ソノヨウ

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ドラマ/マンガ/時々小説/ラジオとか/ユーモア多めでお願いします/絵よりも文の人/公開してからの校正多めです/おかえりモネ/ちむどんどん/らんまん/ブギウギ/虎に翼 ドラマのつぶやきは Blue sky : samasama920.bsky.social

最近の記事

怒ることを諦めない 朝ドラ「虎に翼」感想文(第5週)

昭和11年、価値観の変遷昭和11年(1936年)を舞台にした今週、様々な世代の人間たちがそれぞれの価値観で動く様子がとても興味深かった。 「猪爪、直言。明治14年…9月17日」 直言さんが生まれた明治14年(1881年)は、国会開設の勅諭があった年だ。近代国家というものがどういう形をしているのか分からないところから始め、維新という言葉とともに国の土台を一から作り直そうとした人たちは、どのような理想を憲法に込めたのだろう。 硬直した身分制度が壊れ、将来はこうありたい、あるべき

    • 乳房の尊厳 朝ドラ「虎に翼」感想文(第4週)

      クズにも色々あるけど、物理的に殴るタイプのクズと精神的に殴るタイプのクズがいて、オレぁどっちも嫌だよの第4週。クズは火曜日、実に高尚な持論をもって視聴者(私)の前に現れた。 「損害賠償は被害者を救済し、傷を癒す。ここ(心)の薬でもある」 そう言った大庭弁護士。言いたいことは色々あるが、少なくとも女性にも心があり、痛みを感じる人間だとの認識はあるのだ。なのに、いちど「俺の女」になると、なぜかその慮りが喪失する不思議。なんで?? ところで少し前、wowowで放送していた「フェン

      • イエとカラダ。わたしの普通の在りどころ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第3週)

        「私の家で衣装づくりをしない?」 なるほどなあ…と感心してしまった第3週の月曜日。寅子がよねを衣装づくりのために誘うシーンだ。第2週で大きな意味での「社会」における寅子達の位置づけを描いていたので、次は個人にフォーカスする予感はしていたけれど、その前提として、それぞれの思う普通が普通ではない…てか普通って何さ?なことを描く週だった。そのアイテムに選ばれたのが、家庭と、月経。イエと、カラダ。 全体、人は生まれて以来「自分の体」以外になったことなんてない訳だし、育ってきた環境だ

        • 追伸(川上弘美「神様」感想)

          https://note.com/wtjmp_gtamd/n/nef3c753e80e1?sub_rt=share_pw こんにちは 昨日お手紙しました「神様」の感想の続きを追伸させてください。 物語は「わたし」の一人称で進みます。いくつもの異なるお話がオムニバス形式で語られますが、くまとおともだちの「わたし」が、ウテナさんのお友達の「わたし」と同一人物かは分かりません。最後まで名前は呼ばれません。 「わたし」から誰かに向かって語られる、個人的な体験。解決に向けて動くとい

        怒ることを諦めない 朝ドラ「虎に翼」感想文(第5週)

          手紙(川上弘美「神様」感想)

          一筆申し上げます 今日は本当に気持ちの良い日でした。いかがお過ごしでしたか。 おすすめいただいた本を読みました。感想を書くにはぴったりの日のような気がするのですが、うまくまとめられる気がしません。でも何とか、まずはPCを叩いてみようと思って書いています。 なんだか、懐かしい気持ちになる小説でした。 どこかで出会ってきたような神様がたくさんいました。神様…と書きましたが、私の中では、あやかし、といった方がしっくりきます。 漫画はお好きでしょうか。私は杉浦日向子さんという漫画

          手紙(川上弘美「神様」感想)

          寅子、そこに社会の在るを知る 朝ドラ「虎に翼」感想文(第2週)

          現代社会について「単一の巨大なOSの上に乗る多数のアプリケーション」という表現をしている人がいて、うまいこというなあ、と思った。スマホの画面上にあるたくさんのアイコンは、上の語義に従うならば、ばらばらの小さな社会たる③が、OSたる社会①の上に載っている、そんなイメージだ。 生まれたら最初に家族がいて、友達ができて、学校に行く。娘という社会、女の子という社会、学生という社会…人は生きている限り何らかの小さな社会③に紐づくし、それは段々に数を増やすものだ。けれど、そのすべての動作

          寅子、そこに社会の在るを知る 朝ドラ「虎に翼」感想文(第2週)

          名前のないものたちの物語が始まった 朝ドラ「虎に翼」感想文(第1週)

          人は生まれて育つ過程で、どこで春について知るだろう。肌寒さも明るくなっていく光も花の香りも、どこに疑問があるだろう。 「誰かが私に嘘をついた」と米津玄師さんの主題歌が流れるが、嘘をつかれていることに気づくためには、基準になるものと比べ合わせる必要がある。春を知るには、冬を知る必要がある。法律に生きた女性をモデルにしたという物語の第1週は、その基準となるもの…六法全書を手に入れるところで終わった。 どこを切り取っても見所しかない、脚本も演出もそれは力の入った第1週だったけれど

