bouquet《短編小説》
バイクのシートに残る温もり。
触れて感じるのは、優しい笑顔。
花と向き合う時間は、君と向き合っている時間に思う。
もう十年以上前。
高校に入ってすぐ、勉強にもついていけない、仲間と呼べる奴らも出来ず勝手に自主退学した。
親父からは物凄い剣幕で怒鳴られ、勘当された。
毎日、バイトと中学時代の仲間の家を点々とする生活。
そんな日々が半年程過ぎた頃、親父から電話が来た。
「母さんが病気になった。もう…そう長くない。家に帰って来い」
俺の頭は真っ白になった。どう返事をしたか覚えていない。
そう言えば、お袋に何かプレゼントしたのって小学生の時、小遣い溜めて買ったハンカチ位だな…。
唐突にそう思い、何かプレゼントしたくなった。
信じたくない現実を、まだ受け止めきれてはいなかったが、近くにあった小物を扱う店に入った。
「いらっしゃいませ」
可愛らしい声に迎えられ、俺は場違いな気がして、背を向けドアノブに手を伸ばした。
「え?来たばっかりで帰っちゃうんですか?」
すぐ後ろで声がした。
俺はびっくりして振り向いた。
小さな顔に大きな瞳。形のいい唇は、口紅でツヤツヤと光っていた。
一瞬見惚れた俺は恥ずかしくなり、ぶっきらぼうな口調で「いや、ちょっとお袋に何かプレゼントしたくて」
そう伝えると、その彼女は「予算は幾らくらい?」と人懐っこい笑顔を向けてきた。
多分俺は、その時に恋したんだと思う。
彼女に予算を伝え、お袋の好きな色だけ伝えた。
お袋は昔から、柔らかい紫色が好きだった。
彼女はすぐに奥へ行き、何かを手に戻って来た。
「これなら、色んな使い方出来るから…どうかな?」
俺はそれに決めた。
彼女のセンスの良さから、お袋がきっと気に入ると思えたから。
久しぶりに実家のソファーに座って、親父から詳しい事を聞いた。
お袋の病気の発見が遅かった為、ステージの進みが早く、もう治療は難しい事。保って、あと半年から一年。
全て聞いても、まだ信じられなかった。
親父が話し終え、お袋に顔を見せてあげろと言われ、二階の寝室に行った。
ノックの後、か細い声で「匠?」と返ってきた。
俺は、動けなかった。
今更になって、熱いものが頬を伝って来た。
「匠、顔見せて。おいで」
お袋の優しい声。
俺は乱暴に涙を拭い、いつも通りを装い部屋へ入った。
「まぁ…何て素敵なストールなの!お母さん好みの色だし。ありがとう、匠」
お袋の痩せた顔と身体。一回り小さくなっていた…。
「匠、羽織ってくれる?」
そう言われ、俺はお袋の肩にそっと優しくストールをかけた。
お袋は嬉しそうに撫で、それから言った。
「匠、あなたは人をきちんと愛せる人よ。お母さん、残念だけど匠のお嫁さん見れないけど、愛した人は必ず守り抜くのよ」
俺は無理に笑って「何言ってんだよ。お袋に必ず見せてやるよ。だから…だから生きろよな」
涙声になり、慌てて顔を背けた。
お袋はそんな俺を、小さい頃の時の様に抱きしめた。
「ありがとう、匠。あなたは私達の宝よ」
その日から、俺は実家に戻り真面目に働く様になった。
それから、仕事帰りの僅かな時間で口実を作っては、あの店に行き彼女に会った。
俺が真面目に働いている姿を見て、彼女は嬉しそうだった。
そんな彼女に、俺はますます惹かれていった。
お袋の容態は、日に日に悪くなって行った。
食べ物も、すぐに戻してしまう。
往診に来てくれている医者から、「この一ヶ月を大切に過ごして下さい…」
そう告げられた。
痛み止めの薬で眠っているお袋を見て、俺はある決意をした。
それから一週間後。
真っ白のロングワンピースに、白いヴェールに、淡い紫色のブーケを持った彼女と二人で、お袋が寝ている部屋をノックした。
「……はい、どうぞ…」
「お袋」
隣にいる彼女ははにかみながら、「初めまして、お義母さま」
お袋は驚いた顔をして、声にならない声で涙を流しながら彼女を抱きしめ「ありがとう、ありがとう」
何度もそう繰り返した。
予め、親父には伝えていた。
彼女にも突然のお願いで、初めは驚いていたが、状況を説明すると笑顔で承諾してくれた。
「親孝行のお手伝い出来たかしら?」
帰り、バイクの後ろに乗った彼女は聞いてきた。
「うん、ありがとう。…感謝してる」
そう言うと、背中に感じる彼女の温もりが強くなった。
彼女を店の前で降ろした。
一瞬唇に残った体温。
我に返った時は、彼女は暗い店内に戻っていた。
革ジャンのポケットに、何か入っている事に気付いたのは、家に着いてからだった。
それはヴェールの切れ端にブーケの数枚の花弁が包まれていた。
お袋が息を引き取ったのは、その日からちょうど一週間後だった。
お袋の棺の中に、彼女のブーケ、そしてストール、お袋が大切にしていた諸々を入れた。
全てが終わってから、久しぶりに彼女の店へと足を運んだ。
だが姿が見えず……。
「親父、俺、高卒認定取るよ。働きながら、真面目に勉強する」
親父は驚いた顔をしてから、くしゃっと見た事ない顔で泣き笑いした。
「そうか。そうか……頑張れよ」
今俺は、フラワーアーティストとして働いている。
俺の創り出す作品に初めて目を留めてくれたのが、後の俺の師匠になる人だった。
あの日、彼女を訪ね店長から聞いた答えは
「そんな女の子、働いてませんよ」
俺は今でも、あのヴェールを大切に持ち歩いている。不思議な事に、花弁は一枚も枯れずに瑞々しいまま、彼女の笑顔の様に輝いている。
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