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詩経・楚辞について

初めに

こんにちは。田渕 創ノ介です。Note投稿 第4作目は「詩経・楚辞」についてです。

尚、本文では文字数の関係上、常体(~だ、~である、など)を用いている事をご了承ください。



プレリュード『詩経』『楚辞』とは

『詩経』『楚辞』の原点は、古代祭祀と呼ばれる儀式において歌われた神呼びの歌、幸せの祈願の歌にある。古代の人々は自然の神々をとても大切にしていた。海にも山にも、そして草や木にも、自然界の全ての命あるものには神が宿っている「アニミズム(英語:Animism)」と呼ばれる考え方を持っていた。神霊を降臨させる呼び声として、片や降臨した神霊と祭りの時をたのしむ歌として、『詩経』『楚辞』は生まれたのである。

『詩経』も『楚辞』も、歌われた原初においては抒情詩というよりは宗教(アニミズム)の為の歌としてあり、子孫繁栄や五穀繁盛と祈願をする祈りがその本質であった。

やがて『詩経』は「漢王朝」(B.C.206 ~ A.D.220)の時代になると、「儒教」の経典として読まれることになる。また、『楚辞』も本来は宗教歌舞劇であったものが、漢代になると、愛国忠臣の物語として読まれるようになる。その後も時代によって、『詩経』『楚辞』はそれぞれ「多様に」その意味を解釈される歴史が長く続いた。しかし、変わりつつあった解釈の中でも、それらの詩は中国詩歌の源流であったのである。

今回は、2つの名作の特色をそれぞれ述べつつ、筆者の個人的な感想や考えも述べていく。

第1部『詩経』とは

『詩経』は中国で最も古い詩集である。古くは『詩』と呼ばれていた。『詩経』の特色として、ベースが大きく分けて2つある。1つは一族の繁栄を祈り、神に感謝する祭祀のような言辞である。もう1つは、国家的な祭祀とは別に、アニミズムを信仰した人々が歌った歌謡としての側面もある。人々は一族や土地の聖地に集まり、祖先の霊や海山の神々を祀ったのである。これらの『詩』は、先述したように、「秦王朝」(B.C.221 ~ B.C.207)を経て漢代になると、五経の一つとして儒教の経典となり、その解釈が大きく変わっていった。儒教とは、親や主人を敬う忠誠心や、人と人の繋がり、コミュニケーションを大切にする教えである。しかし、『詩』は道徳規範の教科書として生まれたものではなかった。あくまでも神霊催事の場から生まれた、良い意味で俗っぽく且つエモーショナルな「古代人による幸福を願う祈りの詩歌」でしかなかった。

今回は、『詩経』を儒教の経典としてではなく、古代の歌謡として読み解いていく。そして、膨大な詩歌の中から個人的に気に入った歌を理由なども述べながら、いくつか挙げていく。

第2部『詩経』恋のうた ~木瓜篇~

『詩経』の中で最も多く詠まれるジャンルは、恋の歌である。古代の人々にとって最大の幸福は結婚して子供を産むことであった。若い未婚の男女は、季節ごとに出会いを求める。それは現代社会で見られるSNSなどでのマウント合戦や、お見合いや合コンなどで見られる血みどろの駆け引きなどのレ・ミゼラブルのような物では無く、古代の人たちは朗らかにそしてピュアに求愛の気持ちを表した。それは時には成功し、時には失敗し、喜び悲しむといった古代の人たちの喜怒哀楽を残した歌を取り上げていく。

木瓜 木瓜(衛風)

