ソノヨウ

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ドラマ/マンガ/時々小説/ラジオとか/ユーモア多めでお願いします/絵よりも文の人/公開してからの校正多めです/おかえりモネ/ちむどんどん/らんまん/ブギウギ/虎に翼 ドラマのつぶやきは Blue sky : samasama920.bsky.social

最近の記事

親の心、子知らず 朝ドラ「虎に翼」感想文(第24週)

「星さんも、人の親なのですね」 ほほ笑みながら結構ヒドイこという汐見を二度見した朝。第24週は、あちこちの親心を見つめながら我が身を振り返る時間だった。はあ難しい。そしてえーとあの、汐見さん、あなた航一さんをどんな人間と認識してたのよ笑 螺旋状に語りなおされる価値観 「お父さんは辛い思いをしてほしくなかったんだ」 自分の出自を隠していたことをとがめる薫に、汐見さんはそう言った。 「僕は可愛い娘が傷つくのを見たくないんだ」大学院を中退するといった優未に、航一さんはこう言った

    • 記憶と記録 朝ドラ「虎に翼」感想文(第23週)

      「意義のある裁判にするぞ」 これまで重低音で物語の底を流れていた「人権」「尊厳」「尊重」「承認」というキーワードが、滝のように金曜日の判決理由に流れ込み、結実していく。 そんな第23週。この週のメインテーマだった原爆裁判について知りたくて検索したサイトで、裁判所が判決以外の原爆裁判の記録を廃棄していた事実を知った。 記録 「雲野先生に頼まれてね。この裁判を記録してほしい、できれば世に知らしめてほしいってね…」雲野先生が竹中記者に依頼したのは「記録すること」だった。世に知

      • 牌はほんとに減ってるか? 朝ドラ「虎に翼」感想文(第22週)

        「生き残らなければ同じ場所に立てない」 「お前自身が邪魔者になる」 「あなたの居場所はここにちゃんとある」 「お父さんも百合さんもお兄ちゃんもみーんなふたりをみてる」 「役立たずと三行半を叩きつけられたの」 社会の話を縦糸に、家庭の話を横糸に。第22週は、居場所についての物語だった。 さて“パイの奪い合い”という慣用句があるけれど、私はそのパイをずっと「牌」だと思っていた。しらべたら、どうやらお菓子のパイらしい。なるほど、奪い合うにはそっちのほうが似つかわしい気もするけれど

        • 選べるだけじゃダメで 朝ドラ「虎に翼」感想文(第21週)

          「結婚したけりゃすればいい。子供が産みたきゃ産めばいい。勝手にしろ」 かつて寅子に、よねさんはそう言った。 「好きにしなさい。私は2人が選んだ決断を応援します。」 高瀬さんと小野さん、友情婚を選択するふたりに、寅子はそう言った。 選択していい、という同じ意味を持つ言葉が、全く違う空気を連れてくる。 ところで昭和生まれの私は、内縁という言葉を大人たちがどんなニュアンスで使ってたか知ってる。それはルールの外側の存在であり、表にできないもので、社会から承認されない関係だと言外に

        親の心、子知らず 朝ドラ「虎に翼」感想文(第24週)

          家族だからじゃなくて 朝ドラ「虎に翼」感想文(第20週)

          東京原爆訴訟が提訴された第20週。ジャズにハマった直治が奏でるサックスが、音がなくてもずーっとバックに流れていた気がする。 「今でも大半の女の子にとって結婚は選択肢じゃない。結婚は幸せの終着点で絶対条件なの」 女の子だから、結婚したいはず 嫁だから、遠慮しちゃうはず 姑だから、気を使うはず 「の、ようなもの」を時々合いの手にいれながらも、属性に溝をひき勝手に決めつけていた気持ちは、家族裁判のなか、どれも的外れだったってわかったのに 「僕を大学に通わせてくれた恩を、これか

          家族だからじゃなくて 朝ドラ「虎に翼」感想文(第20週)

          秩序を超えていけ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第19週)

