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私がコーチングを受け始めたわけ。父親との戦い


こんにちは

GWですね。4月28日にファイザー製ワクチン2回目を摂取したら、高熱続きで出勤停止中です。。。職場の人に迷惑かけて申し訳ない気持ちでいっぱい。。

でも何を言っても明後日までは出勤停止。時間がたっぷりあるので、コーチングの先生にしか話したことのないことを書いてみようかな。。という気持ちになりました。

初めに書いておきますが、とんでもなく長いです。とても。前回よりも長いです。笑 
そして私がどうしてコーチングを受けようと思ったのか。何で悩んでいたのか。その悩みの元凶について。そこから自分の価値観や自己認識がどう形成されたのか。その認識に基づき、どう行動するようになったのかなどなど。自分の頭の中の整理をするために書いてみようかなと思います。今回は親との関わりがメインです。 親子関係で何か抱えている人の気づきになればいいな〜。


コーチングとは??

初めにコーチングとは、カウンセリングサービスの一種です。カウンセリングで過去の精神的傷を癒やし、これから理想の未来のためには自分はどう行動したら良いのかを一緒に考えるサービスのことをコーチングと言います。実際に行動に移せるようになるまで親身にサポートしてくれます。1人の先生とマンツーマンで、主にビデオ通話でしています。


なんで受け始めたの?

受け始めた理由は、もう生きていても楽しくもないし、家族関係もいまいちだし、コロナで国際遠距離中で彼氏に伝えたいことも伝えられず、どう付き合っていけばいいのかわからなくて悩みばかり。精神的に大変なことも多く、なんのために毎日時間を過ごしているのかわからなくなったからです。常にそんなことを心の底で感じながら、割と長い間生きてきたけど、去年くらいでその気持ちがピークに。「これ、いつか爆発してどうなるかわからない」と思ったし、彼とこんな形で終わらせたくないと強く思ったから。自分に問題があるのはわかっていたので、何か行動を起こさなければ!と見つけたのがコーチングだった。


何で悩んでいたの?

私の初めの悩みは、「彼氏に自分の思っていることを言えない。嫌われたらどうしようとか、怒らせたらどうしようと思って怖くて言えない」でした。

コーチングを進めいていく中で、どんな家庭で育ったたのか、両親との関係、家族仲など色々触れたくもないところをすごく深掘りしていきました。なぜかというと、人は子供の時に家族とどういう関係を築いていたかによって自分自身の価値を認識したり、他者とのコミュニケーションパターンを学習したりする。要は人付き合いの基礎となるアイデンティティや価値観がそこで構築されるから。そしてその価値観に基づき生きていくことになり、そこでどんな価値観を与えられたかによって、同じ出来事が起こっても感じ方が違ったり反応や選択が異なってくることがあるから。

私の場合は、最初に挙げた悩みは本当にあったんだけど、問題の本質はそこではなくてもっともっと深くものだと徐々に気がつきました。

自分が何を感じていて、何を考えていて、どうしたいのかが全くわからないこと、言っても無駄という価値観を持っていることで様々な問題が生じていることが明らかに。その原因を紐解いていくうちに、育ち方、親との関わり、スキーのことが大きく関わっていることがわかった。


 悩みの元凶

その問題の中でも「どうせ言ってもわかってもらえない。言っても無駄。」という価値観は自分の人生に大きな影響を与えていた。人とコミュニケーションを取るときに自分の意見を言わない、伝えられない、言えない。一見伝えているように見えても、大体は相手の顔色を伺い、本当に自分が望んでいることではないことを答えていた。もしくは、本音本心ではないが、社会的に正しいことを言ってその場を凌いでいた。だから、周りから見たら結構上手くやっているように見えたかもしれない。


その原因の根本は、アルペンスキー*を辞めたいと伝えても受け取ってもらえなかったこと。

(*私がアルペンスキーをしていた時の生活を一応書いておきます。)
小学校4・5年くらいから、突然父親のスキー狂いが始まった。初めは毎週末営業開始時間から終了時間までみっちり練習から。気づけばどんどんエスカレート。10月末くらいから滑り始め。シーズン終わりは6月末か7月始め。シーズンオフしたら、陸上トレーニング。スキー場シーズンが終わると、山の斜面に残っている雪で練習するために早朝から山へ向かった。スキーを持って標高の高い山の土手を歩き、一本滑ってはまた登るの繰り返し。高校も通学1時間半以上かかる場所から帰ってきたらナイター練習に連れて行かれ、土日はもちろん朝4時から9時までの早朝練習と、休憩してから夕方までまた練習。帰ってきたらスキーの板のメンテナンスに、録画したビデオを何時間も鑑賞。学校の3学期はスキーの大会の連戦で半分以上は欠席。部活動なので公休扱いだけど。しまいには練習するために学校を休めと言われたこともあった。(それだけは拒否した)大会で思うような結果が出ないと、周りに人がいても暴力や暴言は当たり前。ひどい時は気が弱い高校の先生が勇気を出して止めに入ってくれたほど。極度の悪天候による休みしかなく、シーズン中は実質1日くらいしか休みはなかった。毎日クタクタで死ぬんじゃないかと思いながら、10年くらいそんな生活をしていた。

