赤子たちに降る雪 朝ドラ「虎に翼」感想文(第18週)

しょう‐ちょう【象徴】

[名]抽象的な思想・観念・事物などを、具体的な事物によって理解しやすい形で表すこと。また、その表現に用いられたもの。シンボル。「平和の象徴」「現代を象徴する出来事」

デジタル大辞林

「攻めている」と話題になる本作だけれども、絶対映らない・言葉にも出てこないものがあって、その一つが天皇だ。昭和の初めから戦後に至るまでこの国を幾度となく騒がせた様々な事件、そして戦争、終戦、それを「法」の観点から描くのであれば取り除くことは不可能じゃないかと思うのに、それを直接言葉にすることなく、丁寧に丁寧に周囲を彫ることで、その存在がまるで版画のように浮き上がってきているのは単純にすごいと思っている。その中にあって、第18週のテーマは戦争責任だった。朝鮮人への差別から始まり、「その罪を誰にも裁かれずに生きている」という言葉で終わる。攻めているのかどうかは分からないけれど、お前は一体、その年になるまで何も考えてこなかったのかと何かを突きつけられる気分には、なる。

「なるほど。」賛意も反対も示さない言葉
感情を取り除いた表情
戦争責任についての描写

星航一という人物は、寅子のモデルである三淵嘉子さんの夫たる三淵乾太郎氏だという、それはそうなのだろうけれど、複数託されただろうイメージのひとつに昭和天皇もあったんじゃないかと思う。

ところで、今、この8月に岩波書店から出版された「昭和天皇拝謁記を読む」を読んでいる。目を傷めた中年以降、仕事以外に読書することなぞ年に数冊もなかったのに、まったくこのドラマには本を読ませられてしまうことだ。
さてこの本を読むまで、私の中での昭和天皇像は一言でいえば「不本意ながら」様々を過ごさねばならなかった人物、だった。戦争責任という点でいえば「(天皇には)退位する意志があったのに、政治的マイナス効果が降りかかるのを恐れ(た外野に)それを妨害されてしまった」(「天皇と東大」抜粋 立花隆)といったイメージを…しかも、ぼんやりとのみ…持っていたのだ。

ところが、今回のこの読書では、そのイメージが少し変わった。勿論、不本意なことが多々あったことは疑いようがないが、昭和天皇はもっと人間で、実に人間で、不本意だっただけではなく、家父長制の価値観の中で自分にとって当たり前だった「応分の場」と国民の意識とのギャップに苦しめられたひとりの明治生まれの男性…そんな風に受け取れるようになってきている。そのような読書の中で、昭和天皇が戦争責任について言及している部分があった。

対英米戦に至った要因の三点目として、「軍も政府も国民も」という言葉にもあるように、天皇は当時の国民の責任も指摘しており、具体的には、当時の日本人の付和雷同性や熱狂的気質、教養・宗教心の低さなどを上げています。(中略)戦前の三国同盟締結に至る、従来の英米協調外交から枢軸外交への転換について、「持てる国、持たざる国といふようなスローガン」、すなわち、ドイツや日本も生きていくためには英米仏と同等の支配地を持たなくてはならないという生存圏思想に国民が付和雷同的になびいていったと述べています。

「昭和天皇拝謁記」を読む より 

これを読んだときに頭に浮かんだのは、別の本で行きあった「日本人観」だった。戦後最初の東京帝国大学総長にして、法学部長だった南原繁氏の、1946年(昭和21年)のスピーチだ。

今までの日本民族の持っていた心理的欠陥 ― それはおのおのが一個独立の人間としての人間意識ないしは人間性理想の欠如です ― 人間意識の欠如が、一種特有の国体観念となって少数者への盲従となり、こんにちの戦争と敗戦との大きな根本的原因となった、このことについてわれわれは深く反省しなければならない。我が国社会になお封建的精神と制度が残存していることが、その何よりの証拠です(南原繁東大総長のスピーチより意訳)

「天皇と東大」立花隆

全く一体、どこでどうすればよかったのだろうと思う。

明治憲法は「朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス」、つまり「いざとなったら全部父さんがなんとかしてやる」「悪いようにはしないから」と謳っていたし、「菊と刀」でも指摘されているように生活のありとあらゆるところに上下関係は持ち込まれ、きっちりと線を引いたそこを踏み越えることは絶対に許されず、常々”分をわきまえろ”と叱られ、「らしく」ふるまえと諭され、善悪ではなく外部からどう見えるかを基軸に規範としてきた私達。

それをここに至って「父」から付和雷同の国民性であると言われ、「権威」から独立した人間の意識がないことを反省しなければならないといわれ…そりゃあ国民性というより構造の問題な気もしてこようというものだ。構造と国民性、それは分かちがたいものなのも確かなのだろう、でも。

国民だの民族だの大きな主語に置き換わってしまった、その応分の責任を誰が負うのかは棚上げされたまま、構造の問題は問われることなく、「私たち誰しも何かしら責任のあることだから」という空転した言葉が、旧法上無能力者に分類された既婚女性たる寅子の口から発せられる。
しんしん雪は降り積もる。
なんだろう、このやりきれない気持ちは。

分けてくれませんか?という彼女の言葉に、航一さんは何も答えずしゃがみ込んだままだ。


「14条が謳っている平等とはなんなのか。私にできることは何なのか考えていて。」と呟く寅子に「ご立派ではあるろも、気を使えるのは学があるか余裕がある人間だけら。」といった太郎弁護士。
結局そういって考えることをやめてしまった先に…赤子のように”大人”にすべてをゆだねてしまった先に、あの無茶苦茶な…総力戦があったのならば。偉い人たち、余裕のある人たちに考えることをすべて預け、「普通の生活が壊れるのが怖い」から応分の場の溝を埋めることなく生活した先に起こったことならば。

「どうすればよかった」のかに対する道はすでに示されていたのかもしれない。やめるな。考えることをやめるな。思考を止めるな。

敗戦を機に新しい法律が施行されて77年。緩やかに世代が変わっていく中で、掲げた理想と生活の中の矛盾はますます可視化されてきたようにも思う。おっかねえ物の正体はなんなのか、周囲を見回して付和雷同するのではなく、自分で考えるしかない。そう言われている気もする。それは誰かの庇護のもとにある子どもから、独立した個人へと変化する唯一の道でもある。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

しんしんと降っていた雪はやみ、そらが段々明るくなってきたところで終わった第18週。もう起きる時間、ということなのだろうか。春が来る。

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