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新卒で入社した総合商社を2か月で辞めた理由

僕は新卒で入社した総合商社(当時5大商社のうち2番目に売上規模が大きかった企業です)をその会社における史上最速の(実際人事の方にそう言われました)2か月で退職しました。
向かった先は当時社員80名程度だったベンチャー企業。僕にとって人生最大の転機とも言える出来事であり、この判断が今でも僕にとって一番大事にしている考えの基盤になっています。

総合商社を2か月で退職したのは、何もその会社で入社後早々嫌なことがあったとか、当初の期待と違ったなどというわけではありません。実は、僕は学生時代からずっとベンチャー企業に行きたいと思っていました。
「大企業の歯車にはなりたくない」「裁量・手触り感のある働き方がしたい」「ベンチャーで成長していずれは起業する」・・・
僕はそんなことを言っているいわゆる「意識高い系」の、鼻息の荒い、ちょっと尖った(イキった)学生でした。

ではなぜある種真逆の環境とも言える総合商社への入社を一度はしたのか?
端的に言えば、「流された」という一言に尽きます。
今でこそ認知が広がってきたベンチャー企業でのキャリアですが、当時は(特に僕の大学のカラー的にも)「大企業に行くに決まっているでしょ」という風潮が強く、周囲の友人も両親もそれを共通認識として持っていました。
その環境下で、口でこそ「ベンチャー企業に行く」と意気込んでいた自分ですが、ベンチャー企業の就活に加えて大手の就活も並行して進めるという何とも一貫性のないことをやっていました。その中で、全てがうまくいったわけではないですが、いくつかの偶然が重なり内定を頂けたのが総合商社でした。周囲からの賛辞は大きく、友人も両親も(まだ何もしていないのに)偉業を成し遂げたかのような反応を見せ、自身も結局のところはそれを誇らしく感じていたんだと思います。人の価値基準は決して絶対的なものにはなりえませんが、特に当時の自分のように世の中の何も知らない学生は、得てして周囲の影響や周囲との比較を通じて価値基準がいとも簡単に形成されたり破壊されたりしてしまいます。「ベンチャー企業に行きたいのかどうか」ではなく、「どちらの方が周囲からちやほやされるのか?」という基準で、僕は見事に「流された」のです。

ただ、まだ幸運だったのは、それでも自分の中にずっと「本当にこれでいいのか?」というかすかな問いが残り続けていたことです。この引っかかり・違和感がなければ、僕はそのまま総合商社でのキャリアを歩むことに何の疑問も持たず、今のような状態にはなっていないと思います。「人の価値基準は決して絶対的なものにはなりえない(=他者からの影響を受け価値観は変わる)」と上述しましたが、それでも僕らの中には確実に自分を自分たらしめる何らかの絶対的な、自分はこうしたい・こう生きたいという「想い」があるはずです。それは他者の影響を受けることで見えなくなってしまうこともあるでしょうし、「そんなの絵空事だ」と自ら目をつぶってしまうこともあるでしょうが、僕はそれを何とか、胸の内に明確に抱え続けることができていました。理由は分かりませんし、次回こうした人生の大きな決断をする際にも同じようにそうした想いを持ち続けられるか?という再現性も不明です。ただ、確かにその想いは僕の中に存在し続け、僕を苦しめ続け(本当に総合商社で良いのか?と胃に穴が開くほど悩み続けました)、でも最後にはその想いと向き合い、2か月で退職してベンチャー企業へ転職するという人生で最も誇れる決断をさせてくれました。

一方で、その胸の内と向き合い、最後の決断をすることができたのは、自分ひとりの力ではなく、いくつかの「格言」が明確に自身を後押ししてくれました。
1つ目は、かのスティーブ・ジョブズの「もし今日が人生最後の日なら、自分は何をするだろうか?」というあまりにも有名な名言。この先どうなるかわからない世の中で、「長期的に安定しているから」という理由で人生を選ぶよりも、「今どこでどう生きていたいのか?」という問いに答えようと思えました。
2つ目は、少々似ていますが、堀江貴文さんが近畿大学でのスピーチで発した「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」という名言。今思い出せば、友人や両親からは「ベンチャー企業なんて将来安定するのか?」だったり「今まで積み上げてきたものがあって総合商社に入れたのにもったいない」など、まさに未来を恐れたり過去に執着するからこそ生まれてくる考えに自身も支配されてきました。ただ、やはり「自分は今どうしたいのか?」という問いに対しては、未来への不安も過去積み上げてきたものも本質的には関係ありません。こちらも大きな後押しとなりました。
そして最後に、もはやネットで検索しても出てこず、「どこで見たっけなぁ、、」という感じなのですが笑、でも確かに自分を最後に後押ししたのが、どなたかの「どちらの道を選んだ自分とキスがしたいのか?」という言葉です。これには痺れました。ちょっとキザなのは重々承知の上ですが、「自分がありたい、もっと言えばキスをしたいと思えるほどにかっこいいと思える姿は何なのか?」という、理性を飛び越えて感情にダイレクトに訴えかけてくる言葉でした。結局、色々と講釈を垂れたりそれっぽい理由をいくら積み上げようと、「こっちの自分の方がかっこいいな」という気持ちには男の子は勝てないんだなと今でも思っています。結局元々ベンチャー企業に行きたいと思っていたころも、何か理にかなった考えがあったわけではなく、自身のある種の「冒険心」をくすぐっていたわけであり、小難しいことを全て取っ払ってその純粋な自分の(少年のような)本質に立ち戻れた瞬間だった気がします。この言葉が一番最後の後押しとなり、次の日には退職意向を告げ、その次の日には元々内定を頂いていたベンチャー企業に(一度は内定を辞退した)謝罪とセカンドチャンスを頂きに伺い、すぐに次の職場でのキャリアがスタートしました。

よく、「総合商社を2か月で辞めるスピーディな決断をよくできたな」と言われます。ただ、むしろ逆で、「総合商社に内定をもらってから入社後2か月まで、1年以上自分はずっと世間体に流され続けてきて、入社後2か月目でやっと決断ができた」という、要するに「最終的な決断までにものすごい時間を要したんだ」という説明の方が正しいわけです。美談でも武勇伝でもなんでもなく、自身の本音と向き合えずだらだらと悩み続けたダサい男が、時間はかかったし色々な人に迷惑もかけたけれども、最後に自分の道を選択できた、というストーリーなわけです。ただ、最後に選んだその道で僕は一片の悔いもない最高のキャリアが歩めましたし、何よりベンチャー企業に転職して社員80名から1000名弱の規模になるまでの成長を見届けられ、その会社で役員を務めるまでになったこの道のりの中で、大変なことはありつつも楽しくなかった瞬間は一瞬たりともありません。会社や仲間に恵まれたというのももちろんあります。が、一番大きいのは、これが「自分が選んだ道だ」と自信を持って、胸を張って言えるからです。そういう人が、1人でも多く増えるといいなと思っています

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