投我以木瓜
報之以瓊琚
匪報也
永以為好也

我に投ずるに木瓜(ぼくくわ)を以てす
之に報ゆるに瓊琚(けいきょ)を以てす
匪(か)れ報いたり
永く以て好(よしみ)を為さん

私に木瓜を投げてくれた
お返しに瓊琚(たま)を贈ろう
さあ、答えたよ
末永く仲よくしよう


投我以木桃
報之以瓊琚
匪報也
永以為好也

我に投ずるに木桃(ぼくとう)を以てす
之に報ゆるに瓊瑶(けいよう)を以てす
匪(か)れ報いたり
永く以て好(よしみ)を為さん

私に木桃を投げてくれた
お返しに瓊瑶(たま)を贈ろう
さあ、答えたよ
末永く仲よくしよう


投我以木李
報之以瓊玖
匪報也
永以為好也

我に投ずるに木李(ぼくり)を以てす
之に報ゆるに瓊玖(けいきゅう)を以てす
匪(か)れ報いたり
永く以て好(よしみ)を為さん

私に木李を投げてくれた
お返しに瓊玖(たま)を贈ろう
さあ、答えたよ
末永く仲よくしよう

牧角悦子『詩経・楚辞』(2013年:角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

「木瓜」篇は、歌垣における投果婚をうたった詩である。歌垣というのは、現代でいう集団お見合いに近く、季節の祭りに未婚の男女が集まって、歌や果実を贈るものである。男女はそれぞれのグループに分かれて、歌を歌いあう。ハートにズキューンと来た相手を見つけると、女性は持参してきた果実を男性に投げる。当たった男性は、その女性にキュンキュンすれば、女性に腰の佩玉(はいぎょく)を返し、ここに一組のカップルが成立するのである。

ここで着目したいのが、女性側が先にアクションを起こすことである。恋愛にアグレッシブな女性を揶揄した表現として「肉食系女子」という言葉が流行して幾何の時が流れているが、肉食系女子の一般的なイメージは「恋愛の駆け引きが上手」「積極的に異性にアプローチをする」などが挙げられる。しかし、肉食系女子にとって、「恋愛」はあくまでも手段の一つであって、目的(結婚)の為ならどんな手を使う、といった点である。(もちろん人によっては違うことは承知の上だが)方や、古代の女性たちは結婚して子供を産むことを最大の幸福としていた上で、その前の過程である「恋愛」も楽しんでいたのである。

第3部『詩経』恋のうた ~静女篇~

静女(邶風)

靜女其姝
俟我於城隅
愛而不見
搔首踟躕

静女(せいじょ)其れ妹(うるわ)し
我を城隅(じょうぐう)に俟(ま)つ
愛として見えず
首(あたま)を掻(か)きて踟躕(ちちゅう)す

うるわしき人は姿美しく
私を町はずれで待っている
ぼんやりあたりはほの暗く
頭を掻きつつうろうろと


靜女其孌
貽我彤管
彤管有煒
説懌女美

静女其れ孌(うつく)し
我に彤管(とうかん)を貽(おく)る
彤管は煒(い)たり
女(じょ)の美を説懌(えつえき)す

うるわしき人は姿したわしく
私に彤管(つばな)を贈ってくれた
彤管はつややかに赤く
その人の美しさに心よろこぶ

自牧帰荑
洵美且異
匪女之為
美人之貽

牧(ぼく)より荑(てい)を帰(おく)る
洵(まこと)に美にして且つ異(い)
美 匪(か)の女の美を為(な)し
美人の之(こ)れ貽(おく)ればなり

野で摘んだ荑(つばな)を私にくれた
本当にきれいで珍しい
その人の美しさだけでなく
その人の贈り物だからこそ

牧角悦子『詩経・楚辞』(2013年:角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

「恋のうた」で筆者が気になった詩はもう1つあり、それが右記の「静女篇」である。この詩に登場する「静女」とは物静かな女性という意味でなく、美しい女性の事を指す。また、町の隅とは若者たちの逢引の場所のことである。女性は男性に「『そこ』で待っているわ」と伝えて、伝えられた男性は期待と不安にドキドキしながら出かけて行ったのだろう。しかし女性の姿は見つからず、次第に空が暗くなってきた。待っているはずの女性が見当たらない事に、焦燥感を抱いた男性は「あたまを掻きつつ踟躕する」、つまり所在なくその辺をうろうろするしか無かった。

そして遂に女性は姿を現した。さらにプレゼントを男性に贈った。それは野に咲く赤いツバナの花だった。ツバナの花は強壮剤の役割を持ち、男女の求愛のしるしに相手に贈るものだった。今でいうと、バラの花やカーネーション、ラナンキュラスの花などに近いかもしれない。プレゼントを受け取った男性は、求愛の花を贈られて嬉しくて仕方がない。彼女が美しいだけでなく、彼女のプレゼントも、当然愛おしくてならない、といったなんとも初々しく微笑ましい情景を描いた詩である。

