運動で劣等感を散々味わった人が、運動できる人になった時に、僕は「にしのーー!!」と叫んだ
運動できない小学生男子は、自ずと小学校生活がパッとしないものになる。
小学生男子が女子にモテる条件は足が速くて、スポーツができる、と言うのが、大きな条件の一つだ。
僕はまるで運動が出来なかった。小児喘息だったことから20mでも走るものなら気管支がヒューヒューする。欠席が多く、そもそも運動する機会が少ない。
運動会など地獄としか思えなかった。衆目の前でヨタヨタ走らなければならない。オマケに自分の親までいる。僕の母は優しく、それについて何か言うことはなかったが、近所のババアが僕に聞こえるように言う。
「身長は程々あるのに一つ下のうちの子より遅いわ」
母に申し訳ない。
泳げるようになったのは小学3年。水泳があまりにも嫌で授業がある朝は高確率で、仮病でなく、本当に熱が出た。泳げるようになったのはクラスで最後。逆上がりは5年生一学期。かろうじてビリは免れたがブービー。
運動できない悲哀を散々味わう。女子からモテない云々より、男子の視線が痛い。昭和の小学校は残酷だ。体育の時間で球技で同じチームになるとチームメイトから露骨にいやな顔をされる。
チーム分け、スポーツができるキャプテン同士でじゃんけんをし好きなメンバーを取り合うイベントなど、もう最悪。スポーツできる順から選ばれる訳だ。当然最後まで選ばれず、それこそ晒し者。
勉強できない児童にはそれなりに学校側も教師もサポートし、クラスメイトも「教えてあげるっ!」という雰囲気だ。しかし、スポーツできない運動できない児童に対して寄り添うものはあまりない。
「僕はスポーツだめだから、人間失格」
こんな声が頭の中で勝手に響く。被害妄想もずんずんと増してく。
※
しかし小5になったころから体格が良くなったからか、喘息があまり出なくなった。そして運動する機会も増えた。
体育でバスケットボールの授業があると知った父がシュートのコツを教えてくれた。父はバスケ部の顧問をしていたこともある、中学の先生。運動神経は良い。父はキャッボールをすると縦に落ちるえぐいカーブを投げる。何度も体で受けざる得ない。むちゃくちゃ痛い。
そんな父がバスケを教えてくれた。
「自分の鼻と右手、ボールの中心を一直線にセットするんだ。その延長線上にバックボードの四角があるようにするんだよ」
結構入るものだ。面白くなって学校の休み時間もシュートの練習をするようになった。
※
そんな時にプチ球技大会のようなものが開かれ、種目はバスケ。珍しく男女混合のチーム分けがされ、僕のチームメンバーに加藤さんという女の子がいた。
加藤さんは運動神経抜群で、まるで体にばねが仕込まれているよう。そしてそしてそして、めちゃくちゃ可愛かった。いつもニコニコしている。もちろん男子からの人気も抜群。
僕としては加藤さんと同じチームになったのは、正直嫌だった。迷惑をかけるし、どうしようもない僕の姿を間近で見せたくない。
でも加藤さんはどうやら僕のシュート練習を見ていたようだ。ニコニコしながら僕に近づき、「ボール集めるからね!どんどんシュートね!」。
もう、めちゃめちゃかわいい。完全に舞い上がる僕。
しかし、僕の隣にいたスーパー運動神経抜群男子「きーちゃん」は仏頂面で言う。「なんでお前になんかにボール集めなきゃいけんの?わけわかんないぜ」。きーちゃんは常々僕をバカにしていた。
まあそりゃそうだ。でも、そんなきーちゃんの態度も気にならないぐらい舞い上がる。ゲームに入る際も舞い上がってふわんふわんのふわんふわん。
でもすぐ目が覚めた。加藤さんの速いパスが僕に来たのだ。バスケのパスって普通、手でキャッチでしょ。それなのに胸でキャッチした。ドッジボールの様に胸でキャッチ。なおかつ虚を突かれて動けない僕。
「おい、動けよ!」スーパー運動神経抜群男子きーちゃんが叫ぶ。我に返り、パスを出す。もちろん相手に取られる。きーちゃんから、舌打ちにしてはデカい音がする。
あせる。
ただ、そのきーちゃんの舌打ちが僕を日常に戻してくれたようだ。