          寅子と航一の恋模様が中心だった19週を眺めながら、若いころ好きだった向田邦子ドラマスペシャルを懐かしく思い出していた。 特に水曜日、突然訪れた航一を黙って部屋に入れ、黙々と同じ時間を共有するシーンは、外側から見ると「何も起こっていない」のに、それぞれの内側では嵐のような感情が巻き起こっている。 「嬉しいんです。来てくださったことも、何も言わずにそばにいてくださったことも。でも」 「僕も、無意識に弱っているあなたに付け込もうとしていたのかもしれません。…すみません。」 “で

          秩序を超えていけ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第19週)

          赤子たちに降る雪 朝ドラ「虎に翼」感想文(第18週)

          「攻めている」と話題になる本作だけれども、絶対映らない・言葉にも出てこないものがあって、その一つが天皇だ。昭和の初めから戦後に至るまでこの国を幾度となく騒がせた様々な事件、そして戦争、終戦、それを「法」の観点から描くのであれば取り除くことは不可能じゃないかと思うのに、それを直接言葉にすることなく、丁寧に丁寧に周囲を彫ることで、その存在がまるで版画のように浮き上がってきているのは単純にすごいと思っている。その中にあって、第18週のテーマは戦争責任だった。朝鮮人への差別から始まり

          赤子たちに降る雪 朝ドラ「虎に翼」感想文(第18週)

          雨だれは、きっと石を穿つだろう 朝ドラ「虎に翼」感想文(第17週)

          苔むした、大きく古い岩のような規範 「中途半端に生き残ったばかりに」 もう2週間経つというのに、玉ちゃんの放ったこの言葉が頭から離れない。何度も何度も反芻してしまう。なんという辛い言葉だろう。 先週に引き続き「菊と刀」を読んでいる。読みながら、この時代に至極当たり前のものとして存在しただろう様々な溝を想像すると、玉ちゃんの置かれた状況に言葉が出ない。 応分の場(分相応)は、地方と都会だけではなく、障害を持つもの持たないもの、男女、人種、国籍、社会的身分、あらゆる角度から検

          雨だれは、きっと石を穿つだろう 朝ドラ「虎に翼」感想文(第17週)

          応分の場を占める 朝ドラ「虎に翼」感想文(第16週)

          「ようこそ!佐田寅子支部長!!」ぱちぱちぱちぱち 拍手で始まった「虎に翼」新潟編。笑った顔のまま舌打ちができる杉田太郎弁護士。したたかってこういう人に使うんじゃなかったっけ 溝を埋める、を目的に娘と二人新潟の地で暮らし始めた寅子だけれど、娘だけじゃなく、仕事場も調停関係者も、新たな溝があちこちに張り巡らされていて一筋縄ではいきそうもない。 ところで戦後直後に発表されて、日本でも相当話題になったというベネディクトの「菊と刀」を読んでいる(1946(昭和21年)刊)。この物語

          応分の場を占める 朝ドラ「虎に翼」感想文(第16週)

          公開360度評価 朝ドラ「虎に翼」感想文(第15週)

          直言さんと穂高先生。旧いルール達を送り、新しいルールのターンがやってきた。でもこの物語の場合、「新しい価値観」を武器に寅子がバッタバッタと「旧い価値観」をなぎ倒す…なんて展開にならない。そこは絶対の信頼感がある。 なぜなら、地続きだから。 旧いルールも新しいルールも、使うのが同じ人間である以上、一気に変わることはないから。星朋彦先生の本の序文にあったように、これが国民になじむまでには相当の工夫と努力と、日時を要するものだから。 第15週は、そんな新しいルールの使い手として

          公開360度評価 朝ドラ「虎に翼」感想文(第15週)

          雨だれをしみ込ませる 朝ドラ「虎に翼」感想文(第14週)

          「雨だれ石を穿つ」の重さ 穂高重親先生が亡くなった。重親の名前のとおり、寅子にとってはもう一人の親だった。昭和26年(1951)に74歳で亡くなられたのなら、明治10年(1877)生まれだ。その死を報じる新聞記事には、作りこまれた経歴が載っていた。法科大卒業ののちそのまま助教、留学、帰国後帝大教授。3回務めた法学部長。弁護士でも判事でもなく、研究・教育にその時間の大半を注いだ法曹人生だった。 「天皇と東大」(立花隆)を読んでから、穂高先生の経歴に帝大法学部長の肩書がないと