この詩のエピソードは今現在にも通じるものがある。恋結ばれた男女が待ち合わせの約束をして、いざ片方が待ち合わせの場所に向かうと相手がいなかった。どこにいったのか、約束を忘れてしまったのか、自分の事が嫌いになってしまったのか、とあれこれ不安が募る中で待っていると、やがて相手がやってきてプレゼントを渡される。すると、先ほどまでの不安は一気に吹き飛ぶ。そして、待たされた時間の分だけ相手が愛おしくなる。おまけにそのプレゼントが求愛のものとなれば、なおさらである。今現在はインターネットや郵送技術の発達によって、遠く離れた相手にも簡単かつ迅速に贈り物ができる便利な時代ではあるが、実際に手渡しをすることで得られる「ときめき」は何者にも代え難いものがあろう。

第4部『詩経』恨みと怒りのうた ~巷伯篇~

『詩経』に登場する詩は必ずしもハッピーな詩ばかりではない。時には悲しみや嘆き、恨みといったダークな感情を含んだ詩も登場する。そしてこの項目でピックアップするのは「恨みと嘆きのうた」である。

まっとうに生きようとする人間を、嫉妬や愚かさから様々な妨害に走る人の事を「讒人(ざんにん)」と呼ぶ。どれほど社会が発達しようとも、そういった人々は必ず存在するものである。次に挙げる詩はそんな「讒人」を痛烈に批判し、それは恨みを超えて、激しい怒りの詩として、強い現実批判の精神を我々に示すものである。それでは、スーパーサイヤ人に目覚めた古代の詩人たちの怒りと嘆きの詩をいくつか紹介していく。

巷伯

萋兮斐兮
成是貝錦
彼譖人者
亦已大甚

萋(せい)たり斐(ひ)たり
是の貝錦を成す
彼の人を譖する者
亦た己に大いに甚だし

貝の模様をなすように
あやどり美しく
あの偽りの言葉を紡ぐ者が
実にひどい奴だ


哆兮侈兮
成是南箕
彼譖人者
誰適與謀

哆たり侈たり
是の南箕(なんき)を成す
彼の人を譖(しん)する者
誰か適(よろこ)びて与に謀る

大声で声高に
口を広げた箕(み)のように
あの偽り人は
誰彼となく悪い噂を立てる


緝緝翩翩
謀欲譖人
慎爾言也
謂爾不信

緝緝(しゅうしゅう)翩翩(へんぺん)として
謀りて人を譖(しん)せんと欲するも
爾(なんじ)の言(げん)を慎めよ
爾の不信を謂(おも)え

ひそひそと耳元でささやいて
人を貶めようと思っているのだろうが
お前の言葉に気をつけろ
お前の偽りを思うがよい


捷捷幡幡
謀欲譖言
豈不爾受
既其女遷

捷捷(しょうしょう)幡幡(はんはん)として
謀りて譖言(しんげん)せんと欲するも
豈(あ)に爾に受けざらんや
既にしてそれ女(なんじ)に遷(うつ)らん

へらへらと言葉をひるがえして
たくらみを試みても
人がお前を信じない
それはお前の身に帰り及ぶだろう


驕人好好
労人草草
蒼天蒼天
視彼驕人
吟此労人

驕人(きょうじん)は好好(こうこう)たり
労人(ろうじん)は草草(そうそう)たり
蒼天よ 蒼天よ
彼の驕人を視(み)よ
此の労人を吟(あわれ)めよ

驕れる人は楽しげに
悩める人は憂いに満ちる
ああ、天よ
あの讒人をみよ
この私を憐れめよ


彼譖人者
誰適與謀
取彼譖人
投畀豺虎
豺虎不食
投畀有北
有北不受
投畀有昊

彼の人を譖(しん)する者よ
誰と適(よろこ)びて与に謀る
彼の人を譖するものを取りて
豺虎(ざいこ)に投畀(とうひ)せん
豺虎 食わざれば
有北に投畀(とうひ)せん
有北 受けざれば
有昊(ゆうこう)に投畀せん

あの偽り人は
誰彼となく悪い噂を立てる
あの偽り人を捕まえて
豺(オオカミ)と虎に投げ与えよ
豺と虎が食わなければ
北の大地に投げ捨てよ
北の大地が受けつけなければ
天の神の前に投げつけろ


