いつのまにかこんな人になりたいという憧れが消えたわたし

皆さんは、憧れの人はいますか?
こんな人になりたいという人物はいますか?

妄想癖のある、わたしにとって、小さい頃から憧れの人がたくさんいた。
まずは、姉。彼女に言ったら、
びっくりするだろうけど、小さい頃から近くで見てきた人といえば、
姉であって。
4歳違いということから、(それだけではない)
姉の方が何事にも長けているわけで。

初めは年上だし、できることはわたしより多いはず。なんて
思ってたけど、
だんだんお姉ちゃんがこの歳の時は、こんなことができたが、
わたしは、ちょっと違う。。。
ということに気づき始める自分もいる。


特に、気づいたのは、知性と、芸術的センス。
これを持っている人って無敵すぎない?
姉はわたしの中ではピカイチで。
毎年夏休みの絵をかかされていたわたしは(やりたくないけれど)
母に強制的に連れていかれ、
歴史的な建物や、風景画など、全くうまく描けないわたしにとって、
苦痛なことばかりで。
ましてや、左手には、とんでもなくうまい絵を描く姉の姿。
早く帰りたいなーと思っていた日々を思い出す。


いつも、同じものを見てるのに、着目してるところが違うのか、
どうしたらいいのかわからないというのが本音だった。
その後も、
姉は絵や漫画が大好きで、美術部だったり、絵のコンクールに入賞したり、
だんだん絵を練習する習い事まで行くように。

なんだよ、好きなことで、さらに上達してるし、
わたしにはなんの取り柄があるのって何回思ったっけ。
またまた、姉は本を読むのが好きだし、
わたしからしたら難しい本もさらっと読んでいて、
姉からしたら、興味のない話をしている人の話を聞くくらいなら、
無視して本をたくさん読んでればいいというマインドを教えられていたが、
そういうわけにはいかない場面に遭遇していたわたしは
(勝手な思い込みもあり)
反比例のように、姉の知識が増え、芸術的にもセンスが磨かれ。


わたしはその分、落ち込むことが多いことも。
頑張ってみるものの、姉レベルには到達しない、、、。
という気持ちを何度も味わっていた。


高校生ぐらいになると、
KPOPの流行からか、だんだん、
かっこよくて綺麗で面白くて、ほぼ完璧な人間像のKPOPアイドルたちに夢中に。

少女時代が出た時は、こんな人たちがいるのか。とびっくりした。
(今もなお、毎回とんでもないレベルにいるアイドルたちに驚かされている)


そこから、こんなアイドルちゃんたちのような完璧な体になりたいな。
そこからガリガリになり、拒食症になる自分もいるのだけれど。


そこから今度は自分は自分だと思いつつ、YouTubeをみて、
こんな暮らしをしてるなんて、こんなモーニング、
ナイトルーティンがありますか?っていうのも見せられる。

待って、寝起きから可愛いじゃないか、君たち!!!!!
というのがわさわさと。
インスタグラムを見れば、みんないろんな写真を投稿してて、
あああわたしって大丈夫なのとなってくる。


ええ、わかっています、SNSにやられていたわたしですが、(笑)
ついにそういうものをみるのに疲れてしまうわたしが出てくる。
そこで、インスタグラムやYouTubeも心が荒れないような穏やかなものだけを
見るようになる。

そうすると、少しずつ、別に、あの生活に憧れたところで、
それがやりたいということではないよなあ。っていう本音の自分が出てくる。

もちろん、あのyoutubeの方々も素敵だけど、
自分が毎朝、ボサボサした頭でも、それがリアルだし、
仕方なくないかというふうに。


また、このぐらいの時から、書く瞑想というのがとても自分に役に立っていた。
なんでもいいから、書きまくるということ。
不満でも、悪口でも、嬉しかったこと、何を食べた、何を今日感じた。
なんでもオッケー。

そこから付随して、わたしってどんな人間か、どんなことをしたいと
思っているのか、何が自分にとって快適か、そうではないか。
何をいましたいと思っているかなど。

どんどん自分というものを書き記していく。
最初は、なんだ、このつまらない感じは、というところから、
定期的にやると、あ、これが好きなのか、とか、
こういうことが自分には合っているのかと明確に。

時間があれば、自分はどんな人か、
性格、誰に憧れていたのかとかどんどんなんでも書く。
その人の何に憧れて、何が好きなのか、を見つめ直すと、
見えてくるものがある。

そもそも何か書くということが好きなので、自分に書く瞑想が
向いていることにも気づく。


まず、身体的なことを言えば、
必ず、誰かになるというのは難しい。
身長が同じ、体重が同じだとしても、
確実に同じにはならない。(参考にはなるかもしれないが)

また、考えていること、何が好きかなども完全に同じなんてない。
そう思うと、誰かに憧れることはないんではないか、
自分のベストを尽くした方が、理想の自分に一番の近道になるではないかと。

自分はどこかYESマンなところがあるから、
いい意味で悪い意味でいろんなことを受け入れるところがあり、
本当にしたいことなのか、
自分に必要なのかっていうところが見えずらいこともある。


だから、こうやって、もう一度書くことで、
うーん、やっぱわたし自身を高めましょう。という結果に。

29年間自分と付き合ってきて、
良いも悪いも、性格はほぼ変わらないと思うし、
どんな人間性なのか見えてきたところで、
今ある自分を受け入れて、
それでも、何か必要なことがあるなら取り入れるというスタンスに
変わってきた。

ここ最近は、身体的にも精神的にも、
環境的にも軽いっていうのがポイントで。笑

身体的にというのは、いつでも動けるような体づくり、
疲れにくい体、精神的には、いろんな考えを取り入れたり、
柔軟性、またはいろんなことに触れる、ていうこともあり。

環境的にというのは、あまり、ものを持たないこと、
ものに依存しないこと、必要最低限でどこまで、自分を楽しくさせるか、
というのもある。断捨離を定期的に行ったり、買い溜めもほぼなし。

軽い荷物でお出かけできるのも今年の目標。
事実、tシャツジーンズ、シューズだけでいいんだよな。とかね。

今まで素敵だなという人はたくさんいたけど、その人はその人。
もちろん、今でも素敵だなと思う人はたくさんいるけど、
そこで自分と比較しても何も始まらない。


29歳、いつのまにかこんな人になりたいというのが、消えた自分。
今年も自分の内側、外側をケアして、楽しく過ごしていきたい。

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