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ゴールデンカムイの謎 黄金の国・ジパングとは北海道だった?

先日の記事の続きです。
平安時代末期、奥州藤原氏の繁栄を支えたのは蝦夷地産の砂金だった。
中尊寺金色堂の噂は中国にも伝わり、鎌倉期に当時の中国、元王朝に滞在していたイタリア人商人、マルコ・ポーロはイタリアに帰国後、旅日記『東方見聞録』に「黄金の国・ジパング」として書き留めた。

「ジパング」は「日本国」の中国南部式の発音「ジップン・グォ」の訛りだという。ともあれ「黄金が豊富に産出され、建物の屋根も床も金で出来ている」と称されるジパングの記述に夢を抱いたのが、それから数百年ほど後のヨーロッパ大航海時代の船乗りだった。

彼らがようやく「憧れの日本」にたどり着いたのは、記録の上では1543年。日本国の種子島。この折に日本側には「火縄銃」も同時に伝わり、戦国の風雲はより混迷を深めることになる。

だが、「南蛮人」たちは次第に疑問を抱き始める。
確かに、この「日本」という国は我々の故郷、ヨーロッパに比べれば金銀の産出量は豊富だ。だが「国中に満ち溢れている」「建物の屋根も床も金」という事はない…そしてひとつの結論に至った。

「黄金の国、ジパングとは日本ではない!
ジパングは別の場所にある!」

こうして貪欲な船乗りたちは、さらなる冒険へと繰り出すのであった…

以前書いた記事です。続きは以下を

※参考文献


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