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鈴峯紅也の新境地「海商」

鈴峯紅也「海商」(徳間文庫)。電子書籍版はこちら↓
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 山本音吉は、14歳で天保三年に弁才船で出航した山本音吉は、折り悪しく嵐に遭遇し船は難破。1年以上もの漂流の末、太平洋の島で九死に一生を得た。鎖国中の日本は、イギリス船に乗った漂流者の帰国を許さず。結果的に、音吉は海外で生きることを余儀なくされた。日本人として初めて英国本土に渡航し、英国商会で職を得た。語学に長け、商才を発揮した山本音吉は、ジョン・М・オトソンと名乗ることになった。押しも押されもせぬ、上海を代表する商社マンとなった音吉には、英国政府からの対日交渉の仕事までも舞い込み、日英和親条約の締結にも尽力する。海外で雄飛した日本人として、福沢諭吉など幕末維新の要人にも多大な影響を与えた。上海からシンガポールに渡り、故国に帰ることのなかった男の壮絶な人生を描く大河ロマン。
 いつもの警察小説「警視庁公安J 」シリーズとは、全く装いを新たにした新境地の海外時代劇。他にも船の難破で海外に漂着した日本人はいたが、山本音吉の場合は、ジョン万次郎やジョセフ・ヒコと違って、時代が早かった。ということは、日本がまだ鎖国や攘夷で海外を拒み続けていた時期だった。従って、好むと好まざるに関わらず、山本音吉たちは日本に帰ることを許されなかった。船乗りであった漂流者たちは、言語も慣習も違う異国の地で苦労を重ねた。中には生命を落とした者も多かった。そんな中で、最も海外の文化に適応習熟した山本音吉は、頭角を現した。徳の積み方や危機管理など、彼は各国からリスペクトされるノウハウを得た。彼を慕う人々との堅い絆には国境がない。それでいて、生き残った日本の仲間を大切にして、清国に流れ着いた漂流民たちの帰国や職の斡旋にも奔走した。長崎での日英和親条約の交渉における颯爽たる立ち居振る舞いは、幕府の旧態依然たる姿とは好対照であった。もう一つこの物語の陰の柱が、欧米列強による清国の阿片侵略である。主人公はこの悪行に断固訣別している。「世界を視野に活躍できるかどうか」という点は、今も昔もその能力に天地ほどの開きを生じるということは不変の真理。置かれた場所で、最善を尽くして咲いた花がオトソンであった。男も女も、老いも若きも、誰もが惚れるジョン・М・オトソンである。
 

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