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ゴールデンカムイの謎 (23、24巻)江戸時代初期、砂金を求め全国より集う砂金掘りたち

戦国時代から江戸時代初期にかけて
北海道桧山地方は、日本最北の大名である松前藩の支配する処となった。
米の栽培できない地での藩の収入源はアイヌとの交易、
そして砂金採りによって成り立った。

年貢の増収を企む藩は諸国から砂金掘りを呼び寄せた
前々回の記事で紹介した、鎌倉時代における北海道の砂金採り伝説に登場する北海道南部、
渡島半島南西部の知内川流域は諸国から到来した砂金掘りで活況を呈し、
山中に市街地ができあがるほど。

そう、ゴールデンカムイ23巻。

そして24巻あたり。

224話あたりからの一連の流れだ。

熊の邪神を信仰する謎の砂金取り。平太師匠。彼は道内各地の川から採れる砂金の標本を分類して保存していた。その砂金の元ネタは物語のはるかに初期…北海道に渡り一攫千金を求め砂金を掘る杉元が飲んだくれの男から聞きつけた砂金の噂…アイヌの軍資金そのまま。

だが「のっぺら坊」がその秘密を知る7人を殺して砂金を隠匿し、一部を持ち去った。だがその砂金は北海道で一番深い湖・支笏湖上を渡る丸木舟の転覆で失われた…筈だったが、「海賊ボウタロウ」の潜水技術で回収され平太の手に渡る。
平太が分類して所持する砂金のサンプル包み紙には、道内各地の砂金を産する川の名が書きつけられている。

・夕張川
・歴舟川
・後志利別川
・徳富川
そして「知内川」。今回はその北海道南部、知内川のお話。

前述のように、渡島半島を流れる知内川一帯は砂金の産地。
そして日本本土に近い関係から、早くから和人が進出した地域でもある。
そこで砂金が産出するとなれば、大量の砂金掘りが殺到するのは言うまでもない。
知内川の水源の山である「大千軒岳」は、この賑わいを模した山名とされている。
山中に「千軒」もの家々を有する市街地が生まれていたからという。
イエズス会神父リーダッショ・カルワーリュが元和6年(1620)に残した記録によれば、
松前藩領に集う砂金掘りはその前年、1619年で5万人もいたという
北海道全体のアイヌ人口が数万人だった時代、それを凌駕する和人たちが押し寄せたのだ。

砂金堀場の「ショバ代」が
貴重な藩の収入

彼ら砂金採りの生活とは、いかなるものだったのだろうか。

先のリーダッショ・カルワーリュ神父の記録によれば、
砂金採りの一団は地形を判断した上で「松前の殿」から河畔1ブラッサ(1.67m)を購入する。
その区間を掘り、川の水で洗い流せば川底に砂金が溜まる仕掛けだという。
時には300タイル(匁?)もの金塊も発見される

だが、問題なのは京や江戸を離れた北辺の地に、何ゆえ南蛮の宣教師がいたか、ということなのだ…

以前書いた記事です


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