ゴール近くにいた僕に加藤さんからの速いパスがきた。胸より少し上。そのままシュート。入った。さらに次のターンでも加藤さんからのパスからのシュート。入った。
周りがざわついたらしい。後から友達から聞いた。そりゃそうだ。運動できない僕が続け様にシュートを決める。
しかし、相手もスグに変えてきた。石井という巨漢が僕にマークについてしまった。デカい。僕も当時クラスの中では背の高い方から3~4番目だったけど石井が前にいるとシュートなどできない。2回ほど取られる。石井はニヤニヤして僕を見る。
僕のシュートは、もう、封じられてしまった。
その時加藤さんが僕に駆け寄ってきた。僕の耳に手を当ててのひそひそ話。
近い。加藤さん、僕にめちゃめちゃ近い。そして、僕の腕が加藤さんの胸に当たっている。僕の腕が加藤さんの胸に当たっている。僕の腕が加藤さんの胸に当たっている。
加藤さんはひそひそ話の割にはかなり大きな声で、
「石井が来たときは、私かきーちゃんにパスね。きーちゃんは見えないところから走って来るからね!」
そこからは僕らのチームの独断場。
きーちゃんがパワーフォワード、僕がシューティングガード、そして加藤さんが司令塔ポイントガードのような役割になった。ごめん、後の二人は覚えてない。
石井を完全に置き去りした。加藤さんから僕。そこで石井にマークに着かれていたら、きーちゃんか加藤さんにパス。
石井のスピードは遅く、その隙に僕にボールが廻り、外目からのシュート。入る。
きーちゃんは疾風のようなスピードで僕の後ろを駆け抜けてパスを受ける。そこで困ったらポイントガード加藤さんへ。加藤さんは僕にパス、もしくはそのままシュート。入る。
とにかく加藤さんの周りを見ての状況判断が良かった。相手と僕らを的確に見て、ボールを運ぶ際も動いてないチームメイトがいたら、その近くを通ってパス。動かざる得ない。
加藤さんの状況判断ときーちゃんの疾風の様にコートを走る動き、そして僕の確率の高いシュート。圧勝だった。
次の試合も圧勝、3試合目はミニバスの選手が集まったチームに負けた。でも惜敗だった。最後の最後で疾風きーちゃんがすっ転んで捻挫してしまった。きーちゃんは泣いた。そして僕に「ごめんな」と言った。
加藤さんは僕を生かしてくれた。
スポーツでこんなに楽しかったのも初めてだし、スポーツでサポートされたのも初めてだった。
この試合で自分を卑下する気持ちがちょっと少なくなったせいなのか、自然とスポーツが楽しくなった。そうなるとうまく体も動く。
小学校の男子運動至上主義のような雰囲気の中で、僕はかろうじて生きていけるようになった。あの時からずいぶん時間が経ったけど、あの試合のことはよく覚えている。
加藤さんのおかげだ。
※
中学に上がり、軟式テニス、今でいうソフトテニス部に入り、中三の最後の大会でギリギリレギュラーとなり、市内大会ベスト16からの敗者復活で勝ち、県大会まで進んだ。喘息は出なくなった。
※
軟式テニスで県大会まで行ったのに、運動ができるようになった自覚はあまりなかった。小学校時代の呪縛が少し残っていたのかもしれない。
それが解けたのは高校の体育の時。体育館での授業の前に時間があったのでバスケのシュートをお遊びで何本か打った。それを見ていたクラスメイトが「お前、バスケ部だったの?」と聞いてきた。「スポーツ何でもできそうだよな」。
いつの間にか、僕はスポーツできる子になっていた。しかし残念ながら、学内のスポーツ至上主義は小学校で終わる。さらに僕の進んだ学校は残念なことに男子校。お得なことはほとんどない。
※
僕の高校はスポーツが盛んで、なかでもラグビーは強豪校だった。
校庭はほぼラグビー部が占有しており、足腰を強くするという名目のもと、大量の砂が入れられていた。強風で砂が舞う。サッカー部は外のグラウンドを使っていたので影響がなかったが煽りを受けていたのが野球部。試験期間中、ラグビー部がグラウンドを使わない時にようやく使えるグラウンド。
しかしそこには砂がある。
「ノックしても、ボールが砂に埋まるんだよ・・・」。
