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失われた記憶のねじれ。『村上春樹のなかの中国』藤井省三


村上春樹さんは国内外で人気ですが、私は高校時代に『中国行きのスローボート』で挫折して以降、ほとんどご縁がありません。でも、村上さんを好きな人の話とか、評論とかは結構好きで読んでいます。

藤井省三先生の本は、村上さんが台湾、香港、中国でどのように受け入れられているのかを分析しつつ、中国語圏での村上春樹人気と、村上春樹さん本人の中の中国について書いています。

中国語圏での村上人気を説明するパートでは、中国や台湾、香港で、どの順番で翻訳が出て、それがどんな風に売れて(受入れられて)いったのかを丁寧にたどります。藤井先生によれば、台湾と香港では1980年代に翻訳が売れて、中国では少し遅れて1990年代に人気に火がついたとのこと。

そして、東アジアの高度経済成長と社会の変化による人間疎外、政治の民主化運動の熱気が過ぎ去った虚脱感なんかが村上ブームにつながったと、藤井先生はいいます。

村上さんと中国についてのパートでは、神戸という港町で中国人を身近に育った村上さんにとって、なぜかあまり登場しない中国や中国人の意味を考えます。藤井先生の分析によると、村上さんにとっての中国は「記号」だそうです。触れてはいけないものの「記号」。藤井先生は、村上さんの中にある、お父さんの中国出征の記憶のねじれを指摘します。

村上さんのお父さんは、戦前、将来を期待された京都大学の学生だったそうです。お父さんは、京都大学在学中に徴兵で陸軍に入り、中国へ行きます。戦後、敬虔な仏教徒として実家のお寺を継いだお父さんは、自分が兵士だったときの話をしませんでした。

でも、村上さんは一度だけ、お父さんがドキッとするような中国での経験を語ってくれたのを覚えているそうです。なのに村上さんは、その話がどういうものだったか記憶にないのだそうです。

お父さんの話は目撃談だったかも知れないし、体験談かも知れない。もしかすると、お父さんが中国の人を殺したことだったかもしれませんが、はっきりしないのです。ただ、話を聞かされて、ひどく悲しかったのは覚えているらしいです。村上さんは「ひょっとすると、それが原因でいまだに中華料理が食べられないのかもしれない」といいます。

藤井先生は、村上さんの文章の中に中国の有名な作家魯迅の影響を指摘します。香港の鄭教授にインタビューを受けたとき、村上さんはこう答えたそうです。

(中国文学は)主に古典的名著で、少し読んだだけです。系統性などありません」と謙遜しつつ、「今覚えている小説家は魯迅です。(ほかの現代作家は)覚えていません。

藤井先生は、村上さんのデビュー作『風の歌を聞け』の書き出しの「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という一句は、魯迅の言葉「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じ」を連想させると指摘します。魯迅とはまた、渋い……。

このほか、台湾アイデンティティについて藤井先生が書いている部分も興味深い内容で、少し前にあった台湾総統選挙を思い出しました。

一九九〇年代半ばに遡れば、ネーション創出よりも社会的平等により多くの関心を抱いていた私にとって、実はその時期は民進党がこの一〇年の中で最も「進歩的」である可能性を持っていた時期である。当時の一連の福利国家の主張は、民進党がこの島にヨーロッパ社会民主主義体制を出現させうるかもしれない優れた想像力を展開していた。惜しいことに、俗に媚びる選挙主義がたちまちこのような想像力を埋没させてしまい、これに取って代わったのがナショナルアイデンティティの闘いであり、たやすく動員できて大して想像力がいらない新路線であった。



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