          名前のないものたちの物語が始まった 朝ドラ「虎に翼」感想文(第1週)

          窓ぎわのムスメとトットちゃんと。(「映画 窓ぎわのトットちゃん」感想)

          (映画の感想というより、自分語りです。ネタバレはないけど鑑賞の参考にはならない。キリッ。でも良い映画なので見て欲しい!!) 昭和15年。小さい女の子が切符のたくさん入った箱に手を伸ばす。ママは少し離れたところで、娘と駅員さんのやりとりを見ている。 会話が一段落してトットちゃんを呼び寄せると、特に叱るわけでもなく手を繋いで歩き出す。私なら思わず吹き出しそうな「将来の夢」に、笑うこともないけれど叱ることもない。 少し上の空で、緊張した、不安げな表情…原作の「ママ」は映画の中

          窓ぎわのムスメとトットちゃんと。(「映画 窓ぎわのトットちゃん」感想)

          箸置きとコースター(雑文)

          その部屋には、もう、完璧なまでに彼女の好きなものしか置いていなかった。 パン屋の景品でもらった小皿とか、バザーで押し付けられた謎の便利グッズとか、10年前に親族から貰った型落ちの家電とかは一切なくて、高価ではないけれど趣味のいいシンプルな家具、統一された皿、そして、目の前にはなんとも可愛らしい箸置きの上に乗った箸と、コースターの上のコップがあった。 ママ友である彼女との付き合いはもう10年以上。家族ぐるみで互いの家を数えきれないほど行き来して来たけど、箸置きとコースターが

          箸置きとコースター(雑文)

          綺麗な草には毒がある(かもね)朝ドラ「らんまん」感想文

          終わりました。朝ドラ「らんまん」、面白かったですねえ…!ディテールに徹底的にこだわって、植物のレプリカから書類の筆跡まで、どこをとっても細かく作りこんである物語でした。多分、私のNプラ視聴歴の中で、途中停止して画面見直した回数が一番多いドラマだったと思います。 終了して1週間。 物語について考える時間は多いのですが、ロス…というほどロスになってはおらず、むしろ考えるほどひやりと冷たいものに触ってしまうような、不思議な体験をしています。 今回はそんな自分の「らんまん」感想を

          綺麗な草には毒がある(かもね)朝ドラ「らんまん」感想文

          さようなら、また、扉の先で。(「君たちはどう生きるか」感想)

          自分語りから始める。 私の父は昭和15年秋の生まれで、宮崎監督とは3ヶ月違いだ。目を患い、今では殆ど見えない(はず)。本人が症状を詳しく語らないのでよくわからない。 視力を落としてから父の発言は散発的で断片的になった。彼は生来とてもよく喋る人で、放っておけば一日中、家族の迷惑も顧みず政治経済文学哲学四方八方に持論を展開し、止まらない人間だった。が、起承転結オチのあるような話をしなくなった。 突然思い出したように昔の話をし、自論を短く述べる。「オレはもうバカになった」と笑

          さようなら、また、扉の先で。(「君たちはどう生きるか」感想)

          苦役に喘ぐ人の話が金魚を見てる客にかぶさる。労働者と祭の客と、生きていく辛さは何で決まるのかという問いかけにも思える。 最後の会話、ぐっと画面が上にあがって瓦屋根がみえた。ひとの暮らしが俯瞰して見える。「12月に発つき」と佑一郎君。そのセリフの後、鳥が飛んでいく #朝ドラらんまん

          苦役に喘ぐ人の話が金魚を見てる客にかぶさる。労働者と祭の客と、生きていく辛さは何で決まるのかという問いかけにも思える。 最後の会話、ぐっと画面が上にあがって瓦屋根がみえた。ひとの暮らしが俯瞰して見える。「12月に発つき」と佑一郎君。そのセリフの後、鳥が飛んでいく #朝ドラらんまん

          今日のらんまんも面白かった。他の方もツイートしていらしたけど「市井の暮らし」を出来るだけ、空気ごと届けようとする強い意志を感じる。 佑一郎君と万太郎の別れは秋祭り。肩の皮がめくれ、鞭で打たれる人々を語る佑一郎君を、カメラは出店を冷やかす子供や大人を通して見せる。 #朝ドラらんまん

          今日のらんまんも面白かった。他の方もツイートしていらしたけど「市井の暮らし」を出来るだけ、空気ごと届けようとする強い意志を感じる。 佑一郎君と万太郎の別れは秋祭り。肩の皮がめくれ、鞭で打たれる人々を語る佑一郎君を、カメラは出店を冷やかす子供や大人を通して見せる。 #朝ドラらんまん

          どんなものかなって思って。Twitterで呟いていたのとおなじ、ドラマの感想を呟こうと思います。壁打ちになるかもだけど。

          どんなものかなって思って。Twitterで呟いていたのとおなじ、ドラマの感想を呟こうと思います。壁打ちになるかもだけど。