再訪の鎌倉 プロローグ 〜 「今日、定時で帰ります!!」
この7年半後の旅行記です。
2015年3月、あの夜は雨が降っていた。
日はとっくに沈んでいて、既にあたりは真っ暗だった。
傘をさして歩いた、湘南深沢駅から鎌倉ゲストハウスへの道のりはその天気も相まって随分と暗く寂しい場所だと思ったものだ。
右手には幅の狭い川が流れていて、街灯もまばらで、当時ネット環境を絶っていた私は、この道で合っているのか、という不安な気持ちを胸に歩みを進めたことを思い出した。
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2022年11月4日、先月宿泊した長谷のゲストハウスのホストに言われた言葉が衝撃的で、私は半ば勢いで鎌倉行きを決めた。
「鎌倉ゲストハウスさんね、今年で閉めちゃうんだってね」
鎌倉ゲストハウスが無くなる?
嘘でしょ?と口を突いて出た言葉と共に、やっぱりかという気持ちもしていた。
新型コロナウイルスの流行による観光客減少に伴い、経営状況が悪化していたようで、クラウドファウンディングも行うなど、苦しい状況にあったのは伺い知ることができた。
しかし、"あの"鎌ゲスが無くなる、というのはやはり衝撃的で、哀しく、寂しい事実であった。
鎌倉ゲストハウスは、私が旅を好きになったきっかけとなった場所だったからである。
教えてもらって食べに行ったキャラウェイのカレー、
見に行った湘南の夕日、
その素晴らしさに出会って、そこで味わったワクワクした気持ちが、
当時21歳、3年遅れで大学生となる私を旅に連れ出した。
あれから色んな所に行った。
キャリーケースを転がして行く「旅行」ではなく、私はバッグ一つに荷物を詰め込んで、その身一つで自由気ままに様々な地を巡る「旅」を好んだ。
国内の主要な観光地をいくつか見て回ると、あの鎌倉旅から2年と経たずに今度は海外にも一人で行くようになった。
もっとも、金のない貧乏学生の上、移動費や宿泊費を極端なくらいケチった旅をすることをこよなく愛した私は、もっぱら東南アジアをふらふらすることが殆どだったわけであるが。
だが、その東南アジアの、特にタイでの、景色だけでなく人との様々な出会いにより私は旅の深みへとハマっていくこととなった。
あれから7年と半年、早いものである。
とにかく、そうした様々な旅を経験した後に、私はふたたび、鎌倉ゲストハウスを訪れたのだ。
あの頃、様々な不安と僅かな希望をもち、隠しきれない深い闇をその内面にも外見にも湛えた根暗なクソガキは、もう社会人になっていた。
定時とほぼ同時にパソコンの電源を落とし、細かな作業と片付けを済ませた私は、机上のホワイトボードにでかでかと書きなぐって職場を後にした。
「「11/4 定時で帰ります!!」」
この日、私には定時で帰らなければならない理由があった。
一刻も早くチェックインを済ませて宿の雰囲気を味わいたかったから
ではなく、
少し早く鎌倉に着くことで少しでも旅気分を味わいたかったから、
でもなく、
かかんの麻婆豆腐を夕食に食べたかったからである。
かかんは鎌倉の御成町に本店を構え、梶原と渋谷の保土ヶ谷にも展開している、麻婆豆腐の専門店である。
丁寧に作り込まれた本格的な麻婆豆腐は非常に満足感を得られる逸品で、鎌倉に来たからには私が訪れたい店の一つだ。
ここは以前宿泊した、常磐にあるゲストハウスのスタッフに勧められた店で、何度か通っている。これまでこの味を超える麻婆豆腐を出す店には出会ったことがない。
その梶原店が、鎌倉ゲストハウスのすぐ側にあるのである。
ならばここで夕食に食べない、という選択肢など無いではないか。
しかし、現在諸事情により18時30分には店を閉めてしまう。
その味を楽しみたいがために定時退勤をした私は、18時を過ぎた頃大船駅に着いた。
横須賀線と東海道線、そして湘南モノレールが乗り入れるターミナル駅が大船駅である。
小田急と江ノ電、東海道線が乗り入れる隣の藤沢駅と共に、鎌倉への玄関口のような位置付けの駅だ。
数分歩き、湘南モノレールの大船駅の改札を前にした時に、私はどこか懐かしいと感じた。
この景色は見たことがある、そう思った。
大船駅から吊り下げ式の湘南モノレールに乗ること約5分。3つ目の駅が湘南深沢駅である。
ここでは湘南江の島駅行きと大船駅行きの車両がホームを挟んですれ違う。
湘南江の島駅行きの車掌がホーム到着後走って出口への階段の前に行き、切符を回収する。
そんな光景が繰り広げられるのはこの駅の1つの特徴でもある。
幾度となく鎌倉を訪れていた筈だったが、私がこの光景を目にするのは2度目だった。
ホームから駅の外へ出るための階段へ向かう。
2015年3月、あの夜は雨が降っていた。
日はとうに沈んでいて、初めてのひとり旅、初めてのゲストハウスへの宿泊という不安な気持ちを胸に、バッグから取り出した小さなモスグリーンの折りたたみ傘をさして歩いた。
あの時に歩いた、駅からの道は暗く寂しい場所という印象だった。
右手には幅の狭い川が流れ、左手には民家や学校があり、人通りは少なく物静かな場所で、その雰囲気は私をどこか不安にさせた。
あれから、7年と半年が経った。
物静かな場所だと思っていたこの道は、川とそれに沿って立ち並ぶ民家や商店を隔てて車の通りが多い神奈川県道32号線が走っており、その川沿いは遊歩道のように整備されている箇所もあった。
確かに街灯も少なく暗いという印象も受けるが、道を見失うほどではない。
そもそも、車の音など、人工的な物音が聞こえるだけまだ安心できるじゃないか。
————鎌倉ゲストハウスの囲炉裏に灯る火を囲み、余市蒸留所限定のウヰスキーを嘗めながら、そんな感想を述べる。
すると、そのウヰスキーを私に勧めてくれた、ここへ来る前に北海道を旅してきたという男性が微笑んで言った。
「その話を聞くだけでどんな旅をしてきたのかが分かりますね」
そう、あれから7年と半年が経った。思えば遠くへ来たもんだ。
夜空に流れる雲の切れ間からは月が覗いていた。
もうすぐ満月である。
こちらに続きます。
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この投稿は2022年12月5日にAmebaで公開した記事の再掲となります。
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