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私が保育士を辞めた理由

こんにちは。すももです。
Webライターを始めて1か月が経ちました。
案件も少しずつこなせるようになってきて、
毎日充実しています。

前回、私のうつ病の話で
仕事を辞めたと書きました。

私は復職するつもりで療養していましたが、
辞めるしかないという
事件があったのです。

今回は私が保育士を辞めるまでの
お話を書きます。
詳しい情報はもちろん伏せますが、
認可の保育園とだけお伝えしておきますね。


病院で復職許可が下りる


体調は少しずつ落ち着き、薬の効果もあり
休職から半年後に復職許可が下りました。

それから園長先生に電話をします。

園長先生はとても喜んでくださいました。

私はこの時すぐに復帰できるとばかり
思っていたのです、、、、。




産業医との面談!?


後日診断書をもって園に行くと、
事務長に呼ばれました。

事務長は「復職できることになってよかったね、
でも会社の都合上、担当医の診断だけでは
復職はできないの」と言ったのです。

私は「うそやろ?」と心の中で思いました。

事務長:「数日後に、本部に産業医が来るから
その方と面談してください」
私:「わかりました」《産業医ってそもそも何?聞いてないし》
事務長:「それまでに(私の名前)さんの
現在の1日どんな生活をしているかを書いてきてほしいの」
私:「わかりました」《なにそれ?これ書いてどうするつもり?》

とにかく言われるがままの私でした。
休職してた分、迷惑もかけたので、、。



復職ができない?


面談当日。
事前に渡された用紙を書いて、持って行きました。

産業医はおばあさんでした。

今までの病状や、仕事で何があったかを
説明しました。
そして私が書いた1日の生活表を見て
「うーん。すぐに復職って考えない方が
いいかもしれないね」
と言ったのです。

私は理由を尋ねました。

産業医:「これを見る限り、1日の中で
何か集中できることがないじゃない?」
私:「ですが、読書はしてますよ。」
産業医:「読書だけじゃなくてね、、新聞読むとか」

読書と新聞で何が違うのか分かりません。
内容は違っても集中できることには変わりないでしょ?
と思いました。

それから産業医の攻撃が始まります。

産業医:「じゃあ来週から園に来てもらって、
8時間密室で新聞を読んで感想文書いてください」
「無給での出勤になります」
「これがもし、できないのであれば
復職はできないと思ってください」
と次から次へと条件を提示してきました。

私:「その内容は保育士と関係ありませんし、納得できませんので、
他の方法はないのですか」
産業医:「これはね、精神疾患の人が復職するのに
必要なプログラムなの」
私:「8時間密室なんてしんどくなりますし、子どもと関わる時間も
ないのでしょうか」
産業医:「んー。詳しくは事務長と話してください」
    「また来週くらいに面談しますので」
と言って面談は終了しました。



悔し涙と怒り



私は帰りの車の中で泣きました。
悔し涙と怒りの感情が溢れてしまったのです。

会社の意向に合わせないといけないのは
もちろん分かっていました。

しかし、あからさまにしんどくなるような
条件を突き付けてきて、納得できませんでした。

しかも無給ってどういうことでしょうか。
みんな同じようにやってきてると
言われましたが、私が世間知らずなだけですか?

とりあえず明日事務長に電話をすることにし、
この日は体調にも影響が出たので
早めに眠りました。



普通の人は働けるのよ


翌日、事務長に電話をかけました。

事務長は、産業医から私との面談について
報告を受けていたようです。

事務長:「納得できないんだって?厳しく感じるかもしれないけれど会社の決まりだからお願いしたいんだけど」
私:「もちろんその通りです。しかし保育士と関係のない仕事をすることが
保育士として復帰することと、どのような意味があるのですか」

事務長:「保育士として復帰するために必要なことだと、産業医が判断したのよね」
私:「例えば、保育に必要な物を作るとか、掃除をするとかでは
いけないのでしょうか」
事務長:「それは難しいね、あと昨日言われたことを1か月くらい続けてほ
しいの」

私:「子どもと関わることもできないのですか」
事務長:「子どもが原因でしんどくなったんでしょ」

私:「違います」
事務長:「そうなの?でも呑んでくれないと」

私:「1か月も無給なんて生活もできないですし、
もう復職許可が下りて働いたら、傷病手当金も申請できないんですが」
事務長:「けど今までの手当金あるよね」←これ腹立ちました

私:「申し訳ないですが、難しいです昨日のことで体調も悪くなりました」
事務長:「でもそれでしんどくなってたら、そもそも復職できないんじゃない?

私:「違う方法を考えていただけないでしょうか」
事務長:「普通の人は週5で働いてるしね」

私:「それってどういう意味ですか?」
事務長:「あ、ごめん今のは語弊があったわね
週5で働けるようになってもらいたいの」

私:「だから担当医からの許可は下りましたよ」
事務長「担当医はずっと見てきてるからわかるけど
私たちは、あなたが回復するまでを知らないし、
証拠がないからね」

私:「それならなぜ、担当医の許可が下りても
産業医の許可が下りないと復職できないことを
休職する際に教えていただけなかったんでしょうか」
事務長:「それはごめんね。言ってると思ってたから」

私:「お断りしたら復職できないのですか」
事務長:「そうね。けど、あなたを辞めさせたいから
言ってるわけじゃないのよ」

私:「いえ、そう感じます」
事務長「ごめんなさいね」

この後も何度かラリーがあり、
後日話し合うことになりました。

普通の人ってなんでしょうか。
本当に人格否定されてるようでした。




園長と事務長VS私



数日後、再び本部で面談が行われました。
私はこれで最後、
働くか辞めるかどちらかを決断します。

まず園長は産業医との面談、事務長との電話内容を
全く知りませんでした。
ですのでまた一から説明することに、、。


話の流れを聞いた園長は「会社の言う通りに
お願いしたいんだけど」
だけでした。
私の気持ちなど無視でした。

あぁこの人も一緒かと感じました。

事務長は最終
「働くか」「辞めるか」どちらかを
決めてと言いました。

悔しくて何も言わず涙を流す私。

5分ほど沈黙でした。

私が言うまで向こうは黙ったまま。

私:「辞めたくないですけど、もう辞めないといけない状況ですね」
園長:「そんなことないよ」

事務長:「働きたいなら条件通りに、できないならもう退職になるね」
私:「できません」

事務長:「ほんとに辞めていいの」
園長:「もったいないよ」

私:「家族にも相談してますし」

と言った途端に、「じゃあもう仕方ないね退職ということで」
と話が進みました。

きっと面倒になったのでしょう。

最初から向こうは私が辞めるように
仕向けたのかもしれません。

うつ病で休職しただけで
こんなことになるんですね。

辞めると決まったからには
私も吹っ切れたので良かったです。

職場の方や子どもたちには
申し訳ないですが、、。

こうして私の保育士生活は
一旦終了しました。



最後に


私は7年間保育士をしてきて、
子どもと過ごす日々が本当に
楽しかったです。

理不尽な上司に振り回されたことも
多々ありましたが、いつでも子どもたちが
元気をくれました。

今は専業主婦をしながら
Webライターをしていますが、
保育士はまたいつか戻りたいと
思える仕事です。

私のように病気が原因で
休職や退職をした方、
後の事よりもまずは自分の身体を
大切にしてくださいね。
お金、生活、様々な悩みがあるでしょう。
しかし、健康な人生より優先するものはないと思います。

健康第一でこれからも進んでいきましょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。



























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