ちょっとイライラしてる?
ハッと振り向くと、頬杖をついた低島(ていしま)課長が、私の横に座っていた。
ラフな服装OKの会社では、よく男性はVネックの白シャツにジャケットを羽織る。低島課長もそれだが、彼ほど似合う男性はいない。お昼休みにジャケットを脱ぎ、白シャツ1枚になると、私生活を垣間見た気がして、ちょっとときめく。
無気力そうな眼をしているが、仕事ができる低島課長。上層部からは一目置かれ、部下からも信頼が厚い。女子社員から人気もあった。
イケメンの眼差しに癒されるが、午前中の自分を振り返り、恥ずかしくなる。
私は、同僚の妻夫木とプロジェクトを進めているが、彼のマイペースさにいつも頭を抱えていた。出社もギリギリ、報告書の提出もギリギリ。
「ギリギリでいつも生きていたいから…っていつの曲でしょうね。」
「2006年の曲だね。」
「課長の頭はグーグルですか?」
「ははっ。俺のスペックで生まれてくるには、前世でかなり徳をつまなきゃいけないよ。」
低島課長のナルシスト発言は、いつも場を和ます。いいなあ、自信があって、いつも堂々としている人は。
「妻夫木君は、何でもじっくり考えて行動するんだろうね。」
「マイペースすぎて、やりにくいこともあります。」
昨日、妻夫木に取引先へ依頼メールを送るよう言っていたのに、今朝確認したらまだだった。「昨日は仕事が立て込んでいたので、今日先方に連絡するつもりでした。」と呑気に言うので、「依頼が遅れると、先方の回答も遅れるじゃん!仕事は効率的に同時並行で進めることが基本でしょ!」と怒ってしまった。
「妻夫木君は仕事を丁寧にしてくれるから、助かっているけどね。」
「…私もそれは思います。」
確かに妻夫木はミスが少ない。時間はかかるが、1つ1つの仕事を真面目にこなす。でも…。
「遅くて丁寧より、多少粗くても仕事が早い方がいいって、思ってる?」
「…まあ、はい。」
上司にこんな考えで仕事していると思われたくないが、事実だ。時間をかけて100点に近いものを出すより、早く70点80点のものを出した方がいい。どうせ修正指示も入るのだから。
低島課長の指示はいつも適格だ。このプロジェクトが問題なく進んでいるのは、彼のおかげでもある。一見近寄りがたいが、相談すると、いつも真摯に向き合ってくれる。
「世の中には2種類の人間しかいない。俺か、俺以外か。」
「なんか聞いたことありますね。」
そんなことをTVで言うカリスマ芸能人がいた気がする。
「俺以外の人間をもう少し細分化するとね、5種類の人間がいるんだ。」
「5種類?」
私は手をパーに開く。低島課長は軽くうなずく。
「① 繊細 ②頑張り屋 ③せっかち ④強がり ⑤完璧主義 のどれか。」
「まあ…だいたいどれかに当てはまりますね。」
「子どもの頃の環境で刷り込まれる『心の癖』とも言われる。」
「頑張り屋や完璧主義は、長所っぽいですね。私はせっかちな人間かな~。」
幼いころから、母親に「早くしなさい!」とプレッシャーをかけられて育った。母親のせっかちな性格が、私もせっかちにさせた。待つことがとにかく嫌だった。行列の店に並ぶのも嫌、釣りなんて絶対に楽しめない。
「確かに、長所にもなりえる心の癖もあるね。でも厄介なのが、この癖は、他人をも駆り立てようとする危険な面もあるんだ。」
「駆り立てる?」
「この癖は自分自身もやりたくない、苦しいと感じているものだからね。自分が頑張って苦しい思いしてるのに、他人がサボってるように見えたら、むかつくでしょ。自分だけの指標であることに気づかず、心の癖と違う行動をする他人をずるいと思ってしまう。」
「自分が急いでやっているのに、他人がゆっくりやっているとイライラするみたいな感覚ですかね。」
ちょっと自分を振り返る。
いつもスピード感のない妻夫木に苛立ち、今朝は怒ってしまった。しかし、冷静に考えるとプロジェクトの全体スケジュールは、特に遅れていない。
私はなんとなく、急ぐに越したことはないと、マルチタスクをしながら全速力だった。皆がジョギングする中、私だけが順位を競うマラソンするようにトップギアで走っていた。
そして、自分がスピード狂になることで、周囲を無意識に駆り立ててしまっていた。早く仕事をこなす自分に優位性も保とうとしていたのか…。
「うわ~情けない…。私は目の前のことに必死で、周りが見えていませんでした…。」
「ははっ。でも君が頑張っていることは、知ってるよ。このプロジェクト、成功させたいって気持ちが強く伝わってくる。こうして昼休みも仕事しながらお昼食べてさ。」
低島課長は、私の左手が持つサンドイッチを指さす。
「人が見てないところで格好つけられない奴が、人が見ている時に格好つけられるわけないじゃん。」
ちょっとジワる…。
「…ありがとうございます。」
「じっくりゆっくり、腰を据えてやったらいいよ。」
イケメンのアメとムチ、よき。あとで妻夫木に謝ろう。
「ちょっと冷静になれた気がします。仕事、もっと頑張れそうです。」
「俺と話してたら、カニだって前向きに歩くよ。」
「課長が周りから信頼が厚いのって、こういうところですね。」
「フフッ。大きいものを見ると悩みはどうでもよくなる。だからみんな俺を見るのかもしれないね。」
私もふふっと笑う。
「俺、なんでもできちゃうから、糸電話でも営業できるよ。」
「すごーい(笑)」
「でもね、こんな俺も昔、『使えない後輩だな』って言われたことあるよ。」
「へえ、課長にもそんな過去があったんですね。」
「『使いこなせないの間違いじゃない?』って返したけどね。」
「…イケてるメンタル。略してイケメン。」
「確かに俺はイケメン。冴えない男と飲むリシャールより、俺と飲む雨水の方がうまいよ。」
「リシャールってw」
「ごめん。俺、前職は歌舞伎町で働いてたから、癖で。」
「前職が歌舞伎町って(笑) まさか、ホス…」
低島課長はそっと私の唇に人差し指を添え、いたずらっぽく微笑む。
あれ、何?このオーラ…、TV越しだけど、感じた覚えがある…。
「二流は期待に応えられない、一流は期待に応えられる、超一流は期待を超えるんだよね。君にも超一流を目指すくらいの向上心はありそうだ。じゃあね。」
そう言って、低島課長は去っていった。
私はハッとしていた。
「低島」って英語にすると、ロー(低)ランド(島)…。
【参考文献】
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