楊園之道
猗于畝丘
寺人孟子
作為此詩
凡百君子
敬而聽之

楊園(ようえん)の道は
畝丘(ほきゅう)に猗(よ)る
寺人(じじん)孟子(もうし)
此の詩を作為(つく)る
凡百(ぼんひゃく)の君子
敬(つつし)んで之を聴け

楊の園への道は
畝丘から続く
内に仕えるわたくし孟子が
この詩をつくりました
この世の全ての神々よ
どうかこの訴えをお聞きください

牧角悦子『詩経・楚辞』(2013年:角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

この詩は政治の腐敗をその内部から、自らの身に害を受けた者の訴えとして暴露した、怒りの詩である。「譖」は「讒」と同じで、偽り、誹り、人の評判に悪口や根拠のない噂を立てることであり、「譖人」「讒人」とは、人を貶めるために陰で悪口を言い、また主人に媚び諂う者である。それは、ハエのような卑怯な小人とともに、どんな世の中にも存在する邪悪なる人々である。

この詩では、まずそんな「譖人」に対してその卑怯なふるまいを批判する。しかし、世の中というものは、必ずしも正しい物の言が聞き入れられるわけではない。人は往々にして「譖人」のいうことを聞き入れ、まっとうな人間を排す。この詩を歌った詩人も、卑怯な人間がのさばり、それに苦しめられる状況に対して現実世界では解決策を見いだせなかった。

しかし、詩人は黙って運命に従ったりはしない。蒼天に対して、ちゃんと世の中を観察しろ、苦しむ私を憐れめ、と強い口調で訴える。同時にもしも天が裁かないのならば、彼ら(譖人)をオオカミに喰わせてしまえ、北の大地に捨ててしまえ、と実に激しく糾弾するのである。

怒りは人を「浄化」する。現代社会で「怒り」はパワハラ、虐待、DVなどといったネガティブなものと結び付けられて、悪しき感情だと捉えられてしまいやすい。しかし、喜び、悲しみと共に怒りもまた、人が人として持つ「全う」な感情の一つとして、『詩経』の詩に歌いこまれている。それらは実に激しくも儚く、そして時に美しささえも感じるものである。だからこそ、「怒り」を忌避しまいがちな現代社会を生きる我々も、自分の気持ちや内面を吐露するのに、時には「怒り」を用いて表現することを忘れてはならない。

第5部『楚辞』

『楚辞』とは何か、ということを説明するのは非常に至難の業である。その理由は単純明快で、まだ分かっていない事や不明な事が多いからである。そもそも『楚辞』と呼ばれる歌謡が、歌なのか詩なのか、あるいはセリフなのか、全体像を概括的に捉えることができるのか、それらをはっきりと説明することはまだ誰にもできていないのである。ところが、後漢の時代に王逸の編纂した『楚辞章句』17巻という『楚辞』の最も古いテキストが編まれてより、歴代の文人・詩人たち、そして人生の分水嶺に立たされた人々に、『楚辞』は大きなインスピレーションを与え続けてきたのである。それは経典として読まれた『詩経』をも凌ぐどころか、『詩経』以上に多くの読者を獲得して読まれ続けてきた。『楚辞』は『詩経』と比べて、ストーリー展開がダイナミックである。それは古代神話の神々が登場し、地上世界から天上世界へと飛翔するといった、スケールの大きな展開が多いからである。

『詩経』と同様に、『楚辞』も少なからず儒教の影響を受けてきた。後漢の時代になると、王逸という人物が儒教の教えを『楚辞』の解釈の中に組み込もうとしたのである。彼は春節時代の「楚」(B.C.11Century ~ B.C.223)という国に生きた「屈原」という人物が歌った愛国忠臣の想いを『楚辞』の解釈に含めて、変化を生み出したのである。これは『詩経』が漢代になって儒家経典になり、儒家的、道徳的解釈をされたのと全く同じ現象である。王逸の『楚辞章句』には、後漢の儒教的価値観が反映していると同時に、屈原という一人のスーパーヒーローの存在が、全ての詩編の解釈に影響を与えることになってしまった。

しかし、今回は『詩経』と同様に、あくまでも古代の歌謡として読み解いていく。そして、『楚辞章句』十七篇の中から個人的に気に入った歌を理由なども述べながら、いくつか挙げていく。

