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本場中国よりもファンが多い!?『三国志と日本人』雑喉潤

日本人でも知っている中国の『三国志』という物語。中国では正式には『三国志演義』とよばれていて、史実にもとづいたフィクションです。この『三国志』、日本人は中国人とは全く違った楽しみ方をするそうです。その日本独特の楽しみ方の歴史をたどったのがこの本です。

中国で『三国志』とだけいうと、正式な歴史の本で、中国では3番目に古くて、3世紀末頃に陳寿が書いたものを言います。ちなみに、一番古いのは司馬遷の『史記』で、2番目は班固の『漢書』。

『三国志』という歴史書は、主に「魏志」「蜀志」「呉志」の3つからなっていますが、日本では邪馬台国の記述がある「魏志」の「倭人伝」だけ突出して有名かもしれません。そして、5世紀には、『三国志』の本文と同じくらいの文量で、詳しい注釈をつけた裴松衣が『三国志註』を完成させました。

この歴史書の『三国志』が、いつ頃日本に入ってきたのかはわかっていないそうですが、8世紀頃には日本にも入ってきていただろうと見られています。というのも、8世紀に書かれた『日本書紀』には、『三国志』の影響が見られるので。ただし、日本人が『三国志』を読んでいたわけではなく、『日本書紀』の執筆に関わった渡来人が影響を受けていた模様。漢字の伝わったばかりの日本では、中国の歴史書の漢文を読みこなせるような人は、いなかったと考えられています。

さて、日本人が書いた文学に『三国志』の影響が出てくるようになるのは、14世紀の『太平記』あたり。本家の中国でも、講談で語られる物語として、民間に親しまれていた劉備や関羽、張飛そして諸葛孔明の話を、14世紀頃の人の羅貫中が、『三国志』と『三国志註』を元にフィクションを加え、『三国志演義』を完成させたと見られています。

そして、17世紀になり、江戸時代の日本では、京都のお坊さんが『三国志』を翻訳して出版しました。この本は『通俗三国志』と呼ばれていて、浮世絵の挿し絵付きで出版したら、なんと大ベストセラーになったとか。人気作家の滝沢馬琴は、『三国志』を元に『南総里見八犬伝』を書きました。

明治になると、内藤湖南などが『三国志』の本を書き、森鴎外が自分の小説の中『三国志』を取り入れ、土井晩翠は『三国志』を詩に詠んだそうです。というか、明治時代の「国定教科書」の小学校中等用・漢文には、「諸葛受遺命」や「孔明上疏」、「劉備三顧」なんかのお話が載っていたそうです。

そして昭和に入ると、吉川英治が小説『三国志』を書いて、ブームに火をつけました。中国では悪役だった曹操。でも彼を魅力的に描いた吉川英治の『三国志』があまりにも有名になったので、その後の日本人の『三国志』イメージに大きな影響を与えたようです。

日本では、その後も多くの作家が『三国志』を描きましたし、横山光輝ほか沢山の漫画家が『三国志』をもとに漫画を描きました。NHKは『三国志』を人形劇にしましたし、その後はいろんな会社が『三国志』のゲームをつくりました。そうそう、歌舞伎でも『三国志』が演じられたそうです。つまり、『三国志』の現地化(ローカライズ)ですね。

中国では『紅楼夢』や『水滸伝』、『西遊記』なんかも人気ですが、日本ではなぜか『三国志』人気だけがとび抜けていて、中国人の目から見てもそれはちょっと不思議だとか。まあ、『西遊記』人気もなかなかのものだと思いますが。


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