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京都の寺社仏閣巡り~梛神社・壬生寺

前回の記事と同じ日の話。

2月1日

おっさんと続いて歩いて到着したのは、なぎ神社(元祇園社)です。

梛神社は平安時代の貞観11年(869年)疫病の流行を鎮める事を目的として、播磨国広峰ひろみね(現在の兵庫県姫路市)より牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請し鎮疫ちんえき祭を行いました。この時、梛の林の中にその神輿を置いて祀ったことが始まりとされています。

後に神霊を八坂(現八坂神社)に遷祀する際に、この地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を送りました。これが祇園会(祇園祭)の起源と伝えられています。

鳥居をくぐると早速狛犬さん。

顎が無くなっていますね。

手水の奥に御供ごく石。祇園祭の山鉾巡行の際に、この石の上に神饌しんせんを置き神様に供えていました。下京区御供石町(万寿寺通り烏丸西入る)から、昭和7年(1932年)梛神社の境内に移されました。

はやぶさ神社。御祭神は建甕槌たけみかづちの神(隼大神)を主祭神とし、経津主ふつぬしの神・塩土しおつちの神・手力たぢから男神おのかみを配祀。隼神社は「延喜式神名帳」にも名が残る由緒ある神社であり、大正7年(1918年)に梛神社の境内へ遷座しました。

梛神社。御祭神は素戔嗚尊を主祭神としており、宇賀御魂命・伊弉冉いざなみの命、誉田別尊・稲田姫命・瓊瓊杵ににぎの尊・菅大神すがおおかみ・蘇民将来を配祀。

御神木の梛。

摂社の田中神社。

坊城通りの方の鳥居近くの狛犬さん。

再び歩いていると大きなお寺と、屋台が並ぶ風景が見えてきて少し寄り道しました。

京都市中京区にある壬生みぶ寺です。壬生寺は平安時代の正暦2年(991年)に園城寺(滋賀県の三井寺)の僧である快賢僧都によって創建されました。

 南都六宗の律宗に属しており、本尊は延命地蔵菩薩(重要文化財)で地蔵信仰と共に厄除けや開運のお寺としても有名です。

そして幕末に活躍した新選組ゆかりの寺としても知られており、境内の壬生塚には新選組隊士の墓塔が祀られています。 

洛陽観音霊場第二十八番札所である塔頭の中院、壬生狂言の舞台である大念仏堂(重要文化財)、千体の石仏を安置した千体仏塔など9棟の堂宇が境内にあります。 

訪れたのが厄除け節分会の日に近かったので、屋台が並んでいます。この壬生寺の節分会は京都年中行事の1つに数えられており、900余年の歴史を持っています。

ちなみに私は恵方巻きが食べられません、ご飯と海苔以外の具材全てが苦手です。汗

一夜天神堂。

可愛い撫牛。

歩いていると〇〇焼の屋台があり、

私が「〇〇焼ってなに?」とおっさんに聞くと「ちょっと大きめの回転焼きのような焼き方をした、お好み焼きですよ。」と教えてもらいました。

三福川稲荷。お狐さん小さくて可愛い。

阿弥陀堂。

水掛地蔵堂。

向こうに見えるおっとっと!!すくいが、すごく気になる…。

ここにも龍がいるのは初めて知りました。

本堂。

千体仏塔。

今回の記事ではここまで歩きました。
(天道神社は次回の記事になります。)

まだまだ歩いていきます、次回に続く。

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