【2024年ニンジャソン夏】タナバタについて
ドーモ、三宅つのです。これまでつのはニンジャスレイヤー世界におけるニンジャ伝承などについて考察して来ましたが、本日は旧暦七夕ですので、これに合わせてニンジャスレイヤー世界における「タナバタ」について、我々の現実世界における七夕を参考に考察してみました。あまり整理されていませんが、ネタバレやNRSにご注意下さい。
タナバタ・ニンジャクラン
ニンジャスレイヤー世界において、我々の世界でいう「七夕」に相当する行事が行われているシーンは見覚えがありませんが、おそらく存在はするのでしょう。また平安時代以前のニンジャクランのひとつに「タナバタ・ニンジャクラン」がありますが、これは七夕の行事と関係がありそうです。
2024年8月現在、タナバタ・ニンジャクランのニンジャソウル憑依者は、かつてザイバツ・シャドーギルドに所属していた双子の兄弟ニンジャ・ディプロマットとアンバサダーだけです(ともにアーチ級)。このクランのリアルニンジャには「ザヴとシルバーキーの偉大なる冒険」に登場するスバル・ニンジャと、その相方ですでに死亡していたムツラ・ニンジャがいます。昴(すばる)はプレアデス星団のことで六連星(むつらぼし)ともいいますから、星に関わる名としてタナバタ・ニンジャクランにはふさわしいですね。
このニンジャクランについて公式から言及されたのは、トリロジー第二部第1話「ウェルカム・トゥ・ネオサイタマ」のnote版におけるN-FILESが初であり、「インタビュー・ウィズ・ニンジャ」(22)および(63)で少し解説がなされています。有料記事ですから全部転載することはしませんが、概要をかいつまんでまとめれば、次のような特性を持つクランのようです。
ポータル・ジツは攻撃にも転用でき、敵をオヒガンの彼方へ転送したり、ポータルを閉じて削り取ったりもできますが、基本的には対ニンジャ戦闘用のジツとは言えません。また相方とニューロンを遠距離で通わせるテレパシー/コトダマ通信が基本のジツと思われ、コトダマ空間≒オヒガンとの関係が強いクランのようです。コトダマ空間認識能力を有するのなら、ハッカーニンジャの適性もありそうです。マイニュ・ニンジャのムシアナ・ジツも似てはいますが、こちらは攻撃や回避が主で、遠隔移動には使えません。
コトダマ通信系のジツとしては、ザイバツ所属の占いニンジャ・アラクニッドが用いていた「ユメアルク・ジツ」があります。彼はアカシ・ニンジャクランのソウル憑依者ですが、このジツは「遠く離れて逢えぬ平安時代の貴族ニンジャたちが編み出した」と言うのですから、タナバタ・ニンジャクランのニンジャも相方同士ならば使えたでしょう。シルバーキーが用いるユメミル・ジツや、オモイ・ニンジャとも関係があるかも知れません。
七夕とは
我々の世界における七夕とは、古代チャイナに起源を持つ東アジアの祭礼で、旧暦/太陰太陽暦七月七日(新暦/太陽暦では8月頃)の夕方に催されるため「七夕」と言います。日本で「たなばた」と読むのは「棚機」の意で、女性が棚を並べ機織りを行う儀式を伴うことによります。しかし、現在のような形になるまでには様々な変遷を経ています。
チャイナ最古の詩篇である『詩経』のうち、周王朝の朝廷で歌われたものを「雅(が/みやび)」といい、その一つの小雅に「大東」という詩が収録されています。西方の周王による東方への搾取を批判するものとも解釈されますが、よく読めば当時の恋歌で、織女と牽牛を含む多数の星宿が列挙され、壮大な天文のさまを垣間見ることができます。下記の記事を参考にして仮に訳せば、このようになりましょうか。
すでに春秋戦国時代には、多種多様な星宿とそれにまつわる物語があったことを伺わせます。古代チャイナでは、天球を月の公転周期に合わせて28に分割し、各分野にあって天の赤道に近い28の星座(宿)を二十八宿と定めました(インドでは二十七宿)。東西南北に四分割すると七宿ずつで、北方七宿には牛宿と女宿が含まれ、牽牛・織女とはこの2つの星宿を指していたようです。のち牽牛は牛宿の河鼓にある牽牛星/彦星(わし座のアルタイル)、織女は同じ牛宿の織女にある織女星/織姫(こと座のベガ)に当てはめられました。ともに恒星で明るく目立ち、間には天の河(銀河)があり、旧暦七月七日には互いに最も接近して視えるといいます。
