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これからも愛してほしいけど構わないでほしいの



もう一か月近く、仕事に対して心の底からやる気が起きない。
何度も何度も繰り返してきた業務に飽きたのもあるけれど、仕事に関して色んな面で期待することもやめてしまったし、報われることの方が少なくてなんだかもう力が入らない。
まだまだ望んでいる昇格までも時間がかかりそうでじゃあ一体なにを糧に、ゴールに頑張ればいいのかもう全然わかんなくなっちゃった。
これくらいの力加減でこのくらいの数字をとって、なんとか毎年ほぼ同じボーナスをもらうという要領だけを手に入れたしまったし、頑張る目標が遠すぎて、裏切られた気持ちになって、疲れちゃった。


燃え尽き症候群なんだと思う。
3月までの半年をこれほどかというほどの力を振り絞って、しんどいのに笑って、走り抜いた。
疲れが涙になったのははじめてだった。
やりきって、素晴らしい賞を得て。
もうこれ以上わたしのしたいことが、ない。
してみたいなと思う大きめの仕事も半期に一つずつこなしてきて、これ以上はなくなってしまった。


20年働いている人からすると、きっとわたしなんてまだまだ甘いんだろう。だけど、わたしはこの10年休まずに出来るだけ前を向いて、何度も挫折しながら自分を励ましながら、言いたいことも心の中に何度もぐちゃぐちゃにして丸め込んで溶かして過ごしてきたと思う。
改めて振り返って褒めてあげたい。
辛かったね、頑張ったね、って。


わたしたちは大人になるにつれて、できないことを責められるようになるでしょう。
こどもの頃は、出来ることを褒めてもらえたのに。
そしてそのうち自分のできないことを頭の中でリスト化して自分を責めるようになって、愛されない理由とかをひたすら数えるようになったりしちゃう。


普段明るく振る舞っている人が見知らぬところで涙を流していることをわたしは知らない。簡単そうに仕事をこなす人が実は陰で血の滲むような努力をしていることをわたしは知らない。
表面だけにとらわれてはいけないし、人には人の孤独や地獄がある。



疑い続けるのは信じたいからで、探し続けるのは諦めたくないからで、想い続けるのは嫌いになれないからで、戦い続けるのは祈っているからで、最終的に生き続けるのは届かないからなんだろうね。


ここには、わたしの本音しかありません。
毎日生きていると意識してなくても、誰かのために小さな嘘をついたりすることも多いと思うからこそ、ここだけはわたしの本音ワールドにしたいとnoteを始めました。


スキ、コメントやフォローをくれる方、本当にありがとうございます。
わたしの書いた拙い文章、時には殴り書きのような気持ちの整理のために書いた文章、わたしはいつも誰か一人でも届けばいいなあと思って一人一人に向けて書いています。 
わたしとあなた、いつもそう思って誰かがひとりぼっちだと感じたときに、たまたまこの記事に辿り着いたりして、そんなあなたの心の一ミリでも救いになればいいなと願っています。


わたしの経験が誰かのなにかに繋がれば、眠れず朝まで音楽を聴いて夜が明けるのを待ったあの日も、不甲斐なさや理不尽さの積み重ねでどうしようもなく涙が止まらなかったあの帰り道も、好きな人のことを諦めなくちゃいけないと泣くのを我慢して背中を見送ったあの日も絶対に意味があるものなんだと思う。
生まれてこなきゃ良かった感情なんて、きっと、何一つない。


ちゃんと届いてますというコメントを何人かからいただいたのですが、本当に一ミリでも届いていて、わたしのことを思い出してくれたりしたら嬉しいなと思います。



いつも傷ついてないふりしてるけど、
たまに倒れそうで、
誰かに寄りかかって眠りたい夜もあるよ。
弱いところも見てほしいんだ、ワガママだけど。


こんなわたしでも、こんなわたしだけど、
愛されたいと願う。愛されたいと祈ってしまう。
でも、そんな愛される人間ではないことも知っている。だから、それなら誰も構わないでほしい。なんて、ワガママだね。



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