角田陽一

フリーライター。北海道出身。アイヌ文化に日本文化、グルメなどで執筆中。 著書『図解アイ…

角田陽一

フリーライター。北海道出身。アイヌ文化に日本文化、グルメなどで執筆中。 著書『図解アイヌ』(新紀元社 、平成30年)。執筆協力『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社、令和元年)など。

最近の記事

不潔な平安京を救ったのは「桶」だった!

「平安時代はとんでもなく不潔だった」 これまでさんざんに書いてきたが、疑問に持たれた方もいるかもしれない。 はるか後代の徳川時代。 お江戸を始め諸国の大都市では、住民の排泄物は「下肥」として近隣の農村に運び出されていた。糞便は肥料として配収されるため、江戸市中は清潔が保たれた。なぜ平安京の民衆は糞便をそのまま放置するなど、不潔でなおかつ「もったいない真似」をしたのかと。 それは「技術が追い付かなかった」からである。 もちろん、当時の平安京周辺の農村においても、人間の糞便を

    • 平安時代の実態 平安京は巨大なトイレだった!

      平安時代の「都会モン」の実体 平安期の日本の全人口は600万人程度であったらしい。 そのうち平安京に住んでいた「都会人」は10万から20万人ほどであったらしい。 その10万から20万人のうち、「貴族」に属する者はせいぜい千人ほど。 残りの者はすべて貴族の従者、貴族やその従者相手に日用品や食料を商う者、あるいは芸能を提供する者、つまり庶民階級であった。 都で排出される糞便は、その実は庶民のものが大半だった。 上流階級は屋内の簡易便器に排泄し、使用人に始末させる。 では庶民は

      • 十二単を着なかった小野小町

        今年の大河ドラマは平安時代 平安時代と言えば平安美人 平安美人と言えば小野小町 その平安美人の小野小町は、「十二単」を着たことが無かった? 記事書かせていただきました

        • 本当はドロドロだった平安時代。貴族のお姫様のトイレの中身の行先は…

          平安時代。 十二単のお姫様のお住まいになるのが、当時の貴族層の大邸宅だった寝殿造だった。邸内には溝川が引き込まれ、主人が舟遊びを楽しむ大池に水を供給していた。そして溝川は、生活排水を洗い流す意味も込められていた。その最たるものが糞便だった。 便器の内容物は、水で洗い流されていたのだ。当然、水環境に悪影響を与えることになる… 源氏物語成立期から遡る事200年ほど前の弘仁10年(819年)、時の朝廷はお触れを出している。 「昨今、都の邸宅では塀に穴を空けて溝の水を敷地に引き

        不潔な平安京を救ったのは「桶」だった!

          グリム童話「ブレーメンの音楽隊」は日本昔話だった?

          「まんが日本昔ばなし」として放映された ブレーメンの音楽隊団塊ジュニアの心のアニメ 「まんが日本昔ばなし」 そのエピソードで、「グリム童話」「ブレーメンの音楽隊」のパクリとしか言いようのない話が放映された。 昭和58年のことだった。 なぜ「ブレーメンの音楽隊」が日本昔話なのか。 その詳細です。 以前、記事として書かせていただきました。 https://www.creators-station.jp/report/173173

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          実写映画版「ゴールデンカムイ」に見るアイヌの伝統家屋の「薪の置き方」

          北海道ロケが功を奏した 「ゴールデンカムイ」の映像美 去る1月19日より全国公開の映画版「ゴールデンカムイ」。 映画『ゴールデンカムイ』公式サイト (kamuy-movie.com) 早速見てまいりました。 オープニングはゴールデン、砂金がさらさら渦を成しアイヌ文様となり、北海道島、アイヌ語で言うヤウンモシㇼの形を象る。砂金が烈風で吹き飛ばされれば明治期の北海道の地図となり、一面の雪原を歩む杉元の姿と相成る。 周囲を覆うのはブラキストン線以北の植物相。 エゾ松にトド

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          本当はドロドロだった平安時代

          文学作品でイメージされる、とにかく「みやび」な平安時代 単衣の一枚一枚の襲も鮮やかに、丈に余る黒髪の女房が筆を操れば衣擦れの音と共に焚きしめた香が薫る。 五七五七七の大和歌を涼やかな声で詠みあげれば、対の間から奏でられる管弦の響きが卿を添える。 御簾を揺らす夜風が寝殿に舞い込めば、またたく火影に女房の顔かたちが影をかたどる。 令和6年大河ドラマは『光る君へ』 舞台は大河ドラマとしては異色の平安時代中期。 主人公は『源氏物語』の作者であるところの紫式部。 さて平安時代。

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          明治北海道のゴールドラッシュ 萌え地名「うそタン」とは?