漢代になると「迢迢牽牛星」なる詩が現れ、「牽牛星と河漢女(織女星)が天の河を隔てて雨のように泣く」と明確に両者を「河で引き離された恋人」として描いていますし、後漢初期の班固の『西都賦』にも「左に牽牛、右に織女、雲漢(天の河)の涯がないのに似る」と歌われ、後漢末の応劭の『風俗通義』逸文には「織女は七夕の日に鵲を橋として河を渡る」とあります。こうした伝承が発展し、南朝の梁(502-557年)の時代には現在の牽牛織女物語がほぼ完成しました。
梁の宗懍が編纂した『荊楚歳時記』によると、七月七日は「牽牛と織女が出逢う夜」とされます。その夕、人家の婦女は彩糸を七本の針に通し、机と筵を庭に並べて酒や干し肉、瓜や菓子を載せ、針仕事の技術が巧みになるように乞い願います(乞巧奠)が、この時に蜘蛛(喜子)が瓜に網を張っていれば吉兆だといいます。また殷芸の『小説』によれば、織女は天帝の娘で天の河の東にいましたが、機織りの仕事に没頭して容貌を調える暇もなく、独身のままでした。天帝は憐れんで天の河の西にいる牽牛郎に嫁入りさせましたが、今度は機織りの仕事を忘れました。怒った天帝は二人を天の河の東西に引き離し、年に一度だけ逢うことを許したといいます。
チャイナの南北朝を統一した隋、続く唐でも、この祭礼と物語は広く伝えられ、遣隋使・遣唐使を派遣していた倭国/日本にも導入されました。日本では天平勝宝7歳(755年)に宮中で初めて「乞巧奠」が行われた記録があり、同時代の『万葉集』にも「天漢梶音聞孫星与織女今夕相霜」と詠まれています。大伴家持も「鵲の橋」云々という和歌を詠んでいます(万葉集には収録されず、鎌倉時代初期の『新古今和歌集』に収録)。日本では織女を「天棚機津女」と意訳し、天照大神の衣服を織ったなどとしていますが、もとはチャイナの伝承なのです。
織女伝説
しかし、この物語にはさらに古い形があるようです。織女が行う機織りや針仕事、糸紡ぎといった仕事は、天の女神が行うのですから天地自然の営みで、人間に運命を定める行為だと古くから信じられて来ました。ギリシア神話の運命の三女神モイライ(分け前を定めるものたち)、北欧神話の同種の存在ノルニル(編むものたち)は有名です。天照大神も高天原で養蚕や機織りを行っており、スサノオに屋根裏からアンブッシュされています。
古代チャイナの神話では、運命の女神として西王母が存在します。『山海経』によれば、彼女はチャイナ西方の玉山(崑崙山)に住まい、人の姿ですが豹の尾と虎の下半身を備え、ざんばら髪で唸り声をあげる恐ろしい形相をしています。また頭には玉勝(かんざし、もとは糸紡ぎの棒)を載せ、手には杖を持ち、三羽の鳥を使役し、天の災い(疫病)と五種の刑罰を司るとされます。彼女は殷代には「西母」と呼ばれ、「東父(東王父)」と対を成していましたが、これが牽牛織女伝説のルーツではないかとも考えられています。周の穆王が西王母のもとを訪れたとか、漢の武帝のもとへ西王母が訪ねてきたといった伝説も、西王母と東王父の邂逅を再現したものでしょう。
西域(中央アジア)から天文学・占星術の知識が伝来するまで、チャイナでは星宿に関する知識はさほど発展しませんでした。殷では太陽と月の運行によって暦を作り、太陽(日)が手の指の数(10回)出没するのを「旬」というサイクルとし、月の満ち欠けに従って儀式を行っていました。太陽が東から現れるのを朝、西へ沈むのを夕といい、東父・西母の司るところです。東王父は太陽、西王母は太陰(月)とすれば、両者が交われば日食や月食が起きます。「十の太陽が一度に現れて人々が苦しんだので、弓の名手が九つを射落とし、残る一つは隠れて日食が起きた」という神話もあります。
その英雄・后羿の妻とされるのが、チャイナでは姮娥/嫦娥という月の女神です。彼女は夫が西王母から与えられた不死の霊薬を密かに飲んで月へ昇ったとされ、不死を得られなかった夫は嘆き悲しんだといいます。ギルガメシュ叙事詩を思わせるこの伝説は、天帝によって引き裂かれた牽牛と織女の伝説にも似ていますし、かの『竹取物語』ともつながっています。地上から降った天女との恋物語であれば、羽衣伝説とも関連性を持ちます。
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おそらく星宿や星が織女とされる以前、「運命の織り手」である女神は月にいたのです。彼女は不死の霊薬を所有しており、時に人間界に降り、地上の男と恋仲に陥りつつ、最後は月や天上世界へ去っていきます。両者は引き裂かれた運命を嘆き、あるいは不老不死を得られなかったことを嘆き、再び出逢えるよう恋い焦がれている……というわけです。無論実際に天空の彼方の月や宇宙へ赴くのではなく、現世からオヒガンへと赴くのですが。
すでに見たように、このありようはドラゴン・ニンジャに似ています。しかし、タナバタ・ニンジャクランはドラゴン・ニンジャクランから派生したわけでは(おそらく)なく、本編でユカノとポータル双子のゴタゴタはあったものの、ドラゴン・ニンジャとの通信にジツを用いることもできません。彼女自身もテレパシーを使っている様子はなく、糸紡ぎや機織りをすることも(チャドー呼吸でエテルを操ったりオヒガンに接続したりしますが)していません。ただし、「運命の織り手」が別にいるとすればどうでしょうか。
ポータル・ジツが開通するオヒガン・ワームホールは、現世と現世の距離をオヒガン(超自然的・霊的な領域)を通ることで縮めています。その上方にはキンカク・テンプルがあり、それを守る存在インクィジターがしばしば襲撃してきます。宇宙や天の河ならぬオヒガンにおいて、不動の存在であるキンカク・テンプルは月や北極星にも例えられ、その中には全ニンジャの父祖、ヌンジャたるカツ・ワンソーがいます。彼はまさに「天帝」であり、運命の織り手・定め主と言えるでしょう。
カツ・ワンソーは「父祖」とも呼ばれるからには男性のようですが、神にも等しい存在に性別は関係なく、アバターの一人であるゾーイは少女の姿をしています。彼の凝視や呼び声は全ニンジャに影響を与え、ニンジャ大戦で「西軍」にいたワンソー派のニンジャにとっては特に、畏れ多くも慕わしい感情を引き起こすことでしょう。遠く離れ、姿も見えず、手も届かない存在を慕い、執着し、出逢うのを求める……これを恋(乞ひ)と言います。
UNIXが発明される20世紀後半以前にも、ニンジャや非ニンジャは様々な方法でオヒガンと接続し、霊的な「ネット」を利用して情報をやりとりしていました。ポータル・ジツやテレパシーはその一種でしょう。そして糸紡ぎ、針仕事(刺繍)、機織り、網編みといった行為は、精神を集中させて異なるものを繋ぎ合わせ、繰り返される催眠的パターンによって、ニューロンをオヒガンと接続させる「ネットワーク」技術の一つだったのかも知れません。七夕に願い事を短冊に書き、笹飾りとして竹の枝に吊るす風習も、思いをコトダマに載せ、オヒガンに伝えて成就させようとする呪術と言えます。
南宋の孟元老が旧都東京(開封)を回想して著した『東京夢華録』には、七夕の乞巧奠について、『荊楚歳時記』とはやや異なる記述があります。それによると、この夜には婦人が月に向かって糸を通し、また小さな蜘蛛を箱に入れておきます。次の日に箱を開けて、蜘蛛が網を丸く張っていれば、彼女は針仕事や機織りなどに巧みな女性になるというのです。月といい蜘蛛といい、箱の中の網といい、UNIXやインターネットを思わせますね。
七夕と月の関係はまだあります。太陰暦は月の満ち欠けにより日数を数えますから、毎月の最初は新月(朔/ついたち=月立ち)、真ん中は満月(望/もちづき=満ち月)、最後は晦(つごもり=月籠り)となります。月初めから三日目の夜の月を三日月(みかづき/朏)といい、月の七日目は必ず半月、上弦の月となります。これは天の河を進む船に見立てられました。
そして旧暦七月七日から八日後、七月十五日は満月でお盆にあたります。七夕は本来お盆の前に、現世とアノヨの間で交信を行う祭礼だったのです。実際沖縄では盆の行事の一環とされ、墓掃除等を行っています。天の彼方の見知らぬ男女の仲がどうなろうと地上の民は知ったことではありませんが、亡くなった先祖や愛する家族と「年に一度」再会できるとなれば話は別です。そのような者がいなくなって久しい不老不死のニンジャなら、まさに「父祖」カツ・ワンソーと交信を01010101罪罰罪罰罪罰罪罰罪罰汎罪陰謀
010101010天羅0101罪◇罰0101地網010101010
……どうやら深入りしすぎたようです。歴史の闇に不用意に触れることは得策ではありませんから、今回はこのあたりにしておきましょう。
【以上です】
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