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国際化時代のクラシック音楽。『チャイコフスキー・コンクール』中村紘子


モスクワで4年に1度開催されるチャイコフスキー・コンクール。門外漢には、音楽コンクール=芸術的行事と単純にイメージされがちだけれど、コンクール開催の1ヶ月間は、大勢の参加者たちの悲喜こもごもと各国審査員たちの思惑が交錯するそうです。

著者は、有名なピアニストで、チャイコフスキーコンクールの審査員もつとめていた中村紘子女史。この本は、コンクールでの経験をもとに書いたエッセイで、コンクールの舞台裏、国際化時代のクラシック音楽の現状をおもしろく疑似体験させてくれます。

私は、音楽にはまったく詳しくないのですが、中村さんが高校時代に好きだった庄司薫さんの奥様ということ、あと猫好きな方ということで、この本を手にとった記憶があります。もしくは、佐渡裕さんの本を読んだ後の音楽家つながりだったかも。

世界最初のコンクールは、1890年にベルリンで開催された第1回国際アルトン・ルビンシュタイン・コンクールといわれています。貴族がパトロンだった時代、神童のような音楽家が保護されていた一方で、才能ある無名の音楽家が世に出る方法はとても限られていました。

けれど近代になって、社会経済の発展の上に、クラシック音楽と音楽教育が普及し、大衆化・制度化したことでコンクールが生まれました。その結果、およそ、才能ある無名の音楽家が埋もれることはなくなったそうです。

この本では、コンクールで思いがけない幸運をつかみ、優勝した若いピアニストたちと、その後の運不運がいくつも紹介されています。そうかと思えば、結果を重視しない「ツーリスト」と呼ばれる参加者たちもいます。女性ピアニストたちをめぐる、さまざまな逸話もあり。厳しい審査員たちの意外な素顔などなど。国内外のコンクールにまつわるたくさんのエピソードは、音楽に感心がある人にとっても、ない人にとっても、とても興味深いです。

この本書が出版された当時、国際コンクールでの日本人ピアニストの半ば固定したような評価は「ミスなく平然と演奏するが、機会のように無表情」というものだそうです。中村さんは、その原因について、①日本人の有史以来の舶来礼賛主義と、②明治以降に二流三流のお手本を元にして、技術中心で「西洋音楽」を模倣せざるを得なかった弊害、そして、③その伝統が現在に至るまで続いてしまっている音楽教育の現状を指摘されています。

でも、これはピアニストに限らず、芸術系やスポーツ系、果てはサラリーマンにまで一般化できそうなステレオタイプの日本人観。戦後の日本社会で育つと、音楽であれスポーツであれ、だいたいこんな感じだった気がします。

でも、21世紀になると海外との距離も縮まって、以前とはだいぶ違った、「日本人的」な枠にとどまらない芸術家やスポーツ選手が登場しています。中村さんは、この本を書いたあとも、国際的な演奏活動と執筆活動も続けて、2016年に他界。本書出版語の日本の若い人たちの活躍を、きっと頼もしく見ていたのではないでしょうか。




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