          明治初期に復活した 砂金採集シャクシャインの戦い以降 松前藩は「アイヌ勢力と和人の砂金採りの結託」を 恐れ、砂金採集を禁じた。 宝の山はそのまま温存された。 時は流れて明治初期 明治政府の号令で北海道開拓が本格化した。 それまで和人、大和民族がほとんど分け入らなかった内陸部にも本州方面の出身者が大挙して押し寄せた。彼らは開拓民であり、猟師であり、木こりであり、そして砂金掘りだった。明治を迎え、幕藩体制の崩壊とともに北海道での砂金採集はまた復活したのである。 砂金掘りの有望

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          ゴールデンカムイの謎 シャクシャインの戦いと砂金トラブル

          和人の砂金採りにより 混乱するアイヌ社会江戸時代初期、 北海道はゴールドラッシュに沸いた。 それは松前城下や渡島半島のみの話ではない。 日本海沿岸各地や、太平洋沿岸の日高方面も和人の砂金採りが殺到した。 北海道日高地方における砂金採取。 主な採掘地域は沙流川上流、新冠川、静内川、三石川、元浦河など。 これらの流域は現在もアイヌ系住民が多く、アイヌ文化が脈々と受け継がれている。 さて砂金を採るには、まず川底を掘り崩して砂を流さなければならない。 当然、川は汚れ、鮭漁の妨げとな

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          ゴールデンカムイの謎 (23、24巻)江戸時代初期、砂金を求め全国より集う砂金掘りたち

          戦国時代から江戸時代初期にかけて 北海道桧山地方は、日本最北の大名である松前藩の支配する処となった。 米の栽培できない地での藩の収入源はアイヌとの交易、 そして砂金採りによって成り立った。 年貢の増収を企む藩は諸国から砂金掘りを呼び寄せた。 前々回の記事で紹介した、鎌倉時代における北海道の砂金採り伝説に登場する北海道南部、 渡島半島南西部の知内川流域は諸国から到来した砂金掘りで活況を呈し、 山中に市街地ができあがるほど。 そう、ゴールデンカムイ23巻。 そして24巻あた

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          ゴールデンカムイの謎 黄金の国・ジパングとは北海道だった?

          先日の記事の続きです。 平安時代末期、奥州藤原氏の繁栄を支えたのは蝦夷地産の砂金だった。 中尊寺金色堂の噂は中国にも伝わり、鎌倉期に当時の中国、元王朝に滞在していたイタリア人商人、マルコ・ポーロはイタリアに帰国後、旅日記『東方見聞録』に「黄金の国・ジパング」として書き留めた。 「ジパング」は「日本国」の中国南部式の発音「ジップン・グォ」の訛りだという。ともあれ「黄金が豊富に産出され、建物の屋根も床も金で出来ている」と称されるジパングの記述に夢を抱いたのが、それから数百年ほど

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          ゴールデンカムイの謎…アイヌの黄金伝説

          明治後期、日露戦争の生き残り兵・杉元佐一は戦死した友人の妻、自身の元恋人の眼病を直すため、一獲千金を求め北海道に渡る。 折しも北海道は砂金採りによるゴールドラッシュに沸いていた。 そこで彼が耳にしたのは、アイヌらが集めた膨大な埋蔵金の噂であった…。 2014年の連載開始以来、目くるめくストーリー展開と入念なアイヌ文化描写で人気を博した、野田サトル氏の漫画 『ゴールデンカムイ』の基本設定である。 さて北海道には、漫画の設定とは別に実際の「黄金伝説」がある… 数年前に書いた記

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          祝!ゴールデンカムイ映画公開 味噌とオソマ

          令和6年1月19日金曜日 祝! ゴールデンカムイ映画版公開! そんなわけで、以前公開した記事を再掲載させていただきます。 味噌とオソマの取り違えは、明治を生きたアイヌ女性の聞き語りにも実際にあったエピソード。 以下の本に詳しく書いてございます。 ゴールデンカムイネタも多少は加味した、拙著『図解アイヌ』もよろしくお願いします。

          祝!ゴールデンカムイ映画公開 味噌とオソマ

          都市伝説「山小屋の四人」には江戸時代からの伝統があった

          冬の怪談 「山小屋の4人」団塊ジュニア以降の年代の人ならば、こんな「冬の怪談」を一度は耳にしたことだろう。 登山者4名が冬の雪山に挑んだが、道に迷ってしまった。 雪原をさまよううちに山小屋を見つけたが、中は無人、そして暖房器具はおろか照明器具の類もない。このまま夜を迎えれば睡魔に負けて眠りこけ、そのまま凍死してしまうだろう。そこで4人は「眠らないため」一計を案じた。 ここで彼らを便宜上、A、B、C、Dと呼ぼう。 まず部屋の四隅に、A、B、C、Dの4人がそれぞれ陣取る。 ま

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          曹操が食べた「鶏肋」とはどんな料理?

          先日書いた記事です。 三国志演義の物語。 蜀との苦戦に悩む魏の曹操が食事中にうっかり漏らした 「鶏肋」の言葉。 それを「才知溢れる部下」が勝手に解釈したばかりに… さて、その折に曹操が食べていた料理はどんなものだったのか?

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          馬はなぜ「いななく」のか

          ライターとして記事書かせていただきました 答え。 古代日本語には「ハヒフヘホ」の音が無かったから。 言語学の世界では有名な話だが、古代日本語にはHの子音が無かった。 弥生から古墳、奈良時代まではハヒフヘホに当たる音は「パピプペポ」だった。 だから現在の日本語のオノマトペのように「ヒヒーン!」と表現できない。 当時の発音では「ピピーん」になる馬の声には聞こえない。 だから…

          馬はなぜ「いななく」のか