Yuri Shoji

10年間 高校教員を続けてきました。 2024年春からは、高校非常勤講師として働きつつ…

Yuri Shoji

10年間 高校教員を続けてきました。 2024年春からは、高校非常勤講師として働きつつ「新しい学びの場」を創っていこうと思っています。 高校教員の立場で考えること、2児の母の目線で思うことなどを綴っていきます。

最近の記事

「学校(での)教育」を考える。

今回は以前投稿した記事(「高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2」)に関連する内容です。 ※2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。大きな理由の一つとして、以前から、子ども達が自分らしく学べる場を創りたい、という気持ちがあったからです。 「教育」という言葉は実はとても抽象的ですが、「学校に通う」ということをまずイメージしますよね。 小学1年生の娘も、学校は「当然通うもの」と捉えて、眠くても嫌なこと

    • 働き方を変えるという選択

      今回は前々回の記事の続きを書き残します。 学生時代の私は、野心的な方だったと思います(笑) 当時の私にとって、「自己実現」とは、成長欲求が満たされる職場、給与が安定した職を得て、社会的・経済的自立を達成することでした。 将来のためにたくさん勉強して、教員免許を取って、目標だった学校の先生になって、いくつになってもバリバリ働く姿を想定していました。 日本社会のジェンダーギャップに対する反骨精神も旺盛で、「女性だから」を理由にしない・されない働き方を自分自身が体現しようと思

      • 高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2

        2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。 今回は、もうひとつの大きな理由について書き留めていきます。 それは、以前から、子ども達が自分らしく学べる場を創りたい、という気持ちがあったからです。 学校現場で日々生徒たちと関わっているといろいろな表情がみられます。 学校という社会のなかに、本当にいろいろな個性が存在しています。 心身の著しい成長期というのも相まって、各々がとてもエネルギッシュです。 それと同時

        • 高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました。

          2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。 理由はさまざまあります。 もっとも大きな理由から記録していきます。 それは、4月から長女が小学校1年生になったこと。 1歳の誕生日から6歳になるまで、保育園に通っていました。 毎日18時まで預かってくれ、延長保育の利用も可能でした。 高校教師という仕事を続けられたのは保育園の存在があったからです。 しかし同時に、常に葛藤がありました。 長女が生まれるまでは、部

        「学校(での)教育」を考える。