第6部『楚辞・九歌』~礼魂篇~

『楚辞・九歌』は『楚辞章句』の第二篇である。九歌では、神々を祀る詩がうたわれている。ここでは十一篇の詩が集められている。「九歌」の「九」については、それが実数を表すのか、それとも別の意味をもっているのか、未だに分かっていない。しかし、「九歌」と言いながらここに十一篇のうたが集められていること、また他の文献の中に、『楚辞』の「九歌」をさすのではない「九歌」という言葉がみられることから、「九歌」とは「九つのうた」というよりは、「天上の舞曲」というような意味を持っていたのではないかと想像される。

礼魂

成禮兮會皷
傳芭兮代舞
姱女倡兮容與
春蘭兮秋菊
長無絶兮終古

礼を成して鼓を会(かい)し
芭(は)を伝えて代る代る舞う
姱女(かじょ)倡(うた)いて容与(よ)たり
春蘭(しゅんらん)と秋菊(しゅうきく)と
長く絶ゆること無く終古(しゅうこ)ならん

祀りの礼を成し終わり、激しく太鼓を打ち鳴らす
手から手へ花を伝え、代わる代わるに舞い踊る
美しき巫女はうたいつつ、舞う姿もやわらいで、
春には蘭を、秋には菊をかざしておどる

牧角悦子『詩経・楚辞』(2013年:角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

筆者が11篇の九歌の中でピックアップしたのは『礼魂篇』である。『九歌』は先述したように神々を祀る詩であり、さらに饗宴の詩でもある。天の唯一絶対神である「東皇太一」をはじめとして、天上界・自然界の神々を祀る詩が集められている。

第1句「成礼」は、祭りの成就を言う。髪を迎えて酒食や歌舞音楽を供する一連の祭祀は、最後に太鼓の合奏で締め括った。その太鼓の合奏を背景にして、巫女たちは「傳芭」する。手から手へと花を渡し、受け取った花と一緒に代わる代わるに舞うのである。美しい巫女たちは歌いながら、ゆったりとやわらかに舞うのである。巫女が「傳芭」する花は、春に蘭、秋に菊、それぞれに香り高く、そして人を清浄に清める花であった。

最後の句に詠まれる「無絶」と「終古」とは、絶えることの無い時間、永遠に続く時間を表す。古代において、時間は円環的に流れていた。「死」は終焉ではなく新しい始まりであり、命は親から子、子から孫へと、まるで「傳芭」するかのように伝えられていくものしてあった。人はその円環的な時間の中で、抗うことなくゆったりと生き、そして死んでいった。そんな穏やかにながれる時間の中で、降臨した神とそれを祀る人々が、調和に満ちた世界の中で祭礼の時を楽しみ、そして祭りは静かに収束する。九歌の中の「礼魂」篇とは、そんな古代的調和に満ちた世界を詠ったものだったと言えるだろう。

第7部『楚辞・天問』~夏王朝伝説:古代中国神話から生まれたキャラクター篇~

『楚辞・天問』は『楚辞章句』の第三篇である。『天問』では、天に対する問いかけが172も発せられる。天地創造の始原から神話のいにしえの物語、そして人間世界の道理から地理歴史の知識におけるまでバリエーションが非常に豊かである。そして、筆者が気になっていた箇所は次の通りである。

浞娶純狐
眩妻爰謀
何羿之射革
而交吞揆之

浞純狐を娶るは
眩妻と爰に謀るなり
何ぞ羿の革を射るも
而も交々之を呑揆せる

寒浞は純狐を娶ったのは
愛欲に目が眩んだ為であり
どうして、羿(后羿)を討たずに
双方(ここでは寒浞と純狐)は結ばれるのか(いや結ばれる訳が無い)

※参考文献に訳が無かったので、筆者が独自に解釈したものである

実に昼ドラのようなドロドロ具合の三角関係のエピソードである。やがて殺されてしまう羿(后羿)は、伝説的存在である「夏王朝」(B.C.2070頃 ~ B.C.1600頃)の時代の人物であり、夏王朝に反乱を起こした。純狐(玄妻)の夫である。弓の名手として夏王朝の領土を奪っていった。しかし、やがて狩猟に熱中してしまい、政治を家臣の寒浞に任せっきりにしてしまった。そして、寒浞に謀反を起こされて羿は謀殺されてしまった。その謀反には妻の純狐(玄妻)も関わっていた。次第に、寒浞と純狐は一蓮托生の関係になっており、羿の謀殺後に2人は結婚した。

