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「今日の最善が、明日の最善ではない」

高校の専任教員を退職して3か月が経ちました。
平日の午前中は、非常勤講師として勤務していて、15時以降は帰宅した小1娘との時間なので、娘が帰ってくるまでの1時間ほどのスキマ時間に情報収集したり記事を書き溜めたりしています。

大学院生のころは、それこそ一日中大学図書館に籠って本とにらめっこしていましたが、いまはまとまった時間が手に入りません。
「役割」が増えると、それぞれに時間が割かれてしまいます。

もともと物事を器用に考えられるタイプではないので、草鞋を何足も履こうとしてメンテナンス不良に陥ってしまいがちなのですが、一方で、いろいろな種類の草鞋を履いて歩いてみたときに見える景色への好奇心もまた強いのです。ある時には悩みの種になり、別の局面では日々の原動力になったりもするので、こういう自分との付き合いに慣れていかなければなりません。

前者についてさらに言えば、「役割の達成度」に執着してしまうのが悪い癖です。ちゃんと出来ているか、に囚われて、心の自由度を失ってしまう。
でも達成できているのかなんて、誰も点数にしないし、何をもって達成なのかは誰も決めていないし、さらにいえば、私が誰かの視界の端でどのようにふるまっていようと、ごくごく小さな問題なのだと思うのです。
分かっているのにそれが難しいのは、外側の、他者の、世間の尺度に価値の軸を置いて生きてきた結果なのだと思います。それはそれなりに楽でした。

けれど、今になって思うことは、娘たちが庭の砂や枝葉で作った秘密基地を完成させ、今世紀最大の超大作を仕上げたように喜ぶ、あの豊かな感性を自分のなかに呼び戻したいなあということです。

いろいろな高校生の「たいへんさ、しんどさ」を聞き取ってきた中で、上記のことに通じる点があります。
価値観の軸を自分の外側に持ち出されてしまったときに、「あるべき自分」が「今の自分」を脅かしてくる。その程度があるラインを超えてくると、どうしようもない乖離に耐えられなくなり、学習や学校生活全般がうまく回らなくなってくる。周囲に対して攻撃的に対処する子もいれば、すべてを放棄して無気力になる子もいれば、内罰的になり自分を責め続ける子もいます。

そういう仕組みを変えていくために大切なことは、「選択」だと思います。
「自分で選択」し、同時に「選択しなかったもの」ともしっかり向き合うことなのだと思います。
周囲の「こうするべき」に従わせる教育は、現代社会の中では有用性が低くなっているのは明らかです。「正解」ではなく、ある状況下での「最適解」を、そこにたどり着くプロセスをも含めて問われる時代です。
「学校生活がしんどい」という訴えは、別の環境を求めている声でもあり、「自分で選択する」チャンスの一つでもあると捉えれば、さまざまな教育環境を整備していくことは必然なのではないでしょうか。


さて、そんなことを考えながら、先週は在住の県と近隣市町村に電話してみました。尋ねた内容は「①不登校児童生徒への対応の現状」と「②民間事業の必要性についての認識」です。
今後の課題を2つに整理してみます。

◆ 不登校問題に対する民間事業の必要性はいかに?
<県教育委員会>
①不登校児童生徒が多数いることを把握している。県内のフリースクール運営者と年に数回集まってミーティングを行い、ニーズを聞き取っている。
②民間の力に期待している、との回答。全国的には珍しく「フリーススクール推進事業」を実施している。要件を満たせば、補助金が出るので、活用してほしい。

<近隣市教育委員会その1>
①学習支援センターで不登校生徒の支援を行っている。そこに教員免許を持った教員が向かって学習支援をする。センターの職員が支援を行うケースもある。
②市としてはフリースクール等の推進を積極的に考えているわけではない。

<近隣市教育委員会その2>
①学校内フリースクールなどがある。並行して市内のフリースクールも活用している生徒がいる。民間フリースクールとは連携しており、出席扱いになるケースもある。
②市としてはフリースクール等の推進を積極的に考えているわけではない。

→ 民間で不登校支援の土台を作っていくのは大変そう。でもニーズは子どもにも学校にもあるように思われる。市町村レベルでは、補助金や助成金の制度は一切なく、完全に自力(自腹)でやるしかない?

◆NPO法人として事業を起こす場合の持続可能性は?
NPOというのは一般的に、個々のボランタリズムに依存して成り立っている側面が強いようです。
今年3月に主人が尽力して立ち上げたNPO法人の事業のひとつとして始める際にも、いちばん先に浮上してくるのが金銭面での不安…。
この点は、NPOの活動方法について勉強しつつ、世の中のNPOの在り方についての提案・発信が必要なのかもしれません。

各教育委員会に聞いてみた結果、不安要素が浮き彫りになってきてしまいましたが、今回の記事の題名「今日の最善が、明日の最善ではない」という松下幸之助の言葉に勇気をもらって、、、常によりよい方法を考え、形にしていきたいと思います。

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