          雨だれをしみ込ませる 朝ドラ「虎に翼」感想文(第14週)

          肩書のツケ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第13週)

          肩書について考える 自分には肩書っていくつぐらいあるだろう。 梅子さんについた肩書はいくつあったろう。 女、娘、学生、嫁、妻、母。妹、姉なんてのもあったかもしれない。 それぞれの肩書きには世間が思う役割があって、規範により「良し悪し」のジャッジが下される。良い母、良い妻、良い娘。思えば個人を取り上げて「良い梅子さんと悪い梅子さん」なんて評価はしないのに、肩書きについては「良し悪し」がある不思議。 大庭徹男についた肩書を考える。 男、息子、長男、兄、弁護士、夫、父、旦那、あ

          肩書のツケ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第13週)

          ゆくはるや 野辺の煙のみちしるべ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第12週)

          はるさんの生年は出てこなかったと思うけど、例えば20歳くらいで直道さん産んでたとしたら、寅子が女子部法科に入学した昭和7年(1932)は40代前半…亡くなった昭和24年(1949)は、まだ還暦前だったんじゃないかと思う。令和6年(2024)の現在は、あの衝撃の「頭の良い女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のフリをするしかない」から92年。大体100年先になるんだな。 はるさん。 その優秀な頭脳と几帳面な性格で、常に現状の最善策を取り、石橋をたたいて「確実」を獲りに行く人

          ゆくはるや 野辺の煙のみちしるべ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第12週)

          チョコレートを掲げて生きる 朝ドラ「虎に翼」感想文(第11週)

          過去に傷つけてきたもの 「自分にその責任はないと?それならそう無責任に、娘の口を塞ごうとしないで頂戴」 桂場等一郎がはるさんにケンカ腰の言葉をぶつけられたのは昭和6年(1931)の年末だった。そこから17年。彼の中にこの言葉は残っていただろうか。 「干渉?そんなもんじゃない」「司法の独立の意義もわからぬクソバカどもが」「へいこらへいこら。ふざけるな!」 昭和11年(1936)に力強く切った啖呵があったけれど、その後泥沼の戦争に突き進む日本で成人男子として生きた桂場だ。私

          チョコレートを掲げて生きる 朝ドラ「虎に翼」感想文(第11週)

          Let us work, Together 朝ドラ「虎に翼」感想文(第10週)

          基盤が壊れた後に 神保先生の年齢はわからないけど、仮に平沼騏一郎と同じならこの時80才。調べたら、夏目漱石も同い年だった。 引用した夏目漱石の講演は彼が44歳の時のものだけど、この頃の社会の主体である成年男性が置かれた生きにくさが垣間見えてため息が出る。 明治維新で社会の基盤がぶっ壊れたあと、神経衰弱になるほどのスピードで富国強兵していく中、急拵えの規範を軸に、男として/父として/夫として/師として/いつでも何かの長として振る舞わねばならない矜持と責任はどれほどだっただ

          Let us work, Together 朝ドラ「虎に翼」感想文(第10週)

          父を送り、千里を駆ける 朝ドラ「虎に翼」感想文(第9週)

          父を送る 猪爪直言さんは、興味深い人だった。 1881年(明治14年)、大日本帝国憲法において天皇が憲法を制定する勅命を出した年に生まれ、1946年(昭和21年)、日本国憲法が発布された年に生涯を閉じた。 家族を誰よりも愛し、大切にし、守ろうとした人―  「いざとなったら父さんが全部何とかするから」 「父さん、寅が幸せならなんでもいいよ」 彼の主軸は家族にあり、その規範は家族が幸せかどうかにあった。 ところで第9週は、1945年(昭和20年)3月~1947年(昭和22年)

          父を送り、千里を駆ける 朝ドラ「虎に翼」感想文(第9週)