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マイケル松本さんのTPS(ターニングポイントストーリーズ)

 人生はチャレンジと学び。そんな音楽家マイケル松本さんの物語をご紹介します。

 音楽を始めたのは大学のとき。中高生のころは一人でギターを弾くこともあったが、軽音を始めたのは大学の時だ。大学で、音楽にのめりこんでしまった。当時の軽音部ではボーカルをする人が少なかった。なので、ボーカルをやることになった。まったくもって、勝手気ままに歌っていた。ハードロックが流行っていたし、好きなように歌っていると一気に音域が広がっていった。発声の練習もしないまま普通に高い声がでるようになった。ロックだけでなくスティービーワンダーにもハマった。ふつうのおっちゃんが、パワフルに歌うソウルミュージックも大好きになった。
 そんな学生時代、『ミュージカルヘアー』というロックミュージカルのお誘いを受けた。『ミュージカルヘアー』とは黒人白人の髪の違いを示しているもので、アメリカのベトナム戦争を題材に作成されたものだ。戦争反対のlove and peaceとともに流行し、今ではロックニュージカルの代表的なのもとなっている。
 ミュージカルに参加するようになり、ダンスにも興味をもった。ステージでのパフォーマンスのために、ダンスが必要と思ったからだ。そして当時は少ないモダンダンスの教室に通い始めた。その教室の先生から「クラッシックバレーをしなさい」っと言われ、クラッシックバレーを習うことになった。習い始めて良くわかる。先生の言うとおりに声の出し方が変わっていった。基本的なレッスンを継続して行っていると、肩甲骨周りの動きが柔らかくなっていく。バレーの体の動かし方で声を出すと、体に空気が入りやすくなるのだ。
 そんな風に音楽漬けの大学生活をおくり、学生としては褒められた生活ではなかったが、卒業後は音楽活動をしながら音楽の専門学校で教える立場になっていった。


 音楽活動中、突然声が出なくなった。

 本当に何も出ないのだ。よくプロレスラーの人たちが話している掠れた声、そんな声に突如としてなった。
 そこで関西で有名な声帯を見てくださる、文珠先生のお世話になることになった。文珠先生は声帯専門のプロも通う先生なのだ。調べていただくと、いままで見たことのない声帯とのこと。日本人には珍しく、太い声帯なのに伸びちぢみもする特殊なものだそうだ。自分でもびっくりした。学生のころ、勝手に歌うだけで音域がどんどん広がっていった理由がこのときわかったからだ。
 しかしながら、すでに声帯が内出血も外出血もしており、本来ならば声帯を切って手術で治すしかないところ。文珠先生は、「手術をするにはあまりにももったいない。薬による治療でなんとか処置をしていこう」そんな話になった。
 文珠先生に助けていただけたおかげで、その後のボーカリストとしての人生がつながっている。


 その後、声帯を鍛えるためにクラッシックバレーだけでなくクラッシックの声楽も教えていただくようになった。クラッシックを本格的に学ぶことで体の使い方、声の出し方ももっと変わっていった。音楽はジャンルの垣根を超え、掛け合わせることで、世界観が魅力的にひろがっていくのだ。
 そう、マイケル松本さんの魅力はそこにある。いろんなジャンルの表現を学び、奥行きが無限に広がっていくのだ。
 現在は音楽活動の傍ら、後進の育成に取り組んでいる。大阪芸大の講師も始めて、すでに7年にもなろうかとしている。


 「こんな、飛び飛びの話で大丈夫?」っと気遣ってくださる。「ずっとチャレンジしてそして学んで来られたのですね。」と私。
 そうだよ!チャレンジするとその先が見えてくるんだ。だからチャレンジしてチャレンジして、そしてみんなに教えていただき学んで、何とか乗り切ってきた!
いまも、そしてこれからもチャレンジand学びは続くのだ!


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