父を送り、千里を駆ける 朝ドラ「虎に翼」感想文(第9週)

朕(ちん) 祖宗(そそう)ノ遺烈(いれつ)ヲ承ケ 万世一系(ばんせいいっけい)ノ帝位(ていい)ヲ践(ふ)ミ 
朕カ親愛スル所ノ臣民ハ 即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養(けいぶじよう)シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念(おも)ヒ 其ノ康福(こうふく)ヲ増進シ
其(そ)ノ 懿徳良能(いとくりょうのう)ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ
又其ノ翼賛(よくさん)ニ依リ与(とも)ニ倶(とも)ニ 国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ
乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践(りせん)シ 茲(ここ)ニ大憲ヲ制定シ 朕カ率由(そつゆう)スル所ヲ示シ 
朕カ後嗣(こうし)及 臣民(しんみん)及(および)臣民(しんみん)ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行(じゅんこう)スル所ヲ知ラシム

国家統治ノ大権ハ 朕カ之ヲ祖宗(そそう)ニ承(う)ケテ 之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ
朕及(および)朕カ子孫ハ 将来此ノ憲法ノ条章(じょうしょう)ニ 循(したが)ヒ 之ヲ行フコトヲ愆(あやま)ラサルヘシ

大日本帝国憲法 上諭抜粋 

父を送る

猪爪直言さんは、興味深い人だった。
1881年(明治14年)、大日本帝国憲法において天皇が憲法を制定する勅命を出した年に生まれ、1946年(昭和21年)、日本国憲法が発布された年に生涯を閉じた。
家族を誰よりも愛し、大切にし、守ろうとした人― 
「いざとなったら父さんが全部何とかするから」
「父さん、寅が幸せならなんでもいいよ」
彼の主軸は家族にあり、その規範は家族が幸せかどうかにあった。

ところで第9週は、1945年(昭和20年)3月~1947年(昭和22年)3月までの、ちょうど2年の物語だったけど、この週ほど全体が「すん」で覆われていたこともなかったんじゃないだろうか。
沈黙と秘密が支配する前半。登戸火工は多分、陸軍の秘密戦遂行のための研究機関だった登戸研究所を意識したのだろうなと思う。戦争に負け、書類を燃やしながら「負けたら仕方がない、か!」と娘におどける直言さんが、その炭になっていく書類と一緒に飲み込んでいたのは、いったいどんな秘密だったのだろう。

天皇機関説排撃が軍部と右翼を巻き込んでの一大社会運動になり、それに推されて政府が二度にわたって国体明徴を声明(昭和十年)せざるを得ないことになった(略)
この声明によって、政府の一切の行動は国体明徴を基準になされねばならないことになった。学校教育も社会教育もすべてが国体明徴声明に合わせて再編成された。(略)教育だけでなく、言論の取り締まりなども、国体明徴が新しい基準となり、これ以後「国体にもとる」という非難を浴びせると、どんな言論でも簡単に抑圧できる時代になっていった。

「天皇と東大」立花隆

登戸火工の社長に就任したのは共亜事件の後、日本が戦争を拡大していく最中だった。軍需産業を通じて安定した収入を確保する直言さんの口から、この戦争に関する言葉が発せられることはついぞなかった。心にどれほどふたをして、ふざけた父の姿”だけ”を家族の前に見せ続けたのかと思うと暗澹たる気持ちになる。帝大法学部を出て海外勤務まで経験していたインテリの直言さんが、天皇機関説問題に端を発した法律のゆがみに、もの凄い勢いで狂っていく社会に、思うところがなかったはずはないのだ。でも彼はすべてを飲み込んだ。家族を守るためにひたすら「したたか」を貫いた。ドラム缶の中で燃える書類を眺めながら、直言さんは何を考えていただろう。息子と娘婿の命を奪った、次男の将来を奪った、家を奪った、信念を奪った、思考する権利を奪った、発言する自由を奪った、その元凶に対しての恨み言も燃やしてしまったのだろうか。一言も怒ることなく、最後の最後に秘密を懺悔して、ただただ、謝罪して逝った父。でも本当に言いたかったことはそれですべてだったのだろうか。

「まだ続く?」「あと少しだけ」
あと少しだけ残っていた懺悔を聞く機会は、永遠に失われて、もう分からない。

思考しながら、千里を駆ける

日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

日本国憲法 前文抜粋

寅子が日本国憲法を知ったのは昭和21年秋。もう草案ではなく、公布され、半年後の施行を待つばかりの完成形だった。
彼女にとってみればそれは、大日本帝国憲法と同じく「降ってきた」ルール。でもそこには、以前のルールと大きく異なる点があった。「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する」「すべて国民は、個人として尊重される」「すべて国民は、法の下に平等」とあったのだ。”父さんが全部なんとかする”ではなく、”寅ちゃんの好きに生きることを尊重する”と書かれていた。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

日本国憲法 第12条

日本国憲法は、自由をもたらす魔法の杖ではない。大日本帝国憲法が
朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス ―「天皇が国民の権利と財産の安全を重んじ、保護して、尊重する」と言っているのに対し、「国民の権利は国民の不断の努力で守り続けろ」と書いてある。読みようによっては、よりシビアなルールなのだ。

しかも新しいルールが出来たとて、人はそう簡単に変われない、一筋縄では通るまい。
夢を捨てて家族を養おうとする若者を「いい弟さんだねえ」と言い続けるし、「男としてこの家の大黒柱に」と言い続けるだろう。でも、最後の最後にどうしようもない弱さを見せて死んだ、その父の弱さを受け止め、真に親から卒業した寅子の背中を、今はもういない、心優しい家族たちが残したルールが押していくに違いない。

「思っていることは口に出した方がいい」「後悔せず、心から人生をやりきって」って。俺には、わかるんだ。

その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ

「宙船(そらふね)」作詞:中島みゆき

「なぜ私が君を採用しなければならないのか、理由を説明してみたまえ」
裁判官として任用してほしいと談判した寅子に桂場がにこりともせず言い放った言葉を聞いたとき、本作脚本の吉田恵里香さんがインタビューで好きだと言っていた、TOKIOの「宙船」の歌詞が浮かんだ。今度のルールは甘くない。自由も権利も、しっかり握る努力をし続けることが前提のものなのだ。思考を止めるな。思考を、止めるな。

「すべて国民は、法の下に平等」― 舞台は整った。ルール上は「社会」というOSの上にようやく乗った寅子が、その権利を実行するための闘いが始まる。繋がれていた縄を嚙みちぎり、千里を飛ぶその翼の行方を、来週からも楽しみにしてる。

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