楽までもがポンポンと飛ぶ。まずいと思い、「申し訳ございません」とアナウンスした。音楽の先生が「おい、どうしたんだ?大丈夫か?」と心配して見に来てくれた。

「あ、大丈夫です、すみませんでした」と言った時に担任教師が放送室に怒涛の勢いで入って、物も言わずにマックスレベルの平手打ち。転がる僕。壁に頭をぶつける。レコードの針が飛ぶ。「ぐあぁっ」とうめく僕。
それらは全て全校に音声によって生中継された。

前年のマラソン大会の順位を聞かれ、わからなかったら、平手打ち。理由は「周りがみんな覚えているのになんでお前だけ覚えていないのだ?」忘れたからだ。

体育の時の整列時に列から一人分外れていたら、注意もなしに平手打ち。何か忘れたのかもしれない。

サッカーの授業で、試合が終わりグランドから教室に戻る際に平手打ち。この理由も全くわからない。何か忘れたのだろうか。隣にいた加藤さんという女の子が呆然としていたのは覚えている。加藤さんは転んで砂だらけになった背中を払ってくれた。そこは忘れていない。

(加藤さんについては、noteに「運動で劣等感を散々味わった人が、運動できる人になった時に、僕は「にしのーー!!」と叫んだ」という長い題名で書いたので是非読んでほしい。魅力的な女の子だ)

鉄棒で並んでいたら、平手打ち。この理由も全くわからない。あまりにわからないため、理由を担任教師に聞こうかと考えたがどうせ平手打ちなので聞かずに、隣にいた男子に聞いたら、彼はその様子を見て何も喋れない状況だった。

この頃から母に、小学校5~6年ぐらいから活舌がはっきりせず、モゴモゴ喋る様になったと言われる。モゴモゴ喋りは高校生になるまで続く。

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僕が経験した例に過ぎないが、忘れ物競争など「教師がやりやすいだけのクラス運営」であり、そこに重きを置くことで「クラス運営がしやすい子どもたちが評価される」というものだろうか。そこから外れた生徒は運が悪いと体罰だ。

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一方的で単一な価値観。

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「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある」

慶應大学大学院 健康マネジメント研究科 特任准教授 岡 檀さんの著書。
自殺率が低い地域の「理由」を調査したものだ。

岡さんは徳島県海部町(現海陽町)の自殺率の低さに注目し、その街をフィールド調査する。結果、海部町のコミュニティにあって、自殺多発地域にはない要素、もしくは海部町には強くあらわれているが、自殺多発地域には微弱な要素を見出した。それが5つの「自殺予防因子」である。

その一つ、
いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

具体例が大変興味深い。

・「海部町では赤い羽根共同募金が集まらない」

地方に住んでいるとわかると思うが、赤い羽根募金はほぼ強制だ。町内を巡ってくる募金箱や封筒。「払わない」という選択肢はなく、皆が同額を入れる。ある意味同調圧力だ。

しかし海部町では、「すでに多くの人が募金されましたよ」と募金担当者が言うものなら「その人はその人。好きにすればいい。わしは嫌じゃ」となる。ただ、ケチではなく、町内の山車の修繕には大枚をはたく。

老人クラブも加入率が低いらしい。他人と足並みをそろえることには興味がないらしい。「統制」や「均質」を避けようとする傾向があると岡さんは述べる。

・「海部町は特別支援学級の設置に協力的でなかった」

小中学校の「特別支援学級設置」について、近隣地域の中で海部町のみが異を唱えたとのことだ。理由はこうだ。

「他の生徒と違いがあるからと言って、その子を押し出して別枠に囲い込む行為に賛成できない。世の中に多様な個性を持つ人たちで出来ている。一つのクラスの中にいろんな個性があったほうがよいではないか」

多様性だ。
ゆたかな場所だ。

(余談ですが、自殺率が高い地域から何かを導き出すのは、比較的簡単だが、その逆はきめ細かい地道なフィールド調査が必要だと思う。その他の4つの因子なども含め、是非とも手に取って頂きたい本です。)

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小さいことではあるけど、色々なところで、従来の単一な価値観が崩れ始めていると思う。

僕の周りの些細なことで申し訳ないが、飲み会の乾杯。

ひと昔であれば「最初はとりあえず全員ビール」これが当たり前だった。これを飲み物が来るのが早く、乾杯も早くできるから合理的という意見もあるが、早く乾杯がしたいがためにどんな人にもビールを強いるという、良く考えると乱暴な話だ。
(改めて今思うのだが、飲めない方も全員ビールというところもあったであろう。申し訳ない限りだ)

昨年に参加したいくつかの飲み会は、早く飲み物が来た方は先に飲んで、みんなの飲み物が揃ったら改めて乾杯した。これでいいと思う。


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今、慶太朗はどうか。
小6となり、毎日元気に学校に登校している。
朝は玄関で「行ってきま~~~す」を3回ほど繰り返し、ドアを閉めた後で、更に郵便受けから覗いて「行ってきますっ!」という毎朝だ。

夜、きれいな月が出ていたら、興奮して僕らを呼ぶ。

漢字のテストは70点を超える様になった。
「ほら!見て!漢字いつも20点なのに70点!」
算数は毎回90点以上だ。
そして、「名札」をして登校している。入学以来、5年生まで名札をしたのはおそらく20日ほど。今は毎日名札をしている。
忘れ物はもちろんしている。

授業中のカフェは開店しなくなったが、カフェは大好きである。

彼の個性を受け入れてくれた小学校には感謝の気持ちしかない。

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周りの視線に囚われない、多種多様な人々による多種多様な価値観。それらが混在して、各々のゆたかな人生、そしてゆたかな社会ができると思う。

そんな社会に、我々は片足を半歩、突っ込んでいるのだ。

理想にはまだまだ及ばない。でも、僕たちは本当にゆたかな社会に踏み出しているのは間違いないとおもう。

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※息子の名前は仮名とさせて頂きました。
※このnoteで「#磨け感情解像度 芽生え賞」を頂きました。

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#ゆたかさって何だろう #発達障害#ADHD #小学校 #体罰#磨け感情解像度


このnoteでひふみ投信、note開催の「ゆたかさって何だろう」コンテスト
準グランプリを頂きました。

こちらが最近書いたものです。宜しければ。



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