(そんなことを嘆いていたエース佐藤君は3年の時の都予選、2回戦で相当良いピッチングをしたらしく、スポーツ紙に取り上げられた。「エース佐藤のスライダーが冴えわたり・・」佐藤君は僕に言う。「俺さ、スライダー投げれないんだよ、あれカーブなんだよね。どうしよう、このまま甲子園行ったら。ねぇ、スライダーどうやって投げるの?」そんなの知らん。僕に聞くな。その後佐藤君はいいところまで勝ち進んだが、無事甲子園には行けなかった。)
※
体育の授業でラグビーがあった。体育の授業でラグビーがある学校、少ないと思う。それもタッチラグビーなどではなく、スクラムあり。時間以外はルール同じ。ヘッドギアをつけてのガチな奴だ。クラス全員でやるのだ。
これは楽しかった。体育の先生に気に入られて、スクラムハーフのポジションをもらった。スクラムハーフとはスクラムからボールを取り出し、バックスにつなぐ、司令塔の役割があるポジションだ。自分の判断で戦局が大きく変わる。
うきうきして体育のラグビーを楽しんでいた。クラスメイトもそれなりに楽しんでいたと思った。
※
クラスメイトの西野君が、体育の授業の終わりに僕に言った。
「体育のラグビーで迷惑ばっかりかけてごめんね」
衝撃。みんなそれなりにラグビー楽しんでいると思っていた。当たり前だが僕は高校の体育の授業で勝利に拘るつもりなんかさらさらなく。
西野君、確かに運動ができるほうではなかった。しかし高校の体育だ。女子の目を意識する必要のない男子校。体育の球技でまさか「ひけめ」を感じているクラスメイトがいるとは。
大反省である。別に僕は体育の授業の係でもなく、クラスを仕切る評議委員でもない。何の責任もないのだけど。
小学校の時の僕を生かしてくれた加藤さんが思い浮かんだ。
大反省である。
相変わらず体育はラグビーだった。
僕たちのチームは相手の陣内に攻め込み、ゴールラインまであと20m前後。右側のタッチラインからは2mぐらい。その地点から僕らのボールでスクラム。
相手チームを見ると僕らから見て左側だけにバックスがラインを作っている。右側には誰もつく気配がない。
チームメイトでバックスの西野君を探す。西野君の近くに行き、
「右にパスを出すから、西野君、右にいてね。相手、右側に誰もいない。西野君にパス出すから。パス受けたら何も見ないでタッチラインとスクラムの間を前だけ見て真っ直ぐ走り抜けてね。」
相手にばれないようにコソコソ話だ。西野君も小さくうなずく。
プレーが再開。スクラムにボールを入れて、パスを出すポジションに。西野君はいるのか?ちゃんと右側後方にいる。相手はそこに注意を向けていないようだ。
ボールをスクラムから出し、右後方にいる西野君にパス。西野君、パスキャッチ!結構速いパスだったけどしっかりキャッチしてくれた。西野君、キャッチからワンテンポ間があって走りだす。スクラムの右側とタッチラインの狭いスペースを走り抜ける。相手チームは慌てて西野君を追う。相手チームには足の速い島村とか矢野がいる。矢野が西野君に迫る。
「にしのーーーーーー!!!!!行けーーーーー!!!」
まだ西野君と矢野との距離は僅かにある。しかし、西野君の足がもつれ、体がぐらっと傾く。
万事休すかと思われたその瞬間、矢野が西野君の減速に逆についていけなかったのか、大きくバランスを崩した。
そのまま西野君は走り抜けて、トライを決めた。
僕を見てガッツポーズした。破顔の笑顔。
その試合は負けたけどそんなことはどうでも良かった。
※
スポーツエリート達の、創造を遥かに超える動きやテクニックは僕らを魅了する。それらは「自然にできるようになった」訳ではなくすさまじい鍛錬をした上に出来たものだと思う。
その根底にあるものは、今までの自分を超えようとしている「思い」もあるかもしれない。
そしてそんな思いは僕たちにも時として訪れるものだし、それをサポートし応援することもやぶさかではない。
応援したいスポーツ。
それはあまねく人々が自分の体で何かを超えようとしている時だ。
それが例え2㎝の段差であっても。
#応援したいスポーツ #バスケットボール #ラグビー
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