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【読書感想】シン・ニホン

こんばんは、明日は3学年のオンライン面談を運営委員会で提案してもらい、明後日は担任会議を初のZOOMで行う予定のわやです。AI×データ時代において、計画など無意味です。失敗しても良いのです。まず行動、次いでフィードバックを繰り返し、精度を高めていけばオールOK(たとえオンラインHRに生徒が誰一人来なくても!)。


今日は読書感想です。ついに読み終わりました、シン・ニホン。いや遅すぎでしょ、というツッコミは無用です。その発言からは誰の成長も期待できない。

しかし、この書籍に対して、全貌を満遍なく踏まえて紹介するなどということは不可能です。扱っている領域が多岐に渡りすぎて、ぼくの能力では捉えきれません。心に訴えかけられた部分についての感想を述べるのが精一杯です。

まず、「未来」にコミットしたい人はとりあえず読もう。

それからでも自分のやりたいことを考えるのは遅くないと思います。ぼくが思うに、この本は日本の未来に希望を灯す書です。それが編集長が掲げるコンセプトなのですが、実際に希望を抱くことができる一冊です。

「あぁ、安心した。」ではありません。「そんなに課題が山積みなのか・・・」が正直なところですが、それでも「その先に日本の勝ち筋があるんだな!」と思わせてくれます。そのために、一人一人が果たせる役割を考えたくなる、そんなパワーを持っています。ぼくは思いました、「ぼくは日本を支える当事者である」と。

未来にビジョンを抱く方、読むと日本の現状の中で自分に何ができるのか、自分が提供できる価値はどこにあるのか、見えてくると思います。

ぼくは今の自分のやり方、考え方が決して間違っていないと思いました。決しては枠にはまらない、0→1の創造ができる人を育成する必要があります。言われたことがきちんとこなせる、それは大事かもしれません。でも些細なことです。未来に対して自分から仕掛けていく人材こそが必要です。未来を創る人材は、決して同質的な教育からは生まれないでしょう。

未来 = 夢 × 技術 × デザイン

めちゃくちゃ大事なのは”夢”だ。日々の仕事を、一体何を叶えたくてやっているのか答えられる人はどれだけいるのだろう?会社に勤める人なら、目標は言えるかもしれません。「〇〇円の売り上げを出す」とか。でもそれは”夢”ではないですよね。

この”夢”は”妄想”と言い換えることもできます。自分の仕事で目指す未来を考えて、ニヤニヤできますか?ニヤニヤできたら、それは”夢”を抱けてるんじゃないかなと思います。「こんな世界を生み出したい」と今思えていますか?

”デザイン”も大切だ。”デザイン”は日本では意匠としての意味だけが取り上げられますが、語源的にはもっと広く、設計という意味も含まれます。その系全体のモデルも含めた”デザイン”が重要なのです。現在ビジネスシーンにおいてもデザイン思考が大きく取り上げられていることからも理解できると思います。

大学生の時に「授業デザイン論」なる授業を履修したことがありました。当時は変な授業だなあと思っていましたが、今思えば重要性に納得です。例えば「言葉を発さない授業というルールで指導案を作り、実際にやってみる」とか意味不明でしたが、そんな授業だからこそ、何を達成したいのか、どうすれば達成に近づけるかを力強く考えました。茶道において華美の全てを削ぎ落してお茶の本質を極めた千利休のように、”デザイン”の底知れぬ力を感じます。

知覚する力を磨こう

AI×データ時代において、よく為されるのは「AIに仕事奪われる」論ですよね。AIは確かに「識別」し「予測」し「実行」することについては人が全く太刀打ちできないレベルです。しかし、AIはそれらのことを「なにも理解せず」に行っており、人とは明らかに異質なのです。新井紀子さんの著書『AIvs教科書が読めない子どもたち』でもシンギュラリティは少なくとも2045年にはこない、と述べられています。AIにできるのは論理・確率・統計だけだ、とも。

やはり人とAIは異なるものです。かといって、安心して良いという訳ではなく、つまるところ必要なのは共存です。

これまで新たなテクノロジーが登場した際、人はどうしたか?それらすべてを自分の生活を便利にするために役立ててきたはずです。車然り、洗濯機然り、ネット然り。きっとAIもそうなるだろう、というのが筆者の見方です。

しかし特定分野では非常に力を発揮するのがAIなので、それを道具として使いこなすために、AIができることはAIに、できないことは人がやりましょう。AIは超スピードで実行しますが、意味を理解しません。そのため大量のデータを収集したところで、その先何をすればよいのかは人が判断軸を与える必要があります。

つまり、意味を見出すことは人にしかできないのです。「知覚」とは、対象のイミを理解することだ、と筆者は言います。しかし、それらを鍛えるための訓練は必要です。知覚を鍛えるためには「直接的な経験」と、「言葉、数値になっていない世界が大半であることを受け入れる」ことが大切とのことです。これも教育でぼくたちが担えると良いですが、現状はそのようになっていません。

知覚を鍛えるために大切なのは「スポンジ力」より「気づく力」です。今の学校でどちらが求められているか分かりますか?

中高生がいかに吸収力の高いスポンジであったとしても、AIにも勝てる!という人が何%いるでしょう?0%でしょう。ぼくらは生徒が自分で考え、行動し、悩み、反省しながら「気づき」を得させる必要があるのです。今の教育はAIの得意分野で戦いを挑むようなものです。負けます、確実に。


長々と書いてしまいましたが、数多くのデータを交えながら建設的に日本の未来を見つめた書であり、先生方、この休校期間中時間もゆとりがあるでしょうから、読むチャンスかと思います(分厚いけど!)。

教員の立場から、日本の未来に対して仕掛けていきましょう!一緒に!


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