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京都の神社巡り~田中神社・赤の宮神社

1月25日

朝起きて窓の外を見ると雪が積もっていました。と言っても、昨年の同じ時期に降った雪よりも遥かに降雪量が少なく車で出掛けるのも支障がない程でした。

おっさんが迎えに来てくれて、お昼ご飯はうどんを食べました。

それから移動して神社の駐車場に車を停めさせてもらい、京都市左京区田中の田中神社に来ました。

主祭神として大国主命を祀っており、創建された時期は不明。

本殿と拝殿は、江戸時代の寛永5年(1628年)賀茂御祖神社(下鴨神社)の造替の際に、比良木社の旧殿を賜ったとされています。応仁の乱の際に神社を中心に防壁である「田中がまえ」が築かれましたが、文明6年(1474年)西軍の攻撃により炎上。その後も度重なる火災により重要な文書類は消失してしまったそうです。

狛犬さんと鞠かな。

こちらの狛犬さんは口の中に玉。

小さな橋。

参集殿「弘安殿」には社紋の三つ葉葵。

これは…?

手水舎

手水舎の向こうは公園がありました。

ほっそりしている二宮尊徳。

本殿へと向かいましょう。

鳥居をくぐると左側には孔雀さんがいます。 

拝殿

本殿

狛犬さん。

御神水

末社の玉柳稲荷神社。明治12年(1879年)に氏子の要望により談合の森(今の叡山電鉄茶山駅辺り)から移された神社です。

伊勢神宮遥拝所。

車で移動し、コインパーキングに車を停めて次の神社まで少し歩きます。

賀茂波爾はに神社(通称、赤の宮神社)に着きました。

この神社は賀茂御祖みおや神社(下鴨神社)の境外摂社です。

御祭神は波爾安日子神はにやすひこのかみと波爾安日女ひめの神。創建は不明とされていますが、平安時代に纏められた「延喜式神名帳」に「賀茂波爾神社二座」とあり、延喜年間以前から鎮座していたと考えられているそうです。 

 明治10年(1877年)に政府の命によって「赤の宮」は神社名を賀茂波爾神社と改め、賀茂御祖みおや神社の境外摂社となりました。

下の部分が読めない…

鳥居をくぐり真っ直ぐ進み左に曲がると舞殿が見えます。

拝殿と本殿。

権九郎稲荷社

手水

波爾井御神水。

先に水を汲みに来ていたおばさんに勧められたので飲んでみましたが、舌が繊細では無いのでよく分かりませんでした。

生水なので自己責任で飲んでください、私は生水でお腹を壊す可能性があることを後で知りました。汗

まだまだ続きます。

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