筆者がこの詩に着目したのは「純狐(玄妻)」というキーパーソンに非常に思い入れがあるからである。それは彼女が「東方プロジェクト」という弾幕シューティングゲームを中心とした作品群にキャラクターとして登場するからである。個人的にこの純狐というキャラクターが好きであり、その理由としてはもちろんその美しいヴィジュアルもあるが、最も好感を持った点はその悲しいバックストーリーから生まれた激しい憎悪の念の内側の片隅に潜む、経産婦・寡婦としてのたおやかで繊細な心である。

彼女のバックボーンは、世界各国の神話と比べても、比較的断片的である古代中国神話・伝説を東方プロジェクトの原作者(ZUN氏)が総括、あるいは習合させて創り上げたものである。しかし、あまりに具体的に説明すると『楚辞』の話題から逸脱してしまう為、簡単に説明すると、「純狐は月の女神である嫦娥と、自分と嫦娥の夫である后羿に、実の息子を殺されてしまい、夫と嫦娥に並々ならぬ恨みを抱えている」という設定である。ここで特筆すべきは、夫である后羿は「10の太陽を撃ち落とした射日神話の羿」と、先述の『楚辞』にも登場した「夏王朝伝説の羿」を総括したのが、東方プロジェクトでの后羿であるという点である。このように、(非常に断片的ではあるが)様々な中国の神話や伝説がミックス&オミットされて生まれた「純狐」というキャラクターが筆者は好きである。

下記にそれぞれの作品ごとの「純狐・嫦娥・羿」の3名の相関図を掲載したので、参考にしてもらいたい。

筆者が独自にMicrosoft Power Pointで作成したもの
筆者が独自にMicrosoft Power Pointで作成したもの
筆者が独自にMicrosoft Power Pointで作成したもの

フィナーレ

ここまで、『詩経』『楚辞』それぞれの特色を筆者の考えと共に述べてきた。ここからは筆者の個人的で全体的な感想を述べていく。

『詩経』『楚辞』は非常に多彩で複雑な構成で未だに分かっていない部分も多い作品である。故に、当初この文章を執筆する際は苦痛で仕方が無かった。数多の作品からどれを取り上げるか、どうやってまとめるか、この部分の解釈はこれで本当に正しいのか、と様々な不安が渦巻く中で、作品を読み続けていくと、次第に本作品の魅力にのめり込んでいき、文章を仕上げることも苦痛ではなくなっていた。むしろ、執筆することが楽しくなってしまい、本当はもっと取り上げたい作品もあったのだが、これ以上書き連ねると、あまりにも冗長になってしまいそうなので、泣く泣くオミットした部分もあった。

『詩経』『楚辞』を読んでの全体的な感想としては、ズバリ「人はいつまでも変わらない生き物」である。本作品は遥か2000年以上も前の人々の様子を紡いだ抒情的な詩である。しかし、国も時代も文化も技術・生活水準も全く異なる「我々」と似たような「感情」がそこには残されていた。今を生きる我々も饗宴、つまりパーティーを開けば、大いに楽しみ、恋をすればその相手にときめき、その恋が成就して結婚に繋がれば喜び、それらが破綻、つまり離婚をすれば嘆き悲しみ、マスメディアやSNSなどで政治の腐敗を目の当たりにすれば、憤慨もする。このような「喜怒哀楽」は古代も現代も関係ないものであり、筆者はそこに感銘を覚えた。また、本作品の牧歌的で素朴な文体にも心惹かれたものがあった。

今まで文学などをほとんど読んだことが無く、おまけに文章を書くことが苦手な筆者だったが、この作品で中華文学に興味を持った。個人的に次は、中国の怪異譚を纏めた小説集『聊斎志異(りょうさいしい)』を読みたいと考えている。なぜなら、そこにも私の大好きなキャラクターの元ネタが潜んでいるからである。

霍青娥

最後に、若干エッセイ風になってしまったことを反省している。

2023年10月5日

参考文献

  • 牧角悦子『詩経・楚辞』(2013年:角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

  • 小南一郎『楚辭天問篇の整理』(1999年:京都大学 学術情報リポジトリ)

画像リンク

いらすとや:https://www.irasutoya.com/2016/01/blog-post_597.html
孫悟空:https://twitter.com/taidon0879/status/1504770572026212352
霍青娥:https://gamewith.jp/touhou-ar/article/show/349361


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