その当時の私は、他にはやりたいことはたくさんあった。好きなテレビや映画を見たり、英語の勉強をしたり、友達と遊んだり、一緒に勉強したり、彼氏とクリスマスやバレンタインのイベント、自分や彼の誕生日のお祝いなど、、全て企画してくれてもいけなかった。そして、スキーのことを説明してもやっていない人にはあまり理解されず、次第に彼氏とも上手く行かなくなった。

スキーで生きていくわけはないと思っていたので、勉強もしたかったけど、冬は朝から晩までスキーばかりで勉強まで体力が回らなかった。冬は生活の中心がスキーしかなく、それ以外のことをすることは許されなかった。もっともっとすごい生活をしていた人もいるだろうけど、この生活は私にとっては耐え難い苦痛だった。

望んでやりたいと思っていれば、これだけ環境を整えお金を注ぎ込む親はいいサポーターだと思う。でも決定的に違ったのは、私がアルペンスキーをすることを望んでいないのに強制されていたこと。だから、私にとっては拷問に近かった。))


いくらスキーを辞めたいと言っても伝わらない、説明しても聞いてくれない、スキーをやめたら学費を払わない、住民税ももう払わないなど脅されて、こちらの意思を何一つ尊重してくれなかったこと、馬鹿にした態度で聞く耳ひとつ持ってくれなかったこと、こちらの気持ちや意思を受け入れず激昂して暴力・暴言でねじ伏せ、服従させたことが原因だった。


どんな価値観や自己認識が生まれたのか

自分の気持ちや意思を受け取ってもらえず、暴力や暴言、社会的地位を利用した発言(パワーバランスでは親の方が強いため)により支配された経験を繰り返しすぎて、もう自分の意思を伝えることも、自分の気持ちを大切にすることも無くなったし、伝えて拒絶されることが怖くなった。だったら、たとえ自分の心を殺してでも、相手に合わせて波風立てず生きていく方が得策だと思った。その当時の自分には、歯向かうだけの肉体的な力も、経済力も、精神力もなかったから。過去に人権や人格を踏み躙られたことにより、「そうされるのが当然の存在なんだ。その程度の価値しかないんだ。そうされても仕方がない。自分にはそういうことを素直に表現する資格はない。私は自分の意思を人に伝えて認めてもらう存在に値しない。」という価値観が生まれた。


この価値観が自分にどう影響を与えたのか

そういうことがあったから、大切な人に伝えたいことがあっても「どうせ言っても無駄」という価値観に無意識に引っ張られ「どうせ私が言ったって無駄、誰もわかってくれないし、誰も聞いてくれるわけない」と思い、本音を言えたことなんてなかったし、行動できない自分が心底嫌いで「なんで自分はこうなんだろう」と悩んでいた。その人はパパじゃないのに。パパと同じように傷つけるようなことを言ってくるんじゃないかと思い、決めつけ、怖くて言えなかった。     

なんで皆は言えるんだろう。なんで自分はこんなに「伝えること」に対して恐怖を感じているんだろうと不思議でならなかったけど、コーチングを通して自分の過去の経験を、あくまでも自分目線から振り返ることで理解し、自分の中にある得体の知れない恐怖や不安について納得することができた。


父親と私との間の認知のズレ

大人になってからも、「スキーが本当に嫌いだった」と何回か伝えたことはあったと思う。でも、その度に「いやいや笑いながら行ってたじゃん。楽しそうだったじゃん。」と父親は言っていた。 その答えにひどく違和感を覚えたし、むしろ不気味ささえ感じた。父親と自分との間での認知のズレがとても大きいことにその時気がついた。
その笑ってたり、楽しそうに振る舞っていたことが、子供の本心じゃなかったら・・・?と考えたことはないのだろうか・・・?
父親が機嫌悪くならないように、機嫌いいふりをしていただけ。愛想笑いをしていただけ。と説明したこともあった。
父親は「いやあれは本当に楽しそうだった。親だからわかる。」と言っていた。

でも父親の認識は不正解。だって、その感情も、表情も、振る舞いも全て私のものだから、私にしか本当かどうかは知り得ない。

この人はここに来てもなお、私が感じていることを認められないんだなと思った。

はっきり言って演じることなんて簡単だった。そして、その演じる癖が抜けずまた本音を言えない悪循環に陥るなんてその時は思いもしなかった。自分を守るためにしていたことが、いつしか自分の首を絞めていたんだなとコーチングで気づいた。でも、その演じること自体にも嫌悪感なく向き合えるようになりつつあるし、あの当時自分を守るためには必要な術だったと思えるようになった。


父親にして欲しいこと

父親には受け入れ難い事実かもしれないけれど、「スキーが嫌いだった子供に無理やりスキーをすることを強要した。」という自分の行動を知って受け止めてほしい。そうすることで初めて自分はこの問題を過去のものとして前に進めると思った。
自分の言動で、子供の人生・考え方・価値観・子供の自己認識(自己肯定感)にどれほどの影響を与えたのかを考えてみてほしい。謝罪をしてほしいわけではない。私が求めているのは、「私たちにはこういう事実があった」ということを父親が受け取るということ。できれば受け入れてほしいということ。これを都合よく無かったことにしないでほしいこと。それだけ。


父親の解釈

一方で、父親には父親の言い分があったのは知っている。

何か一つのことを長く続けてほしい。続けることで人並み以上になれることを知ってほしい。という気持ちがあったこと。

これはここ2・3年の間に「なぜスキーを辞めさせなかったのか」とラインで聞いた時に言われたもの。
そんな気持ちがあるなんて全く知らなかったし、当時そう思って本当に接していたのか、今になり思いついて言っているのかは私にはわからない。


でもただ言えることは、辞めたいといった時にそういう風に説明してほしかった。一度もそう説明されたことはなかった。暴力や暴言ではなく普通に話せば、簡単に辞めさせない理由は中学や高校生にもなる子供にはきっと伝わったと思う。そして、子供の気持ちや意見を聞く耳を持ってほしかった。父親の意見と違うから生意気を言っている、歯向かっているわけではないことを理解してほしかった。親子でも全く違う人間だし、同じように感じたり、意見まで同じなんてことはありえないことを、まず念頭に置いて関わってほしかった。


諦め癖

親も人間だから完璧じゃない。そう思うようにしたら、親を憎む自分も嫌いだったから、どこかで親を許す理由ができて楽になれると思った。最初はそこの部分だけを諦め、妥協して生きているつもりだった。でも気がついたらその諦め癖は、全ての出来事に常に付き纏い、「どうせ自分だから仕方がない。こんな自分だから大事にされなくて当然。私は幸せに生きたことなんて無かったし、これからもそうはなれない。」と思うようになった。いつしか、自分から幸せになることも諦めるようになっていた。

幸せになりたいと思いながらも、自分で幸せを遠ざけ受け入れられなかった。これが子供の時に与えられた価値観や自己肯定感の低さからくるものだと気づけたのはコーチングのおかげ。今は半年前と比べ、自分でも信じられないくらい変わったと思う。少しずつ大切な人たちに本音を言えるようになったり、考え方や感じ方が変わってきた実感はある。でも常にそういられるほど安定はしていなくて、まだまだ揺れたり弱い部分があるのを自覚している。


無理に仲良いふりをしないこと

最近まで実家に帰れば、父親のことが本当に憎くて仕方がないのにニコニコ接していた。怒らせるのは大人になってからも恐怖だったし、面倒なことになるのが嫌だったから。

でももうそういうのはやめようと思った。自分を大切にできるのは自分だけだと気づいたから。相手の機嫌を取ることをしないで、自分が表現したいことを表現することにした。攻撃するのではなくて、ある程度一定の距離感で接することに決めた。 親子でも近すぎて傷つくくらいなら、程よい距離感でもいいじゃないかと思えるようになった。今までは子供の時にもらえなかった何かを、今でももらえるのではないかと期待して近づき、求め、与えられないことで傷ついていたから。

それにコーチングを受け、過去の出来事の感情を消化したから、怒りは消えつつある。でも過去にあった事実は消えない。この事実を今までは認められず隠して、そんな育ちじゃないように振る舞ってきた。今はもう、こういう出来事があったと事実として多くのことは受け入れられるようになった。それを含めて自分の人生なんだなと最近少しずつ思えるようになった。




ここまで読んでくれた人いるのかな〜 いたら、長々とお付き合いくださり本当にありがとうございます。

まさかこんなに長くなるとは思わなかった笑 そして文章を書くのって、難しいね〜〜〜〜。。昔から苦手意識があるから;;


でもこれはまだ全部ではないのです。後は母親バージョンもあります。

大人になって思うのは、人それぞれ色んな立場があり、色んな思いを抱えて生きているんだなってこと。

子供の時には受け入れられなかったことも、今になっては受け入れられることも多い。

母親のもいつか書いてみようかな〜〜と思います。


良いGWをお過ごしください。


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