おから

良くいえば思慮深い。悪くいえば考えすぎ。日々思ったことをつらつらと。

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最近の記事

わたしが本当にほしかったもの

どこにいてもなにをしていても常につきまとう違和感。 なぜ周りの人たちは違和感を持たないのか不思議だった。 でも大人になり、違和感を持たないというのはつまりそれが「当たり前」にあるからで、どうやら私には周りの人にある「当たり前」がないようだ、というところまではたどり着いた。 でも「当たり前」という言葉は、随分と抽象的だ。 私が思う「当たり前」は具体的にはなんなのだろう、とさらに考えてみると… ・無条件で安心して関係を構築できる「家族」 ・安全で安心して帰れる「家」という場所

    • 隔離された世界で

      少し前に映画を観に行った。 その矢先に会った友人と「あの映画観た?」という話になった。 「あのシーン良かったよね」 「音楽もすごかったよね」 私もその映画は素晴らしかったと思っていた。 役者さん、映像、音楽もたしかにとても良かったから。 でも「面白かったね!」と楽しそうに話す友人に違和感を持った。 物語として楽しかった!  そう嬉々と話す友人を見て、いっしょに盛り上がれなかった。 私にとってはその作品はフィクションではなかったからだ。 虐待や機能不全家族。 この世界のど

      • 当たり前を当たり前に持っている人は「選択肢が持てない人生がある」ということなんて想像もつかないんだろう。 生きるためにはそうするしかなかった。 そうせざるを得なかった。 選択しなかったのではなく「選択できなかった」。 当たり前の選択肢すら持てない人生もある。

        • ここは元からたのしい地獄

          「楽しいことがあるからがんばれる」 と思えるぐらいのしんどさなら全然マシで、 右も左もどこにも逃げ場がなくなると 「楽しいことが一瞬でもあることが地獄」であり、 楽しい瞬間がちょっとでもあると生きていることに耐えられなくなる。 「楽しい」が一瞬でもあると、心が戻ってしまうから。 感情を殺していられなくなるから。 心を殺すことでなんとか生きていられる。 感情が戻ってしまうと耐えられない。 これは生き続けるためのライフハック。

        わたしが本当にほしかったもの

        • 隔離された世界で

        • 当たり前を当たり前に持っている人は「選択肢が持てない人生がある」ということなんて想像もつかないんだろう。 生きるためにはそうするしかなかった。 そうせざるを得なかった。 選択しなかったのではなく「選択できなかった」。 当たり前の選択肢すら持てない人生もある。

        • ここは元からたのしい地獄

          私にとっていい人は、誰かにとっては嫌な人かもしれない。 私を助けてくれた人が、誰かに悪いことをしていることもだってある。 人間皆そうだけど、100%完全な善人なんていない。 そんなにきれいに勧善懲悪が成り立つ世の中じゃないんだよなってすごく思う。

          私にとっていい人は、誰かにとっては嫌な人かもしれない。 私を助けてくれた人が、誰かに悪いことをしていることもだってある。 人間皆そうだけど、100%完全な善人なんていない。 そんなにきれいに勧善懲悪が成り立つ世の中じゃないんだよなってすごく思う。

          異性愛でも同性愛でも

          好きになった相手の性別によってどうしてこうも騒ぎ立てられなきゃならないんだろう…という違和感が昔からある。 人を心から好きになったり、大切に想ったり。 人を愛する気持ちを持てること自体が素晴らしいことなのになと。 人を避け、忌み嫌い、妬み嫉み。 そうやって生きる人よりも、異性だろうが同性だろうが、人を好きになれる人のほうががはるかに素敵な生き方だと思うのだけど。 それなのに、相手が同性だとなんで非難を受けたり、白い目で見られたりしなきゃならないんだろうか。 「愛する」とい

          異性愛でも同性愛でも

          安心できる居場所があれば

          ニュースを見ていると「これは一歩間違えば自分が起こしていた事件かもしれない」と思ってしまうことがある。 何か大きなショックな出来事が起こり。 受け止めきれずコントロールつかなくなった結果人間関係が破綻し孤立し。 当然仕事もうまくまわらなくなり、経済的にも追い込まれ。 人間関係がうまくいかなくなっているから、話や愚痴を聞いてもらうことも気分転換も出来ず。 孤立を深め、頼る家族もなく、憤りのぶつけ先も相談する先もなく。 困りに困って最終的に公的なところに話しに行ってボロクソな対

          安心できる居場所があれば

          「普通」と「当たり前」へのあこがれ

          「どうして周りの人と同じことができないんだろう」 いつも周りを見て、研究している。 雑談するとき、どういう話し方をするのか。 仕事をするとき、周りの人はどうやって人と関わっているのか。 なぜか昔から集団にうまく属することができない。 周りに対して横暴にふるまうとか特別なことをしていないのに、気づいたら輪から外れている。 距離を置かれる。 でも理由がわからない。 言動の何かがまわりと違うらしい。 本当は直したいのに、何がいけないのかわからないから、場所が変わってもまた輪に入

          「普通」と「当たり前」へのあこがれ

          言えないことば

          思っていることが言えない。 本当は言いたいことがあっても、相手のことを考えるとなにも言えない。 自分の思いより、相手の事情や気持ちを優先してしまうからだ。 相手はこう思って、だからこういう言動をした。 行動原理を理解すると、なにも言い返せなくなってしまう。 相手には相手の感情の自由があるし、私が感情的になって阻害することではないと、自分に蓋をしてしまう。 それで割りきって保てればいいのだけど。 負の感情を含んだ言動。 心が入ってない言葉。 全部透けて見えてしまって、ダメ

          言えないことば

          病名を人に伝えるということ

          病名を書くと病気の人というイメージがついてしまう。 有名人やもともと大々的な肩書きがある人ならばまだしも、特に肩書きがない場合は病名のインパクトの方が強いわけで。 プロフィールに病名をのせようものならそれがアイデンティティになってしまう気がしていつも「うーーん」となる。 * 一見、五体満足健康体に見えるけど、持病があって長時間歩けなかったりする。 休みながら動ける範囲だけで歩くなら問題ないので普段はなるべく車いすを使わずに生活している。 車いすだったり杖だったり使ってれば

          病名を人に伝えるということ

          なんでもない時間があったから

          しんどいことが重なると心が塞ぎがちになる。 しゃべっていても、なんだかうまく笑えない。 まるで周りの人たちが別の世界に生きているような疎外感。 友達と話していても違和感がつきまとう。 楽しいってどんな感じだっけ? 笑うときってどんな表情するんだっけ? 心はなにも感じていないのに、どうにかその場を取り繕うための愛想笑いが顔に張り付く。 心と体が乖離していく。 悩み事や困り事は人に話して解決できることじゃない。 誰に話したってどうしようもないんだから。 いつのまにか人と会話す

          なんでもない時間があったから

          今ここにある景色を

          春だ。 春が来た。 毎年思うけど桜ってすごい。 木で全面に無数の花ってすごくないですか?! 花の咲く植物は数あれど桜は別格。 毎年すごいなぁ、すごいなぁと語彙力皆無につぶやきながら見上げている。 満開の桜もいいけど、少し散りかけた桜吹雪の中を歩くのが大好き! 風に舞う桜の花びらの中を歩くと、まるで別の空間に誘われるような不思議な感覚になる。 これから魔法でも使えるようになっちゃうんじゃないかと。 これから未知の世界に旅立てちゃうんじゃないかと。 今この瞬間からまるで映画

          今ここにある景色を

          深く考えてしまうことの弊害

          NHKのハートネットのサイト記事に深く頷いてしまった。 これすごくわかる!!!!! 信号待ちで先頭の車のナンバー。 人の誕生日の数字。 なんか無駄に覚えてしまう。 別に暗記しろといわれたわけじゃないのに、やたら数字配列が頭に残ってしまう。 「さっきの車のナンバー◯◯ちゃんの誕生日と同じだったね」 「え?そんなの見てなかった」 まわりの人も見てるものだろうと思っていたけど、どうもそうではないらしい。 人が気付かないことに気付いてしまう。 で、逆にまわりの人は当たり前とし

          深く考えてしまうことの弊害

          言葉と想い

          弱っている。 エネルギーがない。 目に写るものが色褪せて見える。 この世への恨みつらみの言葉しか出てこない。 こういうときは立て続けにろくでもないことが起こる。 なんで今こんなこと? 泣きっ面に蜂と蚋と毒蛾。 負の確率変動とでもいうか… すでに戦う気力もないというのに生きる意欲までも削がれていく感覚。 無理!しんじゃう!HPはゼロ! * 言葉には力がある気がする。 言葉自体というより込めた気持ちで力が宿るというか。 形よりそこに込める感情の方が重要に思えて。 響の「ど

          言葉と想い

          決断するのが怖いとき

          気になっていた本があった。 買いたいと思って本屋まで足を運んだのに、どうもレジまで持っていけない。 読んでみたい。 でも2000円も払って内容が微妙だったら… 躊躇するぐらいのものは買うのやめよう! って見切りをつけられればいいのに ぐだぐだと買うか買わないか決められず本屋でうろうろ…。 最近どうも『決断する』ということができないなぁ。 * わたしが本当に怖いのは、本を買って実際にお金を損することではなかった。 本を買うことによって 「納得いかないものにこんな無駄なお金

          決断するのが怖いとき

          変わりたいからはじめてみたこと

          自分を変えたい。変わりたい。 そう思ってもなかなか難しい。 ルーティンは決まってた方が楽だし。 馴れていることというのはそれだけでなにか安心感がある。 変わりたい。 変えたい意志はあるはずなのに、気付けば結局いつもと変わらず。 人間は生物だし恒常性というものがある! つまり私は人間なんだから変われなくても当たり前で仕方ないよね!!!わはは!!! …と開きなおって諦められれば楽なんだけども。 それでも。 やっぱり。 変わりたい!変えたい! と思う繰り返し。 子どもの頃か

          変わりたいからはじめてみたこと