見出し画像

数値化されない世界になったならば

いくら気にし過ぎないように、と思っていても、
こうやって何らかの形で発信をしていたりすると、いいねやアクセス数、再生数といった「数値」を気にせずにはいられない。つい気になって、1日に何度も確認してしまうのは私の悪い癖だ。

思えば、私たちは生まれてからずっと数値で判断されてきたように思う。
年齢、テストの点数、成績、受験の合格点、TOEIC何百点とか、業歴とか、そういうの。

そして同じ位、数値で人を判断してきたとも思う。
チャンネル登録者が何百万人のYouTubeだから見る、年収ウン千万の成功者の言うことだから真似してみる。とても売れている本だから読む。フォロワーが何万人もいる人だから凄いと思う。いいねが沢山ついている写真だから綺麗なんだと思う。

勿論、数値というものは物事を画一的に知る為に必要不可欠なものだ。
シンプルに数字で表されることで新しく分かることも沢山ある。

でも、そうやって何でもかんでも数値化すると、「私たちって、数値で出来ているんだろうか、というか、数値が私たちなんだろうか」なんて思ってもしまう。

更新を再開したstand fmはフォロワーや再生数、いいねが視聴側からは見えないようになっている。
私のような超弱小発信者からしたら、大変有難い仕様なのだが、これからの時代はそうなっていくのかなと思ったりもする。数字ではなく、質を重視する時代。

もし、目の前にいる人の事が何も分からなかったとしたら。
その人の言葉、表情、声音、振る舞い、考え方などあらゆる事にアンテナを向けて、その人がどういう人なのか、自分で判断をしなければならないのだ。

正直に言って、めちゃくちゃ面倒臭いと思う。
人間は面倒を嫌う生き物だ。色々楽をしたいからこそ、こうやって文明や科学を発展させてきたのだと思うし(※個人の意見です)、だからこそ人を「数値」で表すようになったのだろう。

でも。何でも分かりやすく数値化してくれて、自分の頭でも考えなくてもよくなったからこそ、もしそれが無くなった時、路頭に迷ってしまうと思う。

だから、そういったものに左右されない、自分の感性のようなものを養っていく事も重要になってくるのかなと思ったりするし、反対に、自分の人生の軸をしっかりさせる事で、数値以外で自分を見てもらえるようにもなってくるのではないかと思う。

数値は答え合わせ、くらいの感覚で使うのがベストなのかも。

だって、数字でしか物事を判断できない世界って何だか悲しいじゃないか。

世界は、数字では表せないよく分からない楽しいモノで溢れているのだから。


梨女(@xxnashimexx)



ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。