Yuri Shoji

10年間 高校教員を続けてきました。 2024年春からは、高校非常勤講師として働きつつ…

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10年間 高校教員を続けてきました。 2024年春からは、高校非常勤講師として働きつつ「新しい学びの場」を創っていこうと思っています。 高校教員の立場で考えること、2児の母の目線で思うことなどを綴っていきます。

記事一覧

「学びの場」の多元化に向けて

前回の記事「学校(での)教育を考える」では、学校が担う役割の多さとその限界について触れました。 「言うは易し・・・」で終わってはならないテーマだと思っています。 学…

Yuri Shoji
7日前
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「学校(での)教育」を考える。

今回は以前投稿した記事(「高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2」)に関連する内容です。 ※2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で…

Yuri Shoji
2週間前
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働き方を変えるという選択

今回は前々回の記事の続きを書き残します。 学生時代の私は、野心的な方だったと思います(笑) 当時の私にとって、「自己実現」とは、成長欲求が満たされる職場、給与が…

Yuri Shoji
1か月前
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高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2

2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。 今回は、もうひとつの大きな理由について書き留めていきま…

Yuri Shoji
1か月前
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高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました。

2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。 理由はさまざまあります。 もっとも大きな理由から記録し…

Yuri Shoji
1か月前
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「学びの場」の多元化に向けて

「学びの場」の多元化に向けて

前回の記事「学校(での)教育を考える」では、学校が担う役割の多さとその限界について触れました。
「言うは易し・・・」で終わってはならないテーマだと思っています。
学校が「教育活動」を抱えすぎている事に関しては、さまざまな見方や捉え方、アプローチが考えられますし、現に学校の内外からさまざまなアクターが試行錯誤しているはずです。
また、私は現在の公教育を否定したいわけではなく、その他の選択肢が今後、自

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「学校(での)教育」を考える。

「学校(での)教育」を考える。

今回は以前投稿した記事(「高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2」)に関連する内容です。

※2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。大きな理由の一つとして、以前から、子ども達が自分らしく学べる場を創りたい、という気持ちがあったからです。

「教育」という言葉は実はとても抽象的ですが、「学校に通う」ということをまずイメージ

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働き方を変えるという選択

働き方を変えるという選択

今回は前々回の記事の続きを書き残します。

学生時代の私は、野心的な方だったと思います(笑)
当時の私にとって、「自己実現」とは、成長欲求が満たされる職場、給与が安定した職を得て、社会的・経済的自立を達成することでした。

将来のためにたくさん勉強して、教員免許を取って、目標だった学校の先生になって、いくつになってもバリバリ働く姿を想定していました。

日本社会のジェンダーギャップに対する反骨精神

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高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2

高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2

2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。

今回は、もうひとつの大きな理由について書き留めていきます。

それは、以前から、子ども達が自分らしく学べる場を創りたい、という気持ちがあったからです。

学校現場で日々生徒たちと関わっているといろいろな表情がみられます。
学校という社会のなかに、本当にいろいろな個性が存在しています。

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高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました。

高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました。

2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。

理由はさまざまあります。
もっとも大きな理由から記録していきます。

それは、4月から長女が小学校1年生になったこと。

1歳の誕生日から6歳になるまで、保育園に通っていました。
毎日18時まで預かってくれ、延長保育の利用も可能でした。
高校教師という仕事を続けられたのは保育園の存在があ

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