応分の場を占める 朝ドラ「虎に翼」感想文(第16週)
ぶん【分】
①〈ブン〉
1 全体をいくつかにわける。別にする。別々になる。
2 全体からわかれた一部。全体を構成する一部。
3 わかれ目。時間の区切り。
4 各人にわけ与えられたもの。性質・身分・責任など。
5 物事の程度や状態。
6 見わける。わかる。「分明 (ぶんめい・ぶんみょう) /検分」
②〈フン〉
1 見わける。わかる。
2 重さ・時間などの単位。
3 短い時間。わずか。
③〈ブ〉
1 物事の程度。
2 割合・長さ・重さなどの単位。
「ようこそ!佐田寅子支部長!!」ぱちぱちぱちぱち
拍手で始まった「虎に翼」新潟編。笑った顔のまま舌打ちができる杉田太郎弁護士。したたかってこういう人に使うんじゃなかったっけ
溝を埋める、を目的に娘と二人新潟の地で暮らし始めた寅子だけれど、娘だけじゃなく、仕事場も調停関係者も、新たな溝があちこちに張り巡らされていて一筋縄ではいきそうもない。
ところで戦後直後に発表されて、日本でも相当話題になったというベネディクトの「菊と刀」を読んでいる(1946(昭和21年)刊)。この物語の舞台と重なる時代の日本人に聞き取り調査して得られたとする日本文化に関する知見は、なかなか面白い。
日本人は階層的な上下関係に信頼を寄せており、それは人間関係や、人と国家の関係における基本となっている。
「応分の場」に信を置いた…上下関係を是認することは日本人にとって呼吸と同じほど自然な事なのである。
日本では全国規模の政党が誕生したのは1920年代(大正10年~昭和4年)の事である。…だが当時、日本の地方行政は一般的に、そのような新たな事態の展開に影響されることはなかった。地方行政を取り仕切っていたのは共同体全体を代表して行動する長老たちであった。日本人の生活様式の中に身を置くと応分の権威を割り当てられる。そしてその権威には、応分の範囲が定められている。日本の指針はこうだ。何事も応分の場に置くべし。
上の者も下の者も、おのおのの分を越えると必ず罰せられる。「応分の場」が保たれている限りにおいて、日本人は不満も言わずにがんばり続ける。
応分の場。分相応に弁える、ということ。
「その土地の風土・人間に寄り添う気持ちを忘れねえでくんなせえて」
「私は、ここらの者が無駄にいがみ合わない様に、みんなが平和に穏やかに生きていけるよう守ってるんですて。この土地流のやり方でね。」
地方裁判官である寅子に対する杉田太郎弁護士のセリフは、言い換えればこうだろう。
『この土地は、この土地流のやり方で、この土地の者が守る。余所者が出すぎたことをしてくなさんな。応分の場を守れ。』…私、いわゆる都会っ子で地方に住んだことはないんだけれど、なんとなくわかってしまう感覚であるなあとおもう。会社、学校、親戚付き合い、社会のあちこちにある風景。
「これにて、円満解決ということで。」周到に手打ちされて持ち込まれた案件は、“余所者”裁判官の割り込む隙を許さない。突然蔵の奥の奥から出てきた古文書に、苦虫をかみつぶしたような顔で拍手する原さんと弁護士だ。土地の所有権ならそれですむかもしれないが、この方法で手打ちされる文化にいったい憲法第14条はどのように根付くのだろうか。すべて一気に解決することはできない。でも、ひとつひとつやっていくしかない。一人の人間がバッタバッタと快刀乱麻…そんなわけはないのだ。家族との関係も、個人の生活も、社会も。
「トラちゃんにしか、してあげられないことがあるはずよ」イマジナリー花江ちゃんがそういったように、寅子は自分の“応分の場”を公のルールによって守ることからスタートさせた。
「この暴行の一件は、こちらできちんと処置します。」「穏便に済ませたりして、ああいう人たちに借りなんて作ってほしくないから。」
表面的にはひとつの事件に関する個人へのセリフだが、これは裁判所員全員への宣言だったんだと思う。賞にせよ罰にせよ、そこに土地のルールの介入を許してしまえばあっという間にハンドルを奪われる。
地方裁判所という寅子に与えられた応分の場。彼女はここを、共同体ではなく公のルールで守ってみせた。
「…つまり、手助けは無用らと。」寅子のスタンスを知って手のひらを返した太郎。「これからも三条のために、手を取り合って頑張ってまいりましょう。」無視する兄の代わりに手を取る次郎が印象的だ。
拍手、手打ちに手のひら返し。
繋がったり離れたり、打ったり拍をとったり、ああ人間は忙しい。地方と中央。長老と若者。母と娘。兄と弟。個人の話が構造の話につながっていく。
日本では…自尊心を保つために上下関係の慣行(応分の場※)を守っている。
(中略)今日、「アメリカ流の平等主義を押し付けない限り、日本人は自尊心を持てない」と声高に主張するアメリカ人がいる。こうした人々は自国民中心主義の過ちを犯しているのである。(中略)日本人の自尊心が何に支えられているのかを心得ておくべきである。
生まれつきの身分に基づくこのような「真の風格」は、現代の世界から姿を消そうとしている。そして、別の、もっと優れた ―と私達が確信しているー尊厳がそれにとって代わろうとしている。それはなるほど、その通りであろう。日本もいずれはそれをまぬかれまい。それは疑いようもない。だが今日の日本は、アメリカ人の拠り所ではなく、自前の拠り所を支えにして自尊心を取り戻さなければならないだろう。そして独自のやり方で自尊心に磨きをかけなければいけない。
※ソノヨウ補記
戦後、この国にもたらされたルールは、人種、信条、性別、社会的身分又は門地といった、自分の意思ではなんともならないもので枠をはめられてしまう「応分の場」という概念を否定し、物事の単位を個人に落とし込んでいった。
しかしベネディクトがそれを手放しで正義としていない様子は興味深い。「自前の拠り所を支えにして自尊心を取り戻さなければならない」と指摘するその“自前の拠り所”と”自尊心”は、約80年経過する令和6年の今ココで、どんな変化をし、磨きをかけられ、どの辺にあるんだろう。
1952年(昭和27年)を舞台にした物語なのに杉田弁護士の手打ちも拍手も舌打ちも、みんな知っててなじみがあって、こんなに「わかってしまう」構造を眺めながらつくづく考えてしまう週末である。
さて構造の話は、もう一歩アクセルを踏み込む。玉ちゃんの動かない足と、華族の身分と。
「応分の場」がはぐくんだ涼子様の気品を褒めるタイムラインを観ながら、進まない読書を続けている。