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農村医療の実践者。『信州に上医あり』南木佳士


寒村の小さな診療所にはじまり、いまでは全国に知られる佐久総合病院。そこに敗戦直前に赴任し、「農民とともに」を合い言葉に農村医療を実践してきた若月俊一。医師として作家として人間の生と死を見つめてきた著者が波乱に満ちた信念の医師の半生をたどり、真の医療のあり方を問う。

出版社の宣伝文はこんな感じにまとめられているけれど、その文章は少し内容と違います。著者の南木さんは、お医者さんで作家さん。彼の興味は、あくまでも院長その人です。医療のあり方は、院長を語るために必要だけれど、それが中心ではありません。

佐久総合病院の若月俊一さんは、とても有名なお医者さん。彼と佐久病院に関する書物はいくつも出ているけれど、どれもがその業績を無批判に讃えているように思った南木さんは、医療は人間のやることなので、いろんな矛盾があって当然、称賛しかないのはおかしいと考えます。

だって、若月さんのやったことがすばらしいものなら、その他全国の病院が実施しているはずだから。でも、そうではない現実があります。南木さんは、若月さんの実践とその功罪を通して、若月さんの人間性を見すえようとしたといいます。

本書の主人公、若月医師が終戦の五ヶ月前に赴任したのは、内科の院長と大学を卒業したての女医さんがいるだけの小さな診療所でした。20数万人を抱える南佐久の山間部。そこでは、開腹手術できる医療施設は一つもなく、往診など頼めば一年分の米代金の半分がとんだそうです。

そんな状況の中で、若月医師は病院を整え、入院病棟をつくり、消毒や薬などをやりくりし、押し寄せる患者を相手にありとあらゆる手術をこなしていきます。農村を巡回して検査をし、農村特有の病気を治療し、病院を大きくし、農村医科大学まで計画します。そのほとばしるようなエネルギーには、読んでいるだけで圧倒されます。

若月医師は、戦後の日本の高度経済成長の時代の波にのって、医療体制を拡大した、そんな人物のようです。もちろん、誰でもが時代の波に乗れるわけではないし、ましてや他人がやらないことをやるパワーをもてる人は限られています。

昭和35年(1960年)、若月院長は『文藝春秋』で「日本のお医者さん十傑」に選ばれたそうです。佐久に来て、たった15年。50代そこそこで名声を得た院長は、その後もさまざまな賞を受けたとのこと。

しかし、外からの評価が高いほど、内部からの批判も多いのは自然の流れ。農村を巡回する医療は、医者のただ働きで成り立っていたし、検査で病気を発見しても、なかなか治療に結びつかない現実がありました。

理想と現実の乖離。それは医療制度の問題でもあるし、日本社会の問題でもあります。きれい事だけでは済まない農村独特の問題でもあったと思うけれど、南木さんは理想を掲げつつ、現実路線を歩いた院長を記述するにとどめています。

昭和という激動の時代に、若月俊一という医者がいたからできた佐久総合病院。来る者拒まず、去る者追わずで、いろんな医者が集まり、以前は梁山泊のような病院だったそうです。ですが、平成になって、集まる医者たちも普通になり、院長も80才を超えて、病院も大きくなりすぎると、もう理想を追うどころか、現状維持でも精一杯になってしまいます。

この本を読み終えた感想は、「信州に、上医ありけり」。かつても、ものすごいパワーを秘めたお医者さんがいて、それを支えてくれる人たちがいて、人口が増えて高度経済成長という時代が後押ししてくれて。

でも、令和の時代は経済成長が見込めずに、若者よりも高齢者が増え、人口が減り続ける時代。かつてとは違う、パワーのあるお医者さんたちの活躍が必要なのだと思います。それは、病院を大きくしたり、長生きする人を増やすことにこだわらないカタチなのかもしれません。そして、お医者さんだけでなく、いろんな仕事の人たちの協力も必